「ON A CLEAR DAY」鑑賞

main.jpg

ケン・ローチ監督の「マイ・ネーム・イズ・ジョー」の主人公、および「マグダレンの祈り」の監督でもあるピーター・ムランが主演した作品「ON A CLEAR DAY」を観た。彼が演じる主人公のフランクはグラスゴーの工場で長らく働いていたが、ある日解雇を通告されてしまう。生きる目標を失った彼は、人生を一新させる目的としてイギリス海峡を泳ぎきろうと決意するのだった…。というのが大まかな内容。ちなみにホビット君ことビリー・ボイドが出てるでやんす。

あらすじから予想がつくかもしれないが、要するに「フル・モンティ」という柳の下にいる527匹目くらいのドジョウ。労働者階級の男たちが冗談を言い合い、励まし合いながら大きな目標に向って進んでいくというストーリーはイギリス映画界の名産物になったなあ。しかも今回は長いあいだ不仲だった息子とか、家計を助けるため健気に働く妻、主人公の姿に励まされる友人たちなど、この手の映画につきもののクリシェがたんまり入っててお腹いっぱい。でもストーリー展開は王道を行っているので先が読めるとはいえ決して心地の悪いものじゃないし、ムランの演技がしっかりしてるので観ててそれなりに楽しめたかな。
気になったのは、主人公と周辺の人たちのエピソードがいろいろ出てくるんだけど、どれもが短くてきちんと描ききれておらず、これが逆に映画のテンポを悪いものにしてるところがあった。登場人物がもう1〜2人少なかったほうが良かったんじゃないの。

ちなみにこの映画って製作会社がメル・ギブソンのアイコン・フィルムなんだけど、ギブソンはあんな失態をおかして映画界から総スカンをくらったわけで、今後のアイコンの運営ってどうなってくんだろう。

「アメリカを斬る」鑑賞

ニュー・アメリカン・シネマの隠れた傑作「アメリカを斬る」こと「MEDIUM COOL」を鑑賞。「警察の暴動」があったことで悪名高い1968年のシカゴ民主党大会をリアルに描いた作品である。

ロバート・フォースター(このころから渋い!)が演じる主人公はテレビ局の報道カメラマン。彼は事件性のある物語を追うためならゲットーに乗り込むことも厭わない男だったが、ふとしたことからベトナムで夫を失った子持ちの女性と知り合い、恋仲になっていく。そんなある日、彼はテレビ局が勝手に取材用の映像を警察やFBIに見せていたことを知り、激怒して上司に挑もうとするものの逆に局を解雇されてしまう。それでも彼は民主党大会を取材するために会場へ向うが、その周辺では反戦を訴えるデモ隊と警官隊が一発触発の状態になっていた…。というのが主なストーリー。

冒頭から報道関係者のモラリティが議論されたり、黒人の主張が途中で述べられたりするなど、全体的に少し説教めいた感じがしなくもないが、撮影も兼ねている監督のハスケル・ウエクスラーの映像作りが上手なので観ていて気にならない。シーンのセグエの仕方とか、小道具(ポスター)の使い方、画面の構成などはまるで映画の教科書を見てるかのよう。ロバート・ケネディの暗殺の描写も実に見事。また暴動の映像などはすべて本物を使っており、現場の緊迫した雰囲気が十分に伝わってくる。暴動が起きることを予期して、本物のデモ隊の間に役者を歩かせて撮影したというその手腕には脱帽するしかない。

なお原題の「MEDIUM COOL」というのはマーシャル・マクルーハンのメディア論からとったもので、ラジオが「ホット」な媒体なのに対しテレビは「クール」な媒体(与える情報量が少なく、より積極的に視聴することが求められる)だというわけだが、同時にテレビが「冷酷な」メディアであることを示唆しているのは間違いない。テレビ批判、という意味では後年の「ネットワーク」と通じるものがあるかな。それにしてもあのラストは…。こないだの「ミーン・ストリート」もそうだったけど、あの当時の観客はバッドエンドが観たくて映画館に足を運んでたんだろうか?

ちなみに劇中で「最近のニュースはみんな事前に筋書きが決められてしまってる」なんてセリフが吐かれるんだが、これっていまのニュースも同じだよな。よく分かんない理由で戦争が行われてて、兵士がどんどん死んでってるところも同じ。時代は繰り返すというか何というか。もし60年代と現在とで違う点があるとすれば、暴動を起こすような若者がいなくなってしまったことか。

「ノミ・ソング」鑑賞

ドイツ出身のニューウェーブ・シンガー、クラウス・ノミの生涯を追ったドキュメンタリー「ノミ・ソング」を観る。

いやもうやっぱクラウス・ノミ最高。「奇抜」とか「前衛的」といった表現が失礼に思えるくらい。従来のアートの概念を粉々にするようなパフォーマンスを、しれっとした顔でやってのけてる姿が実に衝撃的だ。俺みたいな凡人の頭を100回トンカチで叩いたって出てきそうにないコンセプトのファッションで踊り、超音波のごときファルセット・ボイスで歌う姿は、もはやこの世のものとは思えないほどに神々しい。

このドキュメンタリーでは彼の生い立ちや私生活が語られ、彼のイメージ作りに関わった人たち(コントーションズのマネージャーなんてものいたらしい)にインタビューすることによって良くも悪くもノミの「非神格化」が行われているものの、それでも彼の独創性はビクともしない。多くの人が述べているように、ニューヨークに移ってきたばかりの無名時代から彼はすでに特殊な存在であって、周囲の人はあくまでも彼に手を貸していっただけのような気がする。パイを焼くのが趣味だったとかツィステッド・シスターの前座をしたとかいう「ちょっといい話」を聞かされても、彼が普通の人間であったということは信じ難いわけで、作品中でも言及されているように、実は宇宙から来た存在だったとしても何ら不思議はない。誰もエイズなんて病気を知らなかったときに(1983年)エイズで死んだというのも、彼がいかに時代を先取りしていたかを象徴しているんじゃないかな。

あと300年くらいすれば、我々人類はノミの真の素晴らしさをやっと理解することになるだろう。

c0069732_21343293.jpg

「ULTIMATE AVENGERS 2」鑑賞

こないだ取り上げた「「ULTIMATE AVENGERS」の続編が早くも出たので観てみる。

すげーつまらん。

今回の話の舞台となるのは、アフリカの架空の小国ワカンダ...ということは必然的にそこの王であるブラック・パンサーが登場するわけだが、コミックのブラック・パンサーは全身黒づくめのコスチュームで顔もすっぽり隠し、非常にミステリアスかつクールな雰囲気を持っていたのに対し、アニメ版のパンサーは何か勘違いしたレスラーみたいな姿で実にカッコ悪い。そして前回と同じエイリアンたちの襲撃からアヴェンジャーズがワカンダを守ろうとするわけだが、肝心の主人公たちは相変わらずウジウジと仲違いばかりしてて実に不快。正義のために団結していた「JLU」のヒーローたちなんかとは違って、日常生活からウジウジしてる連中ばかりだから、エイリアンとかに殺されそうになっても全然感情移入できないんだよな。しかも弱いし。弓矢にやられるアイアンマンって何だよ。

キャラクター設定だけでなく全体のストーリーも貧弱で、あまり重要でないシーンを長々とみせつけられるほか、突然登場してあっという間に消えていくハルク、あるキャラクターの無意味な死など、観てて鬱憤がたまるような場面が多すぎ。おまけにアニメの出来も、90年代にやってた「アイアンマン」とか「Xメン」のアニメ並みのクオリティで、お世辞にも上手いとは言えない。もうこの際だから恥も外見もなくして、ブルース・ティムのスタイルをパクってしまったほうが人のためになるんじゃないだろうか。せっかく俺のお気に入りであるウォー・マシンも出たのに、なんかチンケなデザインだったぞ。

前作の発売から半年くらいしかたってないことから、前作と同時に作られたのか、あるいは手抜きでパッパと作られたのかもしれないけど、それなりに酷評された前作での教訓がまるで活かされていないのが残念。実写映画版のウワサも聞こえてきた「アヴェンジャーズ」だけど、もうちょっと観てて面白いものを作ろうよマーヴェルさん。

「神に選ばれし無敵の男」鑑賞

ヴェルナー・ヘルツォークの比較的最近の作品「神に選ばれし無敵の男」をDVDで観た。

怪力男としてベルリンで名を馳せ、ナチスに対するユダヤ人の象徴として尊敬されたポーランド人の若者と、彼の雇い主でナチスに取り入ろうとするインチキ予言者(どちらも実在の人物)を描いた映画なんだが、どうしても「アギーレ 神の怒り」や「フィッツカラルド」といったヘルツォークの傑作と比べるとTVムービー程度の出来にしか見えんなあ。あれらの作品が、猛り狂う自然と狂気につかれた男のコントラストを衝撃的に描いてたのにくらべ、今作は権力を手にする前のナチスと素朴で内気な怪力男の対決を扱っているので、どうもせせこましい感じがするのは否めない。

役者は予言者を演じるティム・ロスがズバ抜けて見事な演技を見せてくれるものの、それ以外の役者に素人が多いため、逆に彼が完全に浮いてしまっている。主人に本当の怪力男、ピアニスト役に本当のピアニストをあてがうのは斬新だけど、あまり成功しているようにも見えない。だから人によって演技力と英語力がまちまちで、兄弟なのにアクセントが違うなんてことになってるのはどうも気になってしまう。

決して悪くはない作品なんだけどね。「アギーレ」などと比べるのが酷なのかな。