「マッスルモンク」鑑賞

一部でカルト的な人気を持つ、アンディ・ラウ主演の映画「マッスルモンク」をDVDで観る。 いやー。こういう作品だったとは。冒頭では肉じゅばんをまとって筋肉ムキムキのラウの姿には一瞬引くものの、アクション描写は相変わらず一流だし、サスペンスの醸し出し方なんかも上手でなかなかストレートに楽しめる。でも謎のインド人が逮捕されてからズルズルと話がすべっていくというか、プロットが徐々に破綻していき、冒頭の展開からずっと離れたところに着地して終わるラストが、まあ、なんというか、といった感じ。このユルさ加減を楽しめるかどうかが、この作品を観るときの最大のポイントなんだろう。

ストーリーを逆にたどっていくと辻褄が合わない点がいくつもある、というのはカンフー映画では決して珍しくないことだけど、この「マッスルモンク」も、ありそうで実はない伏線とか、印象的なくせに途中から出なくなるキャラクター(上記のインド人だ)とか、なんか行き当たりばったりな展開がてんこ盛り。そもそもよく考えてみると、主人公が筋肉男である必要性もあまり感じられなかったりする。ここまで話が破綻してると、普通は脚本の段階で気づきそうなものだけど、それがそのまま大金をかけた映画になってしまうところがスゴイなあ。

でもやっぱり、ヒロインのあの運命はちょっと…。前世が日本兵だと、ロクなことがないんですね。

「カンフーハッスル」鑑賞

やっと「カンフーハッスル」をレンタルして観た。 いやー面白い。「小林サッカー」よりもさらに作りがこなれていて、実にムダのないストーリーテリングが確立されてるって感じ。主人公に関する伏線がやや弱い気もするものの、極上のエンターテイメント作品になってるんじゃないでしょうか。突然「シャイニング」のパロディをやったりするセンスも見事だなあ。

でもレンタル用のDVDは設定がダメダメで、最初に15分くらい「ステルス」とかの下らない予告映像を見せられる(スキップできない)うえに、何とチャプター・リストが用意されてないという不親切さ。映画の冒頭などに一発で戻れないのは問題だろう。「小林サッカー」はレンタルDVDでもコメンタリーが付いてて良かったんだけどね。

「宇宙戦争」鑑賞

今更ながら「宇宙戦争」のDVDをレンタルして観てみる。 つまらんすねー。

1898年に書かれた小説の設定を、そのまま現代に持ってきてもなんか意味がないような。小説では意外な展開だった結末も、いざ映像化されると非常にあっけないというか、それまでドンパチ派手にやらかしといて結局はそれかよ、といった感じ。もうちょっと話にアレンジを加えても良かったのに。ヤヌス・カミンスキーの映像スタイルもいいかげん飽きてきた。

それでも立派なSFXのおかげでダラダラ観るぶんには一応楽しめるものの、キャスティングが足を引っ張ってる感じ。スピルバーグ作品の必須キャラともいえる「ダメ親父」を演じるトム・クルーズは「マイノリティー・レポート」なんかと殆ど同じ演技だし、ダコタ・ファニングは相変わらず「無垢な少女」役で、そこに小生意気なバカ息子が加わって実にステロタイプな一家の出来上がり。それになんでシャベルを持ったティム・ロビンズは素手でチビのトムに負けてんだ。

大金かけて映画化する意義がどこにあったんだかよく分からない作品。とりあえずスピルバーグは「ミュンヘン」が面白いらしいので、そっちに期待します。

「GRIZZLY MAN」鑑賞

アラスカの荒野に棲む、小型トラックほどもあるようなグリズリー・ベアに魅せられて13度の夏を彼らとともに過ごし、結局ガールフレンドとともにグリズリーに喰われてしまった自然愛好家ティモシー・トレッドウェルの姿を追ったドキュメンタリー「GRIZZLY MAN」を観る。監督はヴェルナー・ヘルツォーク。音楽をリチャード・トンプソンがやっていた。 トレッドウェルのことをヘルツォークが知ったのは彼の死後のことであり、彼が殺された現場の開設から始まるこのドキュメンタリーには死の影が常につきまとっている。作品の大部分はトレッドウェルが熊たちとともに撮った映像で構成されており、トレッドウェル本人が画面に出てきて躁病患者のごとく熊への愛を語り、必要とあれば何テイクも撮って自分の主張を述べ、熊のためなら殺されてもいいと話す彼の姿が興味深い。失敗した役者でアル中だった彼は熊とのふれあいに生きがいを見いだし、彼らに名前をつけて擬人化していき、学術的に見れば問題のあるような親密さをもって熊たちと接していく。これに対し「人間と自然の関係は一線を越えてはならないものであり、これが破られれば人は代償を支払わなければならない」という登場人物の1人の言葉が印象的だ。

トレッドウェルの口調は明らかに自己賛美的で、自分の愛情を自然は理解してくれていると本気で信じているところがあるわけで、己のエゴをもって自然に立ち向かうその姿は「アギーレ/神の怒り」におけるクラウス・キンスキーに通じるものがあるかな。両者ともブロンドだし。そしてナレーターも務めるヘルツォークはトレッドウェルに同情的であるものの、必ずしも彼の意見にすべて同意しているわけではなく、人間と自然の間にはただ混沌があるのみだと語っている。なおトレッドウェルが撮った一連の映像が、彼というキャラクターを主人公にした一種の映画となってしまっていることに、ヘルツォークは映画人として惹かれたんだとか。単なる自然賛美や故人の業績紹介なんかではなく、人間と自然の関係の複雑さを突いたドキュメンタリーだと思う。

ちなみに検死医が途中で出てくるんだけど、やや演技のかかった口調で、トレッドウェルの死体の状況を瞬き1つせずに語るその姿は実にヤバくて怖いのです。

「MIRRORMASK」鑑賞

もはや伝説となった感のあるファンタジー・コミック「サンドマン」の名コンビ、ニール・ゲイマンとデイヴ・マッキーンによる映画「MIRRORMASK」を観る。もちろん脚本がゲイマンでアート&監督がマッキーン。ゲイマンによるとマッキーンのインプットのほうが多い作品なんだとか。 作品の冒頭の舞台はイギリスのブライトン。サーカスの一家に育ったヘレナは反抗期を迎えようとしているティーンの少女。彼女はサーカスでの暮らしに飽き飽きしていたが、あるとき母親が病気により倒れてしまう。彼女を見舞ってから帰宅したヘレナは、夜になって自分が不思議な世界に入り込んでいることを知る。そこは奇妙な生物が徘徊し、すべての住民がマスクをつけている幻想の世界だった。そしてそこは光と闇の国に分かれており、闇の国の王女の策略により光の国の女王が昏睡状態に陥ってしまい、世界は闇に包まれようとしていた。ヘレナは光の国を救うため、知り合った青年ヴァレンタインとともに、光と闇のバランスを正す「ミラーマスク」を探すことになるのだった…というのが主なストーリー、のはず。話がけっこう抽象的なので俺の理解が間違ってるかも。

素朴なファンタジーのようで奥が深く、ハイブローなセリフの裏に知的なユーモアが見え隠れするゲイマン節は健在。製作がジム・ヘンソン・スタジオということもあって「ラビリンス」や「ダーク・クリスタル」に似た雰囲気があるかな。少なくとも10年くらい前にゲイマン原作でつくられたTVシリーズ「ネヴァーウェア」よりはずっと面白い。

そして何よりもこの作品を際立たせているのが、全編を通じて溢れんばかりに画面を満たすマッキーンのアート。「サンドマン」の表紙の世界が映像となって縦横無尽に動くのだから本当に綺麗。見てて何かすごく得した気分にさせてくれる感じ。機械じかけの人形たちがヘレナを化粧していくシーンなんかは頭がシビれるくらいに美しい。相当な低予算で作られたらしく、映像が「NHKスペシャル」並のCGになってしまう箇所もあるものの、その独創的な芸術世界には惹き込まれずにいられない。観て損はない傑作。

こういった感性の映画は、まずアメリカからは出てこないすね。日本では公開するのかな。