「In A World…」鑑賞


ナレーション業界(特に映画の予告編)を舞台にしたコメディドラマ。

ハリウッド映画の予告編のナレーションといえばドン・ラフォンテーンという伝説的な存在がいて、彼のキャッチフレーズ「In A World…」はあまたの予告編のナレーションで使われてきたわけですが、そのラフォンテーン亡きあと、誰が次のラフォンテーンになれるか?というのがこの映画の設定。主人公のキャロルは役者たちの発音コーチをしながらもナレーターを目指す女の子で、父親のサムはナレーターの大御所であるものの女性のキャロルには一切アドバイスを与えず、若いガールフレンドが出来たといってキャロルを家から追い出してしまうような奴。仕方なしに姉夫婦の家に転がり込んだキャロルは、新作映画のナレーションのオーディションに参加して仕事を勝ち取るものの、サムの友人でナレーター界のスターであるグスタフはそれを快く思わず…というようなストーリー。

主演と監督は「CHILDRENS HOSPITAL」に出ているコメディエンヌのレイク・ベル。あの番組の共演者であるロブ・コードリーやケン・マリーノのほか、ディミトリ・マーティンとかティグ・ノタロ、ニック・オファーマンといった中堅どころのコメディアンがいろいろ出演しているぞ。

女性の声優がアイドル的な扱いを受けている日本では想像もつかないが、ハリウッドのナレーション業界は男性のナレーターが圧倒的なシェアを占めているらしく、それを風刺した内容にもなっている。ラストにはしっかりジーナ・デイビス大統領が出てきてフェミニズムについて語ってくれるよ!(「あなたが女性だから選んだのよ」と言うのもそれはそれで差別的な気もするが)

全体的に粗削りなところもあって、姉夫婦の離婚危機のプロットは不要だったんじゃないかとか、ナレーション業界のことをもっと描いて欲しかった気もするものの、女の子が奮闘するコメディは嫌いではないですよ。個人的にも英語の訛りには興味があるので、いろんな外国人の会話を隠れて録音する主人公の姿とかは面白かったっす。

「I Give It a Year」鑑賞


イギリス人が乳繰り合うラブコメディを作ってはや20年(エドガー・ライトの作品とかも作ってはいますが)のワーキング・タイトル社が送る新たなラブコメ。

ナットとジョッシュのカップルは出会ってからすぐに恋に落ち、短期間で結婚にまで辿り着く。しかし2人の相性が微妙に合っていないのは周囲も認めるところであり、口の悪い友人には「2人の結婚はもって1年ね」と言われる次第。そしてその予見は現実のものとなり、2人の結婚生活は9ヶ月目に暗唱に乗り上げてしまう。それでも1年はどうにかもたせようと2人はカウンセラーのところに通ったりして努力するものの、ジョッシュの前には昔の彼女が現われ、さらにナットは金持ちの若社長に口説かれてしまう…というストーリー。

まあ「ラブ・アクチュアリー」的な、害のないジョークとホンワカとした展開が続くラブストーリーではあるのですが、主人公ふたりの食い違いがテーマになってるせいか、なんかしっくりこない内容になっていたような?恋愛のリアリティというかエグさをワーキング・タイトル作品に求めるわけではないですが、ナットへの若社長の迫り方なんてパワハラものだし、各キャラクターの描き方がみんな薄っぺらかったような。

それでもまあフィールグッドなオチに落ち着けばいいかなと思ってたのですが、最後はなんと(完全なネタバレなので白文字にします)『2人は結婚1周年のパーティーで「やっぱ俺ら合わないね」と離婚し、ジョッシュは元カノと、ナットは若社長とお互いの前で結ばれる!』いやーそれはないんじゃないの。奇をてらうにしても話の落としどころってものがあるだろうに。結婚してる人が観てもあれは納得いかないと思う。

ナットを演じるのがローズ・バーンでジョッシュ役がレイフ・スポール。おれレイフ・スポールってすごく無味乾燥なイメージがあって好きではないのですが、彼のどこらへんが魅力的なのでしょうか。親父と違ってイケメンになってしまったのが残念なところだな。ジョークをひたすら外す友人にスティーブン・マーチャント、結婚に飽きたシニカルな主婦にミニー・ドライバー、その鈍感な夫にジェイソン・フレイミング、ストーカーっぽい元彼女にアナ・ファリス、底の浅い若社長に相変わらず底の浅い演技しかできないサイモン・ベイカーと、脇役のキャスティングは完璧なだけに主人公ふたりの特徴のなさが惜しまれる。

恋愛下手の俺が言うのも何ですが、何か結婚というものをナメてるのではないと思った作品。もうちょっと世間体というものを気にしましょうよ。

「アクト・オブ・キリング」鑑賞


昨年公開されて絶賛と論議を呼んだジョシュア・オッペンハイマー監督のドキュメンタリー。プロデューサーにヴェルナー・ヘルツォークとエロール・モリスという巨匠が名を連ねているが、製作自体にはあまり関わってないみたい。122分のバージョンと159分のものがあって、後者を観たのだが、122分のほうにだけ使われてる映像もあるとか?

インドネシアで1965年に起きた軍事クーデターの結果として行なわれ、100万人もの共産主義者(中国系が多い)が殺されたという大量虐殺に関与したアンウォー・コンゴ(劇中ではずばり「処刑人」という肩書きで紹介される)を追ったもの。70を超えても高そうなシャツとスーツに身を包み、入れ歯を入念にチェックするアンウォーは北スマトラ州で映画館のチケットのダフ屋をしていたギャングの一員だったが、軍部が共産主義者の粛正にあたりギャングの手を借りたことから、彼らの虐殺に加担することとなりワイヤーを使った絞殺具で1000人もの共産主義者を殺したことを公言する(撲殺は血だらけになるから絞殺を好んだらしい)。

そのままギャングはパンチャシラ・ユースという数百万人規模の準軍事組織に組み込まれ、政権を支える存在として今日に至っている。彼らはマスコミや政権ともズブズブの関係であり、カメラの前で平然と華僑の店から金を巻き上げ、市民には賄賂を要求している。そして共産主義者の駆除に貢献したアンウォーのような処刑人は彼らにとって英雄であり、彼らを鼓舞する集会にギャング出身のアンウォーはよく招かれるのである(『「ギャング」というのは「自由人」という意味だよ』と政治家を含めた多くの人が語るのが印象的)。

このドキュメンタリーの最大の特徴は、この「残虐行為を行なった人たちが、そのまま現在でも権力の座についている」というところ。例えば第二次世界大戦とかベトナム戦争を扱ったドキュメンタリーだと、惨劇はあくまでも過去の出来事であり、それが回顧され、時には加害者と被害者が和解するというものが多いのだけど(ヘルツォークのこれとか)、この作品においては共産主義者への弾圧はまだ続いており、テレビ番組では若い女性キャスターが虐殺のことを当然の行為として言及し、アンウォーたちは自分たちの行なったことをむしろ誇らしげに若者へ語るのである。そんなアンウォーに対してオッペンハイマーが行なったのは、彼の虐殺行為を、彼の望む映画のスタイルで再現させることだった。

このため題名はつまり「殺人の行為」と「殺人の演技」という2つの意味を持つことになるわけだが、ギャング時代からハリウッド映画に憧れ、自分はシドニー・ポワチエに似ていると公言するアンウォーは往年のミュージカルや西部劇、ギャング映画のスタイルを踏襲し、自らも出演して殺戮の現場を再現していく。これらの再現において歴史的考証とかリアリティなどは二の次であり、加害者の役の人がいつの間にか被害者を演じてたりするわけだが、処刑人たちが尋問や処刑の方法について入念に説明したり、養父を殺害された男性が尋問される共産主義者を演じるにあたり、やがて現実と虚構(演技)の境界は溶けてなくなっていく。村の虐殺シーンにゲスト出演した政治家が、演技で「共産主義者どもをぶち殺せ!」などと叫んだ直後にオッペンハイマーに向かって「うちら本当はもっと人道的だからね!」などと注釈を入れる光景は筆舌に尽くし難い。

ちなみにアンウォーの片腕的存在としてハーマン(ヘルマン?)・コトというデブのチンピラが出て来るのだけど、ジャイアン的というか、ニック・フロストやジェフ・ガーリンあたりが演じそうなキャラでもう最高。年齢的に虐殺には関わっていないと思うが、女装して肉にかぶりつく入魂の演技を見せたりと、作品にものすごいアクセントを加えている。実生活でも「オラ金持ちになるだ!」と奮起して議員選挙に立候補するなど、彼がいなかったらもっと異なる作品になってったんじゃないかな。

そしてアンウォーと同様に虐殺に関わった旧友もまた撮影に参加するのだが、彼の場合はもっと「自分たちの行ないは冷酷であった」ということを自覚しており、このドキュメンタリーが世の中に出た時の影響を懸念している。その一方では「歴史というものは勝者によって書かれるものであり、我々はその勝者である」として自らの行いを正当化しようとしている。実際に処刑人の多くは精神に異常をきたすことがあると示唆されるのだが、アンウォーにとっての殺人の正当化の手段は、ギャング時代に観たハリウッド映画であった。アクション映画などを観て高揚したあとに、(酒やドラッグも加わって)殺害を行なうのである。

これらの演技を通じたアンウォーの心境の変化は劇中だといまいち汲み取りにくいところもあるのだけど(自責の念が完全に欠落しているので)、そこらへんについてはネット上におけるオッペンハイマーの一連のインタビューが参考になるかと。とはいえアンウォーも自分の行為を再考するようになり、衝撃的なラストシーンへとつながっていく。

これを観て単に「あーインドネシアって非道い国だなー」って考えることは容易だよ。エンドクレジットに載ってるスタッフの大半は、政府の迫害を恐れて「匿名さん」になっているし。ただここで描かれてることって、一国の出来事でなくもっと人間の根本的な悪というか不正義をさらけ出しているのだろう。そして我々はそれを過去のこととして切り捨てることもできず、その上に築かれた日常において幽霊たちと暮らさなければならないのである。

「Prince Avalanche」鑑賞


昨年話題になってながらも見逃した映画を、チマチマと拾っていく次第であります。ポール・ラッドとエミール・ハーシュ主演のドラマ。

舞台は1988年のテキサス。前年に起きた山火事によって大きな被害を受けた森林公園の再建作業に関わるため、アルヴィンはガールフレンドの弟であるランスを連れて町を離れ、山奥において道路の整理作業をしていた。幼稚な振る舞いをするランスをあまり快く思っていなかったアルヴィンだが、週末に町に戻ったランスは女性関係のトラブルに遭遇してふさぎ込んでしまう。さらにアルヴィンもガールフレンドとの間に一悶着あり…というようなプロット。

画面に出て来るのはほぼこの2人だけということもあり、いわゆるブロマンスものではあるのですが、その一方では町に残してきた女性たちについてウジウジ悩む男たちの恋愛映画でもある。対象となる女性たちが出てこないという演出が特徴的かな。ちなみに「雪崩の王子様」という題名はストーリーと殆ど関係ありません。当然ながらドクター・アバランシェ(知ってる?)とも関係ないよ。

ストーリー自体はアイスランドの「Either Way」という映画のリメークらしいが、2011年に実際に山火事に遭った森林公園で撮影していることもあり、テキサスの荒廃した森というバックグラウンドがものすごく印象的に使用されている。焼け落ちた家のなかで残ったものを探す女性というのが登場するのだけど、彼女は役者ではなく本当にその家に住んでいた人で、ロケハン中にスタッフに発見されてそのまま映画に出ることになったらしい。ここらへん東北の震災でボランティアやったときの経験と重なって、いろいろ考えさせられましたね。

監督のデビッド・ゴードン・グリーンは最近だと「スモーキング・ハイ」とか大コケした「ロード・オブ・クエスト」といったおバカコメディを撮っていた印象が強いのでこういう作品を撮るのは意外かもしれないが、そもそもは南部を舞台にしたインディー映画を撮っていた人(よく知らんがそうらしい)ので、実はこっちのほうが「実の姿」であるそうな。次作もニコラス・ケイジ主演のダークなドラマなんだって。

アルヴィンを演じるポール・ラッドは口ヒゲに緑のシャツとオーバーオールという格好がルイージそのまんまであるのが難点だが、真面目な役を好演している。この人ってコメディ全開の演技するよりも、こういう真面目な演技のほうが似合うと思うのだが。ランスを演じるエミール・ハーシュはマリオ…でなくジャック・ブラックにしか見えなくて、子供っぽく文句たれながらヘビメタ聴いてる姿はまんまジャック・ブラックなのだが、大人になれないキャラをうまく演じている、と好意的に考えることにしましょう。

たった16日間で撮影されたということもあり、決して金のかかっている作品ではなく、ピンぼけ気味で手ブレを入れた撮影はあまり好きではないかな。とはいえテキサスの自然は荒廃したとはいえ美しく、ポストロックバンドのエクスプロージョンズ・イン・ザ・スカイによる音楽も効果的に用いられている。派手な展開があるわけでもなく観る人によって評価が分かれるかもしれないが、個人的にはいろいろ身につまされる作品でありました。

2013年の映画トップ5

今年は別に不作の年でもなかったが、無理して10本を選ばずに5本に絞ってみました。観た順で順位は特につけません。

ゼロ・ダーク・サーティ
そのモラルの闇を見つめるさまは決して居心地が良いものではないが、ラスト30分の襲撃シーンの重々しさは見事だった。

Upstream Color
いや、実のところ何を言いたいのかよく分からないんですけどね、でもその映像美と世界観が良いなあと。

パシフィック・リム
娯楽映画としてはこれが今年のベストでしょう。

Escape From Tomorrow
ディズニーランドでゲリラ撮影したというギミックだけが強調されがちだが、撮影は意外なほどしっかりしているし、ウルトラQ的な幻想に浸れる良く出来たファンタジー。

ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!
3部作のなかではいちばん弱いような気もするが、それでも今年のコメディのなかでは圧倒的な入念さをこめて作られていた。細かいネタを見落としたいずれまた観ます。

他には「フライト」「セブン・サイコパス」「ホーリー・モーターズ」とかが良かったかな。一方で世間的の評判の高い「アルゴ」「ゼロ・グラビティ」「Frances Ha」などはさほどでもなかったかと。「The Act Of Killing」が年内に観られなかったのが残念。一方で見逃している作品もたくさんあるわけで、そこらへんは悔い改めながら後日機会があるときに観ていきます。