「FRANCES HA」鑑賞


ノア・バームバックの新作。前作「Greenberg」(邦題忘れた)はコミュ障中年のしっとりとしたラブストーリーだったが、実はその裏ではリアルなネトラレ劇が進んでいたとのことで、自分の奥さんを出演させておきながらもちゃっかり主演女優とデキていたらしく、ついには「Noah Baumbach」でググると「Noah Baumbach cheated」と検索候補が出てくるようになってしまった。ここらへんグーグル様は容赦ないな。とはいえバームバックと主演女優のグレタ・ガーウィグは交際するようになりまして、これが彼らの組んだ2本目の作品。

フランシス・ハラデイはニューヨークに住む27歳の女性。彼女はプロのダンサーを目指しているもののまだ見習いの立場で、家賃の支払いに苦労している次第。親友のソフィとアパートを共同で借りていたがソフィが別の友人と住むことになり、フランシスはレヴとベンジーという2人の男性のアパートを間借りすることに。それでも貧乏の彼女は年末にカリフォルニアの実家に帰ったり、クレジットカードで借金して衝動的にパリに行ったり、ウェイトレスとして働いたりといろいろ遍歴を続けていく。しかし彼女はダンサーの夢を捨てないのであった…というようなストーリー。

夢を熱心に追いかける女性の物語、というよりも人生設計ができなくてフラフラしてる人の話といった感じかな。フランシスは周囲の空気が読めず、男性にもコミットできずソフィたちに迷惑をかけている始末。これ男性だったら相当イヤな奴の話になってたろうな。彼女は運にも恵まれずダンサーの仕事になかなかありつけずにいたりするのだが、あまり中心となるプロットはなくて、フランシスとソフィの友情を軸にフランシスの生き様が描かれていくような構成になっている。

ダンサーとか彫刻家とかライターといったヒップな人たちがいろいろ出てくる、ニューヨークが舞台のモノクロ映画ということで、なんか学生時代によく観てた70〜80年代ののアングラ映画を思い出してしまったよ。でも貧乏とはいえ高そうなもの食ってるし、いいアパートに住んでるのでなんか全体的に甘っちょろい感じがすることは否めない。恋人同士で映画を作るとこういう出来になってしまうのかなあ。

グレタ・ガーウィグ以外の出演者はみんな知らない人ばかり。ソフィ役のミッキー・サムナーってスティングの娘なのか。ディーン・ウェアハムとブリタ・フィリップスが音楽を担当してるほかチョイ役で出演してたらしいが気づきませんでした。

ガーウィグは体がゴツいけどコケティッシュな魅力があるし、ダンスのシーンも躍動感があって悪くはない映画なんだけど、「AVクラブ」などで絶賛されてるほどではないかな。単におれが女心を理解してないだけかもしれませんが。

ちなみにバームバックの次作はドリームワークスのアニメーションになるの???

「ROOM 237」鑑賞


その解釈をめぐって、未だに多くの議論が行われているスタンリー・キューブリックの傑作「シャイニング」に関する妄想ドキュメンタリー。

「シャイニング」にのめり込んだ人たちが、「この映画はこうやって解釈するもんなんだよ!」と持論をひたすら語っていくもので、よく言われる「この映画はインディアンの虐殺についての物語だ」なんていう解釈はまだ可愛いほう。劇中のタイプライターがドイツ製であることから「これはナチスのユダヤ人虐殺に関する映画だ」とか「これはキューブリックがアポロ11号の月面着陸をセットで撮影したことを明かすものであり、原作で出てくる217号室が237号室に変更されたのは、キューブリックが月面の撮影をスタジオ237で撮影したからだ!」などといった意見がポンポンと飛び出してくる。もちろんこれらの根拠は皆無に近いし、スタジオ237というのが何なのかという説明は一切ないわけですが。

あとは「この映画は終わりから逆回しで観るべきだ!」とか、「原作では主人公の車が赤いのに映画では黄色くなってる。そして映画では事故で潰された赤い車が出てくるが、これはキューブリックがスティーブン・キングにクソくらえって言ってるんだよ!」なんて解釈もありました。みんな裏付けできない解釈とはいえ映画をフレーム単位で分析している人もいるわけで、ホテルの間取りをとってみると「ありえない窓」が存在している、などといった説明は面白かったな。いちばんぶっ飛んでたのはあるシーンの背景にスキー選手のポスターが貼ってあることについて「あれはスキー選手なんかではなくてミノタウロスよ!頭をもたげて迷路を進むジャック・ニコルソンもミノタウロスよ!」という意見でした。なぜミノタウロスを出す必用があったかについてはよく説明されてないのですが。

映像的には「シャイニング」およびその他の映画などからの抜粋ですべて構成されており、解釈を語る人たちの映像は一切なく、ナレーションのみがひたすら続く内容になっている。いちおう9つの説が語られてるらしいが明確な区切りもなく、製作側の説明などもないので、1時間半のあいだいろんな人たちの妄想(といったら失礼か)をずっと聞かされる形になります。月面着陸の捏造説を唱える人が「自分は政府に目をつけられていて…」と(ちょっと自慢げに)語るあたりは電波入ってんなあ、と思わざるを得ない。

当然ながら解釈がすべて正しいことはあり得ないのだが、これらの根底にあるのは「キューブリックは画面に出てくるもののすべてを計算し、意図して撮影した」という考えである。しかしいくらキューブリックのように綿密な監督であっても、何かしらの凡ミスを犯しているか、偶然性が映像に含まれていると個人的には考えざるを得ないんだよな。確かにタイプライターの色が劇中で変わるなどのコンティニュイティ—上の不具合は、観る人を混乱させるためにわざと仕組まれたものだったらしいが、とはいえあるシーンで背景の椅子が消えることに深い意味を見いだすのは無理があると思うのよね。

しかし「シャイニング」という映画がいかに綿密に製作された作品であるかを再認識させてくれるドキュメンタリーではあった。それとこういう解釈の議論って、現在のCGだらけの映画では起きにくいのでは。単に「CG係が後ろの椅子を消し忘れてました!」で済んでしまいそうなので。

「CBGB」鑑賞


パンクロックの興隆とともに、ラモーンズやトーキング・ヘッズ、テレビジョンにブロンディといったバンドにライブの場を与えて世に出していった、ニューヨークの伝説的なライブハウスの物語だよ。

バーの経営に二回失敗していたヒリー・クリスタルはめげずにバワリー地区のバーを買い取り、カントリーやブルーグラスのバンドを出演させることを計画する。しかし店にやってきたのは小汚い若造のミュージシャンたちばかりだった。それでも彼らを出演させることにしたヒリーは間に合わせの機材でステージやサウンドシステムを作り、数々のバンドにオリジナル曲を披露する場を与える。これが当時ファンジンの「パンク」誌を出していたレッグス・マクニールたちの目にとまり、やがてバンド目当ての客がCBGBにいろいろやってくるようになるものの、それでも店の経営は厳しくて…といようなストーリー。

おれ自身は2002年にCBGBに行ったことがあるのと、伝記本「CBGB伝説(This Ain’t No Disco)」などを読んでたのでCBGBのことはそれなりに知ってるつもりですが、そんなに経営は苦しかったっけ?確かに店は汚いままだったし、最終的には高騰する家賃が払えずに閉鎖したわけですが、むしろ順調にブランドを築きあげていったサクセス・ストーリーのようなものだと思ってたんだけどね。映画なので話に起伏を持たせる必用があるとはいえ、金がないとか店が汚いといった点を強調するのはどうなんだろう。

上記「CBGB伝説」では共同経営者だったマーヴ・ファーガソンが皆に愛される存在であったことと、彼の脳腫瘍による早すぎる死について詳しく書かれてたのでそれが話のクライマックスになるかと思いきや、劇中では最後までマーヴは健在でした。むしろクリスタルがデッド・ボーイズのマネージメントを手がける話が後半のプロットになるんだけど、「あまりうまくいかなかった」で終わっているのがどうも不満。でもまあザ・ポリスが出演してくれたからオッケー、というラストはどうにかならなかったのか。話が70年代の終わりまでしか描かれていないんだけど、そのあと80年代になってハードコアのバンドが出演するようになり、最近のサウンドにまでつながっていることも紹介すればよかったのに。

あと話のあちこちで映像がコミックのコマみたいになり、「パンク」誌のイラストとかが挿入されたりするんだけど、おかげで話の流れがブチブチ切られるのが非常に不快であった。楽曲の使い方も1分くらい流したら次の曲、といった感じでせわしなく、なんか中途半端なんだよね。いろいろ話を詰め込む必用があったのだろうが、もうちょっと工夫はできなかったものか。

ヒリー・クリスタルを演じるのがアラン・リックマンで、マーヴ役がドーナル・ローグ。あとはルパート・グリントやスタナ・カティック、ジョニー・ガレッキなどといった微妙な知名度の役者たちがいろいろ出て、当時のバンドのコスプレをしています。ルー・リードが似てなかったなあ。

なお当時の人物の描き方については、常連バンドだったザ・ネイルズのボーカルが非難する文章を書いているので一読を。これにも書かれてるように、黒人のミュージシャンがいっさい出てこないのが気になりましたね。俺は1982年のバッド・ブレインズのライブ映像がものすごく好きなのだが、いろんな人種の男女がCBGBに集まり、ライブの熟練者から素人までがハードコアやレゲエで盛り上がっている姿が大変素晴らしいわけですね。こういう高揚感がこの映画には皆無だったのが残念。本国の批評家にも「パンクを搾取してる」などと酷評された作品だが、音楽シーンを変に美化した映画ってのは今後も作られてくんでしょうね。カート・コベインを演じるのは誰だ…。

「Escape From Tomorrow」鑑賞


今年のサンダンス映画祭で何の事前告知もなしに披露され、大きな話題を呼んだインディペンデント映画。何が特徴的かというとディズニーの許可を得ずにディズニーランドでゲリラ撮影を行ったことで、「ディズニーの弁護士の集団がヘリでサンダンスに向かっている」などという噂まで流れたものの、無事に一般公開までこぎつけたらしい。

舞台となるのはフロリダのディズニーワールド。そこに妻と2人の子供たちを連れてきていたジムは、朝から上司の電話で自分が解雇されたことを知らされる。暗鬱とした気分になりながらもそのことを妻子には隠し、皆でディズニーワールドへ向かうものの、期待していたように物事は進まず、妻には小言を言われ、子供たちには失望されてしまう始末。そんななかでジムは2人の魅力的なフランス人の娘たちに出会い、その後何度も彼女たちを見かけるうちに彼女たちに夢中になっていき…というようなプロット。

ジムの不安にあわせて現実と妄想と悪夢が錯綜していくような内容で、最初の1時間は妻子に苛まれ、残りの30分がSFっぽくなる展開。SF要素を排除して、惨めなバケーションだけの話にしても見応えがあったかも。世の中のパパさんは大変ですなあ。ラストも含め「シャイニング」に似てなくもないな。

全編をモノクロで撮影したのは季節感をなくすための策でもあったらしいが、ディズニーワールドのフューチャリスティックなデザインやクラシック調の音楽と相まって、「アルファヴィル」や「ウルトラQ」みたいなレトロ感覚のSF映画の雰囲気が非常に素晴らしい。花火のシーンにおける白と黒のコントラストもハッとするくらいに美しい。またゲリラ撮影したとはいえ満足できるショットを得るために何度もディズニーワールドに足を運んだとのことで、1つ1つのシーンがすごくよく撮れてるんですよね。きらびやかなはずのディズニーワールドを悪夢のように撮るとこうなるのかという。

なお、お姫様と魔女のアナロジー(?)が出てくるものの、ディズニーそのものに対する風刺などは皆無で、あくまでもディズニーワールドという文化をバックにした物語といった感じ。ところどころモザイクがかかってたりピー音が挿入されるものの、どうもあれは監督のジョークらしい。全然ジョークになってないところがさらにシュール感を強めているわけですが。

監督のランディ・ムーアは自費でこの映画を製作し、ディズニーの目を逃れるためにわざわざ韓国まで行ってポスプロ作業を行ったらしいが、今のところディズニーはこの映画のことは知っているものの何の法的措置もとっていない。騒ぎ立てて逆に注目を集めることになるのを避けている、ということらしい。おかげでアメリカでは劇場公開やVOD配信が行われているのですが、日本での公開とはできるのかなあ。単なるギミックではなく、映画としてとてもよく出来ている作品なので、ぜひこの監督にはこれからも映画を撮ってほしいところです。誰か東京ディズニーリゾートでリメークしようぜ!

「Much Ado About Nothing」鑑賞


ジョス・ウィードンが「アベンジャーズ」の製作中に休みをとって、しれっと短期間で撮影した低予算映画。シェイクスピアの「から騒ぎ」の舞台を現代に移し替えたもので、レオナートの屋敷にドン・ペドロの一行がやってきたことで生じる男女2組の恋愛模様と、それを邪魔しようとするドン・ジョンたちの悪巧みが巻き起こす騒動を描いている。

マイナーな登場人物の性別が変更されている点などを除けば、シェイクスピアの原作に非常に忠実らしいのだが…私事で恐縮ですが俺って大学で英文学専攻だったにも関わらずシェイクスピアって殆ど読んだことがありませんでして(授業で無理矢理学ばせられるのが嫌だったのだよ)、この作品もどのくらい脚色されてるのかはよく分からず。

おまけにセリフはすべて当時のままで言い回しが難解だし、登場人物の名前も古めかしくて、誰が誰なのかが分からないまま前半が過ぎていったような。ここらへんは原作に精通している人が観るとずいぶん違った感想になるかと。それでも後半になって話が佳境を迎えてからはどんどん面白くなっていったし、独身主義を貫いていたツンデレの男女が結ばれる結末は非常に微笑ましいものであったよ。モノクロ映画だけど日本でもきちんと宣伝すれば格好のデートムービーになるんじゃないでしょうか。

出演者はクラーク・グレッグやネイザン・フィリオンをはじめ、以前にウィードンと仕事したことのある役者たちが勢揃い。ウィードンは監督・脚本だけでなく作曲も担当し、撮影してるのもウィードンの自宅なので、とてもアットホームな雰囲気に満ちた内容になっている。奥さんが設計した家らしいが、デカくていい家に住んでるよなあ。

舞台を現代にしたことで「彼女は死んだことにしよう!」とか「決闘だ!」といった話の展開はさすがに無理があるものの、そこは目をつむりましょう。コケティッシュな魅力のある良い作品ですよ。