「THE WHALE」鑑賞

ダーレン・アロノフスキーの新作で製作はA24。こないだ海外出張時に現地で封切られているのを知り、映画館に行ってみたら観客は自分ひとりだった!興行的に大丈夫かこれ。以降はネタバレ注意。

アイダホのアパートに独りで暮らすチャーリーは体重300キロの極度の肥満で、歩行器なしでは立ち上がることもできずに部屋に閉じこもって暮らしていた。文学の教授である彼は顔を隠したままオンライン講座で生徒たちを教えて生計を稼ぎ、友人の看護師が身の回りの世話を見てくれていたが、コーラをがぶ飲みしてピザにがっつく生活のために異常な高血圧となって、いつ死んでも不思議でない体になっていた。そんなとき疎遠になっていた娘エリーが彼のもとに現れ、チャーリーは彼女の英語の課題を手伝うことで彼女とよりを戻そうとするのだが…というあらすじ。

チャーリーはゲイという設定で、8年前に妻子を捨てて、教え子だった男性と暮らし始めたものの彼は亡くなり、チャーリーはひとり寂しく暮らす一方で捨てられた側のエリーとその母親からは疎ましく思われている。話の大半はチャーリーのアパートのなかで展開され、4:3の狭い画角のなかでチャーリーと看護師やエリーたちとの密室劇が繰り広げられるわけだが、これ実際に同名の舞台劇をベースにしているのか。その劇作家が脚本も手がけているそうで。背景の変化がなくて登場人物も少ない一方で、早いペースで話が進んでいくので中弛みするようなところは無かったな。

ファットスーツを着込んだブレンダン・フレーザー演じる、肥え太ったチャーリーの外観に当初は驚かされるが、全体的な雰囲気はアロノフスキーの「レスラー」によく似ていた。家庭の面倒を見ることができなかったダメな父親が、擦れた娘とよりを戻そうと不器用ながらも努力するという設定はそのまんま。「レスラー」よりは父と娘の過去がより深掘りされていて、なぜチャーリーがこのように肥満になったのか?という理由が仄めかされつつも明らかにはされていなかった。

「レスラー」でミッキー・ロークがカムバックしたように(そのあとまたどこか行っちゃったけど)、今回の映画も最近はいい役についてなかったブレンダン・フレーザーのカムバック的な作品だと見なされているみたい。でもフレーザーって確かに世間一般には「ハムナプトラ」シリーズのタフなにーちゃん的なイメージがあるのだろうが、個人的には「ゴッド・アンド・モンスター」とか「愛の落日」で見せた繊細な青年の演技が好きだったので、今回のような真面目な役はそんなに意外ではないのよな。ファットスーツのせいか過剰に演技しているように見えるところもあって、看護師を演じるホン・チャウのほうが演技は良かったと思う。

鯨や鳥や宗教などのメタファーがいろいろ散りばめられていて、ちょっと露骨な気もするがこれからいろいろ解読されていくんじゃないですか。個人的には男の美学があった「レスラー」のほうが好きで、あれを作ったのならこっちを作る必要あったのかな?とも感じたけど、ブレンダン・フレーザーは好きな役者なのでこれによってまた出演作が増えてくれるのなら歓迎したい作品。

「CRIMES OF THE FUTURE」鑑賞

デビッド・クローネンバーグによる久々のボディホラー映画だ!と言っても個人的に前作「マップ・トゥ・ザ・スターズ」を見忘れてるので確約できないのだが。以下はガッツリネタバレしてます。

舞台は未来。人々の体は謎の進化を遂げ、痛みや感染症とは無縁の体質になり、簡単に開腹手術などが行えるようになっていた。さらに極端な進化を遂げた者もおり、体内に新たな内臓が生み出される症状を持つソール・テンサーは、パートナーのカプリスにそうした内臓を観客の目前で摘出させるというパフォーマンスを行い、アーティストとして高い評価を得ていた。その一方で政府は人類の予測のつかない進化を警戒し、新たな臓器の登録を行なっていたが、さらに急激な進化を唱える過激派たちが登場して…というあらすじ。

そもそもなぜ人類がそんな進化を遂げたのかとか、政府は臓器を登録してどうするのか、などといった説明は一切ないので気にしない方がいいです。監督が単に臓器摘出がテーマの映画を撮りたかったのでしょう。ストーリーの設定自体は確かにグロいものの、摘出される内臓などは「イグジステンス」のコントローラーのような、シリコン感のあるクローネンバーグ風のプロップなのでそこまでリアルなものではない。生ガキ食べられる人なら大丈夫なんじゃないでしょうか。

ソールが寝るベッドとか、彼の食事を助ける椅子などは「裸のランチ」のタイプライターやエイリアンのデザインを彷彿とさせるし、ソールの置かれる立場は「イースタン・プロミス」みたいだし、そもそも題名自体が1970年のクローネンバーグの作品と同じという、クローネンバーグのグレイテスト・ヒッツみたいな作りになっていて、往年のファンには懐かしく感じられるんじゃないでしょうか。作品の内容自体は斬新なはずなのに、故郷に帰ってきたような気分を抱きながら観てしまったよ。

ただしそうした要素が合わさって総和以上になっているかというと微妙で、やはり世界設定の圧倒的な説明不足が影響しているのでは。監督はガチガチのSFを作る気はなかったのかもしれないが、政府と過激派のかけ合いとか、LifeFormWare社の役割、人類の進化によって世界がどう変わったのかなどをもうちょっと描いたほうが面白くなったような気がする。新しい臓器についても当初はアートとの関係で論じられていたものが、途中から人類の進化に主題が変わっていったような?ちょっと焦点がボケてるんだよな。

ソール役はクローネンバーグ作品の常連であるヴィゴ・モーテンセン。なんか撮影前に怪我したとかで、長時間立ってられなかったとか?忍者みたいな格好でしゃがんで話すのが妙にカッコいいぞ。カプリス役にレア・セドゥ。臓器の登録オフィスの助手役にクリステン・スチュワートだが、スチュワートは有名人すぎるので、この役はもっと無名の役者が演じた方が効果的だったかもしれない。手術マシーンの修理を手伝う女性ふたりとか、冒頭に出てくる少年の母親とか、無名の役者(失礼)が演じる女性のほうがミステリアスな雰囲気があってよかったな。

クローネンバーグの久々のボディホラー、と過度に期待すると肩透かしをくらうかもしれないが、悪い作品ではないです。内容が内容だけにろくに宣伝もできず興行成績は散々だったらしいが、次の監督作も決まってるようなので期待しましょう。

「ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー」鑑賞

感想をざっと。以下はネタバレ注意。

  • 前作の主役を務めた役者が他界してしまったという、そもそも続編を作れるの?という状況から続編を作ってしまったという点では特筆すべき作品。個人的にはエンターテイメントたるものザ・ショウ・マスト・ゴー・オンだと考えているので、ティチャラ役がリキャストされても全く気にはならないのだが、建前上そうもいかなかったのでしょうね。ティチャラの死はプロットの要になっており、それは敬意なのか搾取なのか。しかし以前からマーベル映画に出ていた役者などはどんどん年をとっていくわけで、いずれは主要なキャストの交代も真剣に検討しなければならない時期が来ると思うのだがどうするんだろうなあ。
  • 大まかには君主がいなくなった後の国の護りについての物語で、そこにネイモア率いるタロカン王国が攻めてくるわけですが、そもそも彼らの持つヴィヴラニウムを狙ってるのは欧米諸国なわけで、ワカンダとタロカンが戦わざるを得なくなるまでの話の持っていきかたがちょっと弱かったような。
  • ネイモアの脚色は良かったんじゃないですか。コミックではマーベル最古参のキャラクターとはいえ「コスチュームが海水パンツ」「アンチヒーローというよりも単に横柄な奴」「あまり特徴的な能力を持っていない」ということでいまいち主要キャラになれてなかった印象があったのです。それが今回は中南米風のオリジンが加えられ、コミックではカッコ悪かった足首の翼も大活躍でいいキャラになってたと思う。
  • 部下のアトゥマやナモーラの肌の色が変わるのって説明あったっけ?「アクアマン」のアトランティスとの差別化のためかもしれないが、タロカン王国って暗すぎやしないか。3Dメガネかけての鑑賞はキツいのでは。
  • 新しい出演者としては、リチャード・シフがクレジット上で「特別出演者」みたいな扱いを受けていたのは何だったんだろう?5分くらいしか出てなかったと思うが。「I May Destroy You」などで高い評価を得たミカエラ・コールが出演するということで、むしろ彼女が主役級の扱いを受けるのかなと勝手に考えてたら意外と小さい役だった。あとAIの声役のトレバー・ノアが今回はちゃんとクレジットされてましたね。
  • これはマーベルのフェイズ4映画全般に言えることだが、「エンドゲーム」を未だに引きずっているというか、フランチャイズの人気に乗って滑空飛行しているというか、じゃあ次はどこに話を持っていきたいの?というのがよく分からない。新しいキャラクターも登場させて彼らのバックグラウンドも丁寧に説明しているものの、TVシリーズも含めたフランチャイズの拡大のための種まきという印象が拭えず。アイアンハートとか、この作品で出す必要あったか?おかげで話が冗長になって上映時間が長くなる一方で盛り上がりに欠ける作品が続いているような。いちおうこれがフェイズ4の最後の作品のようなので、今後の大イベント(アベンジャーズ映画?)に向けて全体的な引き締めが行われることに期待します。

「Weird: The Al Yankovic Story」鑑賞

先日の「SLUGFEST」など、微妙に尖ったコメディ番組を打ち出してくるROKUチャンネルのオリジナルムービーで、パロディ・ソングの王様ウィアード・アル・ヤンコビックの(偽)伝記映画。これ9年前にFUNNY OR DIEでフェイクの予告編だけ作られて話題になったものが、今になって本編が作られたものみたい。主役のアーロン・ポールをはじめ役者はみんな交代しているが監督のエリック・アペルは予告編と一緒か。

ヤンコビックが子供のときにセールスマンから買ったアコーディオンを学び、ノベルティ・ソングのDJであるドクター・ディメント(って知ってる?日本でもFENで彼の番組やってたんよ)に見出されるまではまあまあ史実に基づいているものの、ミュージシャンになることを親が理解してくれなかったとか、マドンナと恋仲になって酒に溺れるといった展開はみんなウソ。彼のパロディ・ソングと同じく、ロックンローラー映画のパロディとして観て楽しむのが良いでしょう。

2分弱の予告編として完成していた作品を2時間弱の長尺にしたわけだが、変に水増ししたような部分もなく、彼がミュージシャンとして目覚める過程や南米での冒険といった話が詰め込まれていて面白い内容になっている。主演のダニエル・ラドクリフ、同じ伝記映画の「The Gamechangers」ではパッとしなかったがここではヤンコビック役を熱演(歌は吹き替え)。バッキバキになった腹筋も見せつけてくれるが、あれが本物なら次のウルヴァリン役に噂されるのも理解できるな。エヴァン・レイチェル・ウッド演じるマドンナもマンガみたいなキャラクターで大変面白かった。

有名コメディアンや俳優が大量にカメオ出演しているのも特徴的で、ドクター・ディメントをレイン・ウィルソンが演じているほか、ジャック・ブラック、コナン・オブライエン、リン=マヌエル・ミランダ、パットン・オズワルドなどといった有名どころがセレブや一般人を演じている。タイニー・ティムとピー・ウィー・ハーマンとディヴァインが並ぶ映画ってこれくらいのものじゃないのか。ヤンコビック自身もレコード会社の重役として出演してるよ。

なお劇中で何度も言及されるもののマイケル・ジャクソンは登場しなくて、あれ遺族が肖像権とか厳しく管理してるのかな。IMDBのトリビアによるとフレディ・マーキュリーを出したいとザ・クイーンに打診したところ断られて、代わりにジョン・ディーコンならOKということになったらしいが、ああいうのどういう承認手続きが必要なんだろう(しかもディーコンは劇中でジョークのネタにされているし)。

ヤンコビックって、特に日本ではイロモノとして見なされてるようなところがあって、まあ実際にイロモノだから仕方ないのだけど、彼の創作過程やコンサートを追ったNYタイムズのポッドキャストを聴けばわかるように、とても真摯に曲作りを行う人だし、彼のファンも熱心にコンサートに足を運んだりして大きなファンダムを形成してるんですよ。劇中の描写と違って彼の活動を当初から支援してくれた両親が、一酸化炭素中毒で事故死したショックから彼が立ち直った話とかも結構感動的なんだけど、この映画ではそれでいいのかというオチで1985年で話が終わってしまってるのが勿体ない。まあいずれヤンコビックのもっと真面目な伝記映画を作る人が現れるのではないかと勝手に期待しておく。

「The Unbearable Weight of Massive Talent」鑑賞

ニコラス・ケイジが本人を演じる、というギミックめいた設定で日本でも話題になっていた覚えのある作品。日本では「マッシブ・タレント」の邦題で来年公開?ハリウッドの内輪ネタばかりの陳腐な作品になっていたら嫌だな…と思っていたら普通に楽しめる痛快アクションコメディであったよ。

主役のニコラス・ケイジは過去に「フェイス/オフ」とか「コン・エアー」などヒット作に出ていたが、最近は望んだ役をゲットできずに借金が募り、妻や娘とも疎遠になっている中年役者という設定。本物のケイジには娘がいないので、ここらへんフィクションが入ってることがよく分かりますね。失望したケイジは役者を辞めることを決意し、借金を返すためマヨルカの大金持ちであるハビという男性の誕生パーティにゲストとして呼ばれることにする。ハビはケイジの熱心なファンで、自らも脚本を執筆するほどの映画ファンでありケイジも彼に打ち解けるのだが、実はハビがギャングのボスで、大統領の娘を誘拐しているらしいことをケイジは知るのだった…というあらすじ。

おれニコラス・ケイジの映画って(いかんせん数が多いので)それなりに観ているのですが、最近は「マッド・ダディ」みたいなサイコな役ばかりで流石にウンザリしていたところに、昨年の「PIG」が出てきて役者としての原点回帰なるか?と考えてたのです。それが今作では本人役を演じるということで、その自己主張の強い題名とあわせて本人の悪趣味なカリカチュアを演じるのかと思っていたら、意外と家族思いのパパという役でいい感じ。若かりし頃の自分と幻想で対面しつつ、過去の出演作へのオマージュをうまく散りばめながらケイジの自分探しの話が展開される。最後のクライマックスでまたサイコな演技をしている…と思わせてうまく着地するあたりは見事でした。

どこまでもケイジ印の作品である一方で、ハリウッド映画(というかニコラス・ケイジ映画)に憧れるハビが実にいい役で、実質的にケイジとハビのバディ・ムービーにもなっている。ペドロ・パスカルが好演しているが、ケイジ自身もニコラス・ケイジ役でなくハビ役を希望したほどだとIMDBに書いてあった。あとの出演者はティファニー・ハディッシュなど。奥さん役はコニー・ブリットンだと思ってずっと観てたらシャロン・ホーガンという人だった。顔が似てるよね?

主演男優が本人役を演じる、という設定で敬遠する人もいるかもしれないが、普通に楽しめるよくできた娯楽作品であった。監督&脚本のトム・ゴーミカンって過去に手がけた作品はそんなに多くない人のようだけど、こういうのは脚本の勝利ですね。