「ヘイワイヤー」鑑賞


スティーブン・ソダーバーグの新作で、脚本は彼と何度か組んでるレム・ドブス。

マロリーはアメリカ政府に雇われた私企業の特殊エージェントで、バルセロナに監禁されている中国の要人を救出するというミッションに成功したのち、新たな指令を受けてダブリンに向かうものの、そこで仲間のエージェントの裏切りに遭う。自分がワナにはめられたことを知ったマロリーは単身ダブリンを抜け出し、アメリカに戻って彼女の元上司に復讐を誓うのだった…というようなストーリー。プロット自体は比較的シンプルなんだけど、登場人物が多いことやフラッシュバック形式で話が語られることから、ちょっと物語を追うのがしんどいところがあるかも。

主人公のマロリーを演じるのは現役の総合格闘家であるジーナ・カラーノで、これまでの演技経験は殆ど無し。ソダーバーグがたまたまテレビで彼女の試合を見て惚れ込んだらしいが、そんな彼女を主役に起用し、さらにマイケル・ダグラスにユアン・マクレガーにマイケル・ファスベンダーにチャニング・テイタムにアントニオ・バンデラスなどといった、やたら豪華な男優たちを脇役に揃えてしまうところがソダーバーグの凄いところか。そしてこのうちの何人かは当然ながらカラーノに劇中でボコボコにされてます。

女性格闘家が主役のアクションというと「ビデオボーイ」の裏表紙とかで宣伝されてたようなB級・C級のビデオムービーが連想されるのですが。この作品はソダーバーグが撮っているだけあって格闘シーンなども非常にスタイリッシュなものになっている。そしてやはり現役の格闘家であるカラーノのアクションが非常にさまになっていて、回し蹴りとかジャンプしてグーでパンチする姿などがいちいち決まっており、当たったらマジで痛そうだなあ。相手をしとめるのに遠くから狙撃などせず、後ろから走ってきてブン殴るというのは仕事の効率的にどうよ、という気がしなくもないけど。彼女はルックスも演技も悪くはないので、今後もいろんな映画で見かけることになるんじゃないかな。

アクション・サスペンスとはいえ派手なドンパチが繰り広げられるような内容ではないので、アメリカでは批評家たちには褒められた一方で観客の評判は芳しくなかったらしいけど、個人的には結構楽しめた作品でした。

「SHAME -シェイム-」鑑賞


何となく田山花袋の「少女病」を連想してしまったよ。特に地下鉄のシーンとか。これ主人公がニューヨークのオサレなアパートメントに住んでいる高級取りのイケメンをスタイリッシュに撮っているから成り立っている作品であるわけで、これが埼玉の格安賃貸に住むブサメンの色情狂とメンヘラの妹という設定だったらまた違った話になってたんだろうね。個人的にはそっちも観てみたかった気がするが。

同じ監督&主演の前作「ハンガー」が密室劇に近かったのに比べ、こっちはニューヨークでの屋外ロケなども行ってずいぶん映画としてこなれてきたな、という感じ。セックス依存症という微妙なテーマを、美しい映像によって美化することも卑下こともせずきちんと描いているのは巧いな。特に鏡を効果的に使った映像が見事で、ここらへんはやはり芸術家が監督やってるのことはあるね。

そして普通の生活を装うとするものの自分の渇望を抑えきれず、奈落の底に落ちていく主人公をマイケル・ファスベンダーが文字通り体を張って熱演している。こないだの「A Dangerous Method」のときも書いたように、彼って受け身というか周囲に翻弄されるタイプの役が多いので役者としての力量がいまいち掴みにくいんだけど、ここでは心に大きな虚無を抱えた主人公にその演技がとてもよく似合ってるかな。一方のキャリー・マリガンは彼を更正させる無垢な女性の役を演じるのかと思ってたら、彼以上に精神的にヤバい人の役だったんですね。少し意外な設定でしたが悪くはない役でしたよ。

まあやはりアートな映画という印象は拭えず、例えばニューヨークの精神的に不安定なヤンエグ(死語)の話だったら「アメリカン・サイコ」、依存症の話だったら「レクイエム・フォー・ドリーム」などのほうが優れている気もするが、どうにもならなくなって苦悶に顔をゆがめるファスベンダーの演技を観るだけでも価値はあるかも。いっそこのまま二次元萌えとかに目覚めてくれればとても面白い話になったかもしれないが…。

「Into the Abyss」鑑賞


こないだ「世界最古の洞窟壁画 3D 忘れられた夢の記憶」が日本でも公開されたヴェルナー・ヘルツォークの新作ドキュメンタリー。

アメリカの死刑囚をテーマにしたもので、舞台となるのは(当然ながら)テキサス。2001年にマイケル・ペリーとジェイソン・バーケットという2人のティーンエイジャーは、ある女性の家にあった赤いカマロを盗むためにその女性を殺害する。さらに帰宅した女性の息子とその友人も殺害し、遺体を湖や森の中に廃棄するのだが、数日後に警察と銃撃戦をした末に逮捕され、ペリーは死刑を、バーケットは終身刑を言い渡される。そして2010年に死刑執行を数日後に控えたペリーにヘルツォークは面会し、さらに彼の友人や被害者の遺族、当時を知る警官などにも会って事件と死刑の重さを浮き彫りにしていく。

まだ30歳にもならず童顔のペリーは「僕はクリスチャンだから死んだら天国に行けるんだ」と語り、彼もバーケットも自分たちの罪を明確には認めていないわけだが、事件の真相を明かすというよりも当時いったい何が起きたのかが映画のなかで詳しく語られていく。1つ驚くのは加害者と被害者の周囲における不運というか恵まれない状況の数の多さで、殺された女性の娘は6年のあいだに他の親族も次々と亡くなったと語り、バーケットの父親と兄弟は別の罪で同じ刑務所に入れられ(父親の刑期は40年)、3人目の被害者(息子の友人)の兄もまた刑務所に入れられていた。単にこれがテキサスの低所得層の生きざまなのかも知れないが、もっと得体の知れない因果といか業のようなものを感じてしまったよ。

そしてペリーは死刑執行の直前に被害者の遺族へ「僕はあなたたちを許します」と述べ(ふつう逆だろ)、薬物注射される死刑台へと向かっていく。一方でバーケットは父親が刑務所から一時的に出てきて法廷で熱く彼を弁護したことが効いて死刑でなく終身刑を与えられ、40年後に来るかもしれない仮釈放の機会に思いを馳せている。さらに塀の外から彼のことを知った女性が彼と恋に落ち、彼と結婚したばかりか、手を握ることくらいしか許されてないはずなのに彼の子供を身ごもってしまう!あれ本当にバーケットの子供なんだろうか。その女性は自分が「囚人グルーピー」であることは否定するものの、言動がちょっと不思議ちゃんなんだよな。

他にはテキサスで初の女性受刑者の死刑を執行したあとに神経衰弱となって死刑反対の立場をとるようになった元職員の話などが興味深かったな。常識を逸した話もいろいろ出てくるものの、みんな目に涙を浮かべながら真剣に話しているのを見ると、作品のタイトルのごとく人間性の深淵を覗いているような気分になってくる。

ヘルツォーク自身は画面に登場しないものの、あの特徴ある訛りの声で喋ってるので存在感はありまくり。死刑に対する彼のスタンスは作品中だとあまり明確にされないものの、このインタビューによると死刑には反対しているらしい。また一般人とは異なり自分の死ぬ日時を明確に分かっている死刑囚たちと話すことによって、生きるということが再認識されることに惹かれてこの映画を作ったのだとか。

なおこの作品には、別の死刑囚たちとヘルツォークとの面談を扱ったスピンオフ的な全4話のTVシリーズがあるらしく、そちらもぜひ観てみたいところです。

「A Dangerous Method」鑑賞


デヴィッド・クローネンバーグの新作。これ国内配給は決まってるんだっけ?

舞台は1900年代初頭のチューリッヒ。ロシアの令嬢のザビーナ・シュピールラインがヒステリーの症状のため精神病院に入れられたとき、そこの医師であったカール・ユングはジークムント・フロイトが提唱していた「お話し療法」を彼女に試み、ザビーナの話を聞くことで彼女の疾患の原因が幼少時の父親からの虐待によることを知る。その後にユングはフロイトと面会し、2人のあいだには師弟関係が生まれるものの、すべての要因を性的なものに求める権威主義的なフロイトと、神話などの超自然的なものにも興味を抱くユングのあいだにはやがて亀裂が生じていく。さらに妻子のいるユングがザビーナと不倫関係になり、ザビーナ自身が精神科医になることを目指したために、私生活と仕事の両面でザビーナとユング、そしてフロイトの3人の人生は絡まりあってゆく…というようなプロット。

登場人物はみな実在した人たちで、彼らをもとにした演劇の作家をそのまま脚本家としても起用したためかセリフがやたら多い印象を受ける。アカデミックな人たちの会話なので決して説明口調っぽくは聞こえないものの、セリフを喋るのに手一杯で演出などが少しおろそかになっている感があるのが残念なところか。

話の内容が内容だけにいくらでもテーマを深読みすることができて、20世紀の精神医学の黎明期の陰にはザビーナという女性がいたということをはじめ、精神病の患者と医師が紙一重であることや性的な抑圧からの解放などいろいろ読み取ることはできると思うんだが、全体的にまったりとしてるのでストーリーのポイントが掴みにくい気もする。まあクローネンバーグの作品って概してそんなものかもしれないが。

俺が思うにクローネンバーグって90年代までは肉体の変化をモチーフに映画を作ってた人で、それが2000年代になってからはアイデンティティの変化を扱うようになり、2010年代になってまた少し方向性が変わってきたのでないかと。そういう意味ではこの映画は「スパイダー」みたいな過渡期にあるところの作品なのかもしれない。まあ既に撮影されている次回作「Cosmopolis」でここらへんはハッキリするのかもしれないが。あと医者と患者の物語という点では「戦慄の絆」を連想しました。

話の主人公はマイケル・ファスベンダー演じるユングなんだけど、基本的に受け身の立場の人なので地味な印象は拭えない。それに対してザビーナを演じるキーラ・ナイトレイは汚物にまみれたり顔を歪めたり変な帽子をかぶったりと体を張った演技を見せつけてくれるものの、「頑張って演技してることが分かってしまう演技」なのがちょっと残念。フロイトを演じるヴィゴ・モーテンセンは師匠として落ち着いてるようで実は自分の立場を気にする小ずるさが分かる演技がよかったな。それと登場するシーンは少ないものの、医者なのにユングの患者となって性的解放の素晴らしさを吹聴するヴァンサン・カッセルの役がいちばん面白かったかな。ブラック・ジャックに対するドクター・キリコみたいな感じで。あとは夫の不倫に気付かぬふりをしながら、実はザビーナへの対抗心をメラメラと燃やしているユングの妻を演じた役者が良かったです。

前作「イースタン・プロミス」ほどの傑作ではないものの、興味深い作品であることは間違いないし、とりあえずやはり「Cosmopolis」を待ってから今後のクローネンバーグがどういう方向に進んでいくのかを知りたいところです。

「コーマン帝国」鑑賞


ハリウッドのメジャー・スタジオとは無縁に50年代から映画を製作し続け、エログロのエクスプロイテーション作品を作る一方でコッポラやスコセッシといった監督たちに映画業界へのきっかけを与えたB級映画の帝王ことロジャー・コーマン大先生の集大成的ドキュメンタリー。(厳密に言うと正しい意味での「B級映画」は一本も作ってないんだけどね。まあいいか)

あと数日で86歳という年齢ながらも未だに現役で撮影現場に顔を見せ、オフィスで編集作業に目を光らせるコーマン先生の経歴を、本人や家族および彼の門下生たちのインタビューを重ねて語っていく内容になっていて、マーティン・スコセッシやロバート・デニーロ、ピーター・フォンダ、ロン・ハワード、ピーター・ボグダノヴィッチ、ジョー・ダンテ、パム・グリアー、ジョナサン・デミなどといった錚々たる面子が登場するぞ。いちばん多くを語るのがジェック・ニコルソンで、デビッド・キャラダインとかポール・バーテルといった鬼籍に入られた人たちのインタビュー映像も出てくる。ジェームズ・キャメロンが出てこないのは予想してたが、フランシス・フォード・コッポラが出てこなかったのは少し意外だった。

映画業界での仕事を希望して20世紀フォックスで働きはじめたものの仕事に失望して辞め、自分で映画を製作するようになり、持ち前の反骨精神を活かして若者たちが喜ぶカウンターカルチャー的作品を世に出して成功する一方で、ベルイマンやフェリーニ、黒澤明といった海外のアート系映画の配給も手がけて批評家の高い評価も得るようになる。現在の製作者の悩みのタネである年齢指定のシステムも、導入された当時は逆にそれによってR指定の作品の表現の幅が増えたという証言が興味深かったな。

そして70年代に登場した「ジョーズ」と「スター・ウォーズ」という2つのヒット作のおかげでメジャー・スタジオが資金を大量に流入してブロックバスター作品を製作するようになり、資金的に勝ち目がなくなったコーマン作品はやがて劇場からケーブル局やビデオへと活躍の場を映すことを余儀なくされる。これらのことを微笑みながら静かに語りつつも、人種差別に対する自分の信念をぶつけた「侵入者」で初めて金銭的に損をしたり、「イージー・ライダー」への出資から手を引いたことで結果的に大損をしたことを語るときは真剣な眼差しになったりして、映画に対する気持ちはまだまだ若いなあといった感じ。

俺は彼の自伝「私はいかにハリウッドで100本の映画をつくり、しかも10セントも損をしなかったか」を読んでいたこともあり、必ずしも目新しい話は出てこなかったんだけど、インタビューに加えて手がけた作品の映像がふんだんに使われ、コーマンを知らない人にとっては格好の入門書的映画になるんじゃないかな。締めくくりはこないだのアカデミー功労賞の授賞式という格好のシーンで終わるわけだが、「映画は共同作業なので妥協する必要があるんだが、賭けに出ることも大切なんだよ」という彼の受賞スピーチは大変素晴らしいので、それが短くカットされてるのは少し残念だな。とはいえ最後に「ロックンロール・ハイスクール」のラモーンズの映像を持ってくるあたり、うまくツボをおさえたドキュメンタリーになっていると言えるでしょう。