「The League of Extraordinary Gentlemen: The Black Dossier」解読中

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アラン・ムーア&ケビン・オニールによる「リーグ・オブ・エクストラオーディナリー・ジェントルメン」の最新作「The League of Extraordinary Gentlemen: The Black Dossier」がこないだついに発売された。前2作が6冊ずつのミニ・シリーズだったのに対し、今回は1冊のハードカバーになっている。それなりに知名度の高い作品であるにも関わらず、ずいぶんひっそりと発売された感があるのはやはりムーアとDCの確執の影響なんだろうか。何にせよさっそく入手したので読んで感想を書こうとしたのですが…

筆舌に尽くせない難解さ。

ムーアが自分の趣味に走って走って走りまくって暴走した結果にこうなりました、というのが如実に感じられる作品。前2作は基本的に冒険活劇が中心で、そのなかに19世紀末の小説や文化に関するリファレンスが散りばめられていたのが楽しかったのですが、今回はシェイクスピアから20世紀前半の映画に至るまで様々な歴史・文化・教養に関するリファレンスがてんこ盛りになっていて、それが完全にメインのストーリーを喰ってしまっている。

例えば冒頭で主人公たちが泊まっている下宿に口の悪い大家さんが出てくるんだけど、あれはどうもジェリー・コーネリアスの母親だそうな。普通そんなの絶対分からないって!例によって有志による注釈のページも立ち上がっているのですが、「フロム・ヘル」のようなムーアによる公式の注釈がないため、すべてのリファレンスが解読されたとは言い難い。まるで登場人物のセリフや背景に描かれた小道具の殆どが何かしらについて言及しているようで、意味不明、もしくは作者の意図したことを十分に理解できていないという感を抱きながら本を読み進めていくことになるんだよね。あと最近のムーアの作品に顕著なことだけど、ポルノ的描写が多すぎ。「ロスト・ガールズ」同様に女性蔑視というよりも性に開放的な表現がされているけど、別にここまで多くしなくてもいいんじゃなかったのか?

本の装丁もかなり暴走していて、「本のなかの本」という形で途中に3カ所ほど小説(散文)が挿入されていたり、ティファナ・バイブル(ちゃんと紙のサイズが違う)が挟み込まれていたり、終盤では話がどんどんメタフィジカルになるのに合わせて赤と青の3D処理がされ、それを見るための専用メガネがついていたりと、もうやりたい放題。噂ではSPレコードをつけるという話もあったそうな。

とまあ、こんな感じであらゆる方向へ常識を逸脱している作品なので、これについてきちんと感想をまとめることはできそうにないです。まだ小説の部分とかは読み切れてないし。だから自分の読書メモのような感じで、各箇所の説明や、読み進んでいって感じたことを箇条書きで何回かに分けて挙げていくことにします。

まずは第1回目:

・主人公となるのは年をとっていないミナ・マーレイと、若返ったアラン・クォーターメイン。キャプテン・ネモなどは登場せず(言及はされる)。
・舞台は1958年のイギリス。第二次大戦のあとに「1984年」のビッグ・ブラザーによる統治が行われ、その統治が終わった(覆された)頃という設定になっている。ビッグ・ブラザーの影響でニュースピークが随所で使用されている。
・ビッグ・ブラザーに代わってイギリスを実質的に支配しているのが「007」シリーズの”M”。彼の正体は何か?というのが大きなプロットになっている。
・かつては国のために活動していたミナとアランは政府との関係を断絶し、今はむしろ追われる身になっている。
・冒頭でミナはジェームズ・ボンドをかどわかして”M”の本拠地に潜入。過去から現在に至る様々な「リーグ」の歴史が綴られた「黒本(Black Dossier)」の入手に成功。
・ミナはクォーターメインとともに下宿に帰り、「黒本」を読む。ここから「黒本」の中身がしばらく紹介される。黒本は基本的に内容が歴史順に並んでいて、太古の昔から20世紀までのことが書かれている。
・まずは「ON THE DESCENT OF THE GODS」という、古の神々がいかに人間と関わってきたかを記した散文。クトゥルフ神話の神々が登場して、それからメル二ボネ帝国が勃興して…といった感じでなかなか楽しい偽史が語られていく。

とりあえず今回はここまで。まだまだ先は長いぞ!

アイク・ターナーの訃報

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アイク・ターナーの音楽なんて聴いたことないし、彼が他界しても別に何とも思いませんが、ニューヨーク・ポストのこの見出しは強烈すぎ。これって許されるのか?

一応説明しとくと、この見出しは「アイクがティナより先に死んだ」とも「アイクがティナを殴り殺した」とも解釈できるわけ。アイク・ターナーってティナ・ターナーへの虐待で悪名高かったからね。もしかしたらニューヨーク・ポストは「オニオン」よりもジョークのセンスが冴えているのかもしれない。

「Futurama: Bender’s Big Score」鑑賞

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来た!観た!「フューチャラマ」の復活DVDムービー第1弾。ここに辿り着くまでは長い年月だったなあ。トレーラーがショボかったのと、冒頭で下ネタとグロがちょっと多かったことからあまり期待してなかったんだけど、なんのなんの見事に期待以上の出来を誇る作品になっていた。

話の舞台となるのはTVシリーズが終わってから2年後の3007年。プラネット・エクスプレスの面々はヌーディスト・ビーチで出会ったエイリアンたちによってオンライン詐欺にあい、事務所の資産をすべて奪われたほか、ベンダーはエイリアンの作ったウィルスをダウンロードしたことで彼らの言いなりになってしまう。さらにエイリアンたちはフライの尻になぜかあったイレズミに、時間旅行を可能にするコードが隠されていることをつきとめ、このコードを使ってベンダーを過去に送り、歴史上の財宝をごっそり奪い取らせてくるのだった。すべての財宝(エディ・ヴァン・ヘイレンのギターとかもある)を奪ったエイリアンは、もう誰も過去に戻れないようにフライを抹殺しようとするが、間一髪のところでフライはコードを使って2000年に逃亡する。そこでエイリアンたちはベンダーを過去に送り、彼にフライを殺させようとするのだった…。というのが主なプロット。タイム・トラベルが関係しているだけに、後のほうになると何人ものフライやベンダーが登場してきて話の時間線がかなり複雑になってくるが、「フューチャラマ」ならではのドタバタのおかげでそんなに気にはならない。

とにかく復活を待ちわびたファンたちへのサービスが満載の中身になっていて、プラネット・エキスプレスの面々はもちろん、ロボット・サンタやハーレム・グローブトロッターズ、そしてもちろんヒプノトード様といったマイナーなキャラたちも総出演。アル・ゴアも本人役で出てきて、とんでもないネタをやらかしてくれる。ウサギのビンキーもちょっと出てるでよ。ジョークもキツいのから他愛ないのまでがテンポよく出てきて観る人を飽きさせない。

そしてこのシリーズの強みの1つであり、「シンプソンズ」では決してきちんと表現できなかった「若者の恋物語」が今回もきちんと押さえられているのが素晴らしい。従来のフライとリーラの関係に加えて、今回はラーズという男が出てきてリーラと恋仲になってしまうのが重要なサブプロットになっている。いちおう俺と同年生まれという設定のフライが、いつまでたっても女に恵まれずダメ男のままでいるのを観るとものすごく共感してしまうのです。「シンプソンズ」の劇場版はまだ観てないけど、あっちよりも優れた作品なんじゃないのかな。

技術的な面ではシリーズ初となるHDの映像が奇麗でいい感じ。DVDの特典にはコメンタリーのほか「EVERYBODY LOVES HYPNOTOAD」のフルエピソード(30分ヒプノトードが映ってるだけ)なんてのもあってなかなか楽しい。「フューチャラマに関する数学教室」なんて映像もあるんだが、あれを観るとデビッド・コーエンをはじめとするスタッフが筋金入りのギークだってのがよく分かるぞ。

とまあ、DVD第1弾はそれなりの傑作だったと思う。あと3つDVDムービーが作られる予定なので、今後の期待はいやがうえにも高まるなあ。これらが売れてついにはTVシリーズの復活につながると最高なんだけどね。

The best music of 2007

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「AVクラブ」において2007年のベスト・アルバムが選出されていた。1位がアーケード・ファイアに2位がザ・ナショナル、3位がレディオヘッド…などなど…去年もまったく同じこと書いたけど、聴いたことないアルバムばっかだなあ。知ってるのはせいぜい13位のモデスト・マウスのやつくらいか。今年は近所に図書館が新しく出来たこともあって、積極的に新しい音楽を聴くようには務めてたんだけどな。

そういやマイブラの新譜が年内に出るという話はどうなったんだろ。

「メトロポリス」のリメイクだぁ?

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俺が今までいろいろ映画を観てきたなかで、生涯のナンバー1作品はフリッツ・ラングの「メトロポリス」(1927)であることは以前にもどっかで書きましたが、その「メトロポリス」のリメイク話が持ち上がってるそうな。最近のリメイク狂いもここまできたか。しかも関わってるのはカロルコの古ダヌキ、マリオ・カサールだって。

「メトロポリス」の何が素晴らしいかというと、特殊効果はおろか音声も色もなかった時代に、あれだけの壮大な物語を脚本と演出で描ききったことが1つ。それと20世紀前半における社会の機械化に対する憧れと畏怖、資本家と労働者の広がる格差といった当時の思想が巧みに表現されていることに俺は感服してしまうのです。あとナチスの影響もどっかに出てるはずだ。要するに今から80年もの昔に、膨大な人力を動員して1927年のツァイトガイストを具現化すると同時に当時の未来に対する希望と恐れを映しだしている作品なわけで、これは今となっては文字通り失われた芸術だよなあ。実際にフィルムの一部は失われているし。とにかく作品の持つパワーというのが半端じゃないのです。

で、これを今になってリメイクしようとしたってさ、窓の外には高層ビルが建ち並び、あらゆるものが機械でオートメーション化されてる時代に我々は生きているわけで、そこでリメイクすることに何の意義があんの?美女に化けるロボットなんて今どきどこのガキも驚きませんぜ。そんなんだったらメディア王を描いた「市民ケーン」をリメイクしたほうがまだ現代に通じるものがあると思うけどね。

その昔マドンナがPVで「メトロポリス」をパクったときも頭にきたが、今回はもっと非道くなりそう。せめてジョルジオ・モルダーがやったような、最近の音楽をつけて再公開するくらいの程度にしといてくれないかね。