「イングロリアス・バスターズ」鑑賞

最近よく映画における「話の落とし方」というか「クリーシェの必要性」などについて考えることがありまして、要するに手垢がついたような使い古されたストーリーテリングがあったとしても、それは観客が好んだからこそ使い古されてるわけで、そういう王道のパターンに話を持っていくというのは、変に奇をてらった展開を持ち込む以上に重要かつ技巧が試されることなのではないかなあと。音楽でもコード展開は無数にあるものの、人の耳に快いものは結局限られているのに似ているかもしれない。

そして「イングロリアス・バスターズ」を観ててたらそういうことを連想してしまったんだが、この映画は話の展開にどうも引っかかるところがあって十分に楽しむことが出来なかったのでありますよ。具体的にどう引っかかったのかというと、ネタバレになるから白文字で書かせてもらうが:

・親の仇は子が討たなければいけない。
・最後にドンパチがある場合、主人公はそこで活躍しなければいけない。あるいは少なくとも主人公はその場にいないといけない。
・敵役が非道な方法で殺される場合、その敵役はその死に方に見合うだけの悪人として描かれなければならない。職務に忠実な軍人として描かれ、観客の共感を得るようなことはあってはならない。

というような「お約束事」がみんな破かれていたので、どうも違和感を感じずにはいられなかったのだよ。かといって悪い意味で常軌を逸した映画かというと必ずしもそうではなくて、個々のシーンの演出などはきちんとできているから評価に困ってしまう。特に地下の酒場のシーンなんかはスリリングで非常に良い出来なんだが、あとでよくよく考えてみると、あそこまで時間を割くほど重要なシーンだったのかは疑問が残ってしまう。この映画はなんかそういう変な感触がいろいろな点で残る作品であった。それと実際にタランティーノがどこまで戦前のドイツ映画を偏愛してるのか知らないけど、パルプ映画やヤクザ映画のときと違って、クラシック映画の蘊蓄が語られるあたりにはどうもスノビズム的なものを感じてしまったよ。

まあ個人的に昔からタランティーノの作品は、好きとか嫌いとか以前にどうも感覚的に受け付けないところが多々あって、それはティム・バートンの作品もそうなんだけど、俺は彼らの趣味についてけない客層の1人になるのかな。俺の前の席では外人連れたおねーちゃんがやけにオーバーなリアクションで手を叩いて笑ってたりしたけど、ああいう感じで映画を楽しめなかったのがなんか残念。

アカデミー賞のドキュメンタリー候補

アカデミー賞のドキュメンタリー部門の候補作が15本までに絞られたそうな。この中から最終的に5本がノミネートされるわけだが、知ってる作品はあまり無いなあ…。マイケル・ムーアのやつは観てないんで落選したのが妥当なのかどうか分からんが、アンヴィルはないのかアンヴィルは。相変わらずアカデミーの連中って世俗受けするテーマの作品には関わりたくないんですね。

あと「THE COVE」がもし受賞することになったら、日本ではいろいろ騒がれるんだろうな。

「THE PRISONER」鑑賞

「マッドメン」や「ブレイキング・バッド」を世に出して今をときめくAMCによる、60年代のカルトTVシリーズ「プリズナーNo.6」のリメイク。

砂漠の真ん中で目を覚ました男性。彼は何者かに追われていた老人が息を引き取るのを見届けたのち、砂漠のなかにある町へと辿り着く。その町はただ「ヴィレッジ」と呼ばれており、すべての住民は名前の代わりに数字で呼ばれていた。そこで「6(シックス)」と呼ばれるようになった男性はヴィレッジからの脱出を試みて車を走らせるものの、彼を迎えたのはあてもなく続く砂漠だった。再びヴィレッジに戻ってきたシックスだが、どうにかして脱出することを画策する。そんな彼の姿を監視するのは、ナンバー2と呼ばれる謎の老人だった…というのが大まかなプロット。第一話を観た限りではオリジナルのプロットとさほど大きな違いはないみたい。

ただオリジナルはスパイものとかSFものの範疇を超えて哲学的なレベルにまで達していたような奇跡的な作品であったわけで、あれをどうリメイクしたってあの域に達するのは不可能なんじゃないかと。よってさほど面白い内容ではなかったし、あちらの批評家にも不評なようだ。

気になった点をあげると、まずヴィレッジがデカい。「村」ではなく「町」の大きさになっているため、オリジナルにあった閉塞感がなくなっている。それとナンバー6を演じるジム・カヴィーゼルが、ごく普通の男性といった雰囲気しか出していない。オリジナルのパトリック・マクグーハンが演じたナンバー6はもっと裏があるというか、「政府のエージェントとして怪しいことををしてたんじゃないのか?」と思わせるような存在感が強烈だったんだけどね。今回のナンバー6も彼がヴィレッジに来るまでの経歴はそれなりに謎めいたものにされているものの、以前の生活の姿をフラッシュバックで見せているのは余計だろう。

そんなナンバー6を苦しめるナンバー2を演じるのはガンダルフことイアン・マッケランで、相変わらず素晴らしい演技を見せてくれるものの、オリジナルだとナンバー2は何人も入れ替わりで登場する役回りで、じゃあその上にいるナンバー1っていったい何者よ、というのが大きな謎になってたんだけど、今回はマッケランの存在感が圧倒的すぎてナンバー1の存在が薄れてしまっている。というかナンバー1については言及もされなかったような。

オールドファンには嬉しいローヴァー(脱走者を捕獲する白い風船)もいちおう出てくるし、今後の展開はどうなるんだろうという気にはなる作品ではあるものの、やはりオリジナルには遠く及ばない出来であった。

「DOCTOR WHO: THE WATERS OF MARS」鑑賞

10代目ドクターが主人公のさらなる特番。今回ドクターが到着したのは2059年の火星。そこには人類初の基地が設置され、10人ほどのクルーが生活を送っていた。しかし火星の氷河を溶かした水を口にしたクルーが病原菌のようなものに冒され、体から水をしたたらせるゾンビのような怪物へと変化してしまう。そして水を媒介して次々と他のクルーたちが怪物になっていくなか、残された者たちは火星を脱出しようと必死に駆け回るなか、彼らの運命を既に知っているドクターは、時間の掟を守って歴史には干渉せずに基地を去ろうとするのだが…というのが大まかなプロット。

密閉された基地のなかでクルーが化け物になっていく、という展開はシリーズ2の「The Impossible Planet」そっくり。撮影とか脚本はしっかりしているしSF番組としては相変わらず出色の出来なんだけど、特番ということで大きな展開を期待していると弱冠の肩すかしをくらうかな。むしろ面白かったのは終盤、時間の掟を破ったドクターが勝ち誇った直後にその代償に直面するあたりで、近づいてくる自らの死を感じ取るようになった彼の姿が興味深い。

まあ今回は良くも悪くも次のクリスマス特番へのつなぎのような話であったわけで、ジョン・シム演じるザ・マスターが復活し、10代目ドクターの死が描かれるであろうクライマックスへの期待は高まるばかりなのであります。

「THRILLA IN MANILA」鑑賞

DVD買ってから知ったんだけど、これNHKで放送したの?まあテレビ持ってないから別にいいけどさ。

かの素晴らしき「モハメド・アリ かけがえのない日々」の対極に位置するようなドキュメンタリー。モハメド・アリと3度の激闘を行ったジョー・フレージャーを中心に、彼とアリの長年にわたる確執を描いている。

60年代にベトナム戦争への徴兵を拒否したことでボクサーとしての資格を剥奪されたアリに対して、フレージャーはアリが再びリングに立てるよう大統領などに働きかけ、金銭的援助もアリに行っていた。しかしいざアリにリングへの復帰が認められ、フレージャーとの対戦が決まるとアリの態度は一変し、フレージャーに対して侮蔑的な言葉を投げつけるようになる。ネーション・オブ・イスラムに操られ白人を敵視するようになったアリは、フレージャーが貧しい家庭に育ち人種差別を日常的に受けていたにも関わらず、白人のパトロンが多かった彼を「アンクル・トム」やゴリラ呼ばわりして世間の笑い者にしていく。

そして「世紀の一戦」と呼ばれた彼らの第一戦はアリ優位という世間の予想を覆し、フレージャーが判定勝ちを収める。これを不服としたアリはさらにフレージャーを罵倒し、テレビ番組でケンカをするほどの仲になってしまう。そして彼らの第2戦が行われるのだが、アリに優位なジャッジが行われたことと、既にフレージャーがジョージ・フォアマンに負けてチャンプの座を失っていたことなどから、アリが勝利したこの一戦はあまり大きな意味を持たなかった。その後アリは「キンシャサの奇跡」においてフォアマンを倒してヘビー級王座を奪還し、フレージャーとの因縁の第3戦が組まれることになる。

「スリラ・イン・マニラ」と呼ばれたこの一戦はマルコス大統領の独裁政権下にあったフィリピンのマニラで行われ、アリは自分の勝利を楽観視していた。しかしうだるような暑さのなかでの対戦が始まると、アリの攻撃にもめげずフレージャーはダウンせず、徐々に試合のペースを自分のものにしていく。そして第4ラウンドあたりから形勢は逆転してフレージャーの鋭いパンチがアリを脅かすようになり、両者による激しい撃ち合いが続くことになる(フレージャーのマウスピースが客席まで飛ばされるパンチが圧巻)。この激戦の明暗を分けたのは、60年代の事故によってフレージャーが左目をほぼ失明していたという驚愕の事実だった。アリの連打により右目が腫れ上がり何も見えなくなったフレージャーはファイトの続行をすがるものの命の危険を感じたセコンドにより試合は終了させられてしまう。一方のアリも体力の消耗が激しく、負けを意識してグローブを外す寸前だったという話が興味深い。勝利を宣告されてもろくに立ち上がれず、リングに倒れてしまうアリの姿がこの一戦の凄まじさを物語っている。

この戦いのあともフレージャーとアリはボクシングを続け、やがて引退したわけだが、世界的なスーパースターとして富と名声を手にしたアリとは対照的に、フレージャーは地元のスラム街のさびれたジムで60歳を超えた今でもコーチを務めている。そんな彼の経歴がアリやフレージャーの関係者、およびフレージャー本人から語られていくわけだが、後にアリと和解したフォアマンなどと違い、今でもアリに遺恨を抱き、パーキンソン病に苦しむ彼の姿を見て「奴は過去の行いの報いを受けてるのさ」と冷たく言い放つフレージャーの姿が非常に印象的である。明らかにフレージャーの側に立ったドキュメンタリーだが、でもね、アリというのは我々凡人の善悪の概念を超えたところにいるような存在だと思うのですよ。いくら彼を悪者として描こうとしてもあの強烈な存在感がすべてを打ち消してしまうような。

ちなみに現役時代から「こいつはろくに話せねえ」とアリに嘲笑されてたフレージャーだけど、確かに言葉が不明瞭でなに言ってるのか分かりにくいのが悩ましいところ。DVDに字幕付けてほしかった。