「HELIX」鑑賞


『ギャラクティカ』のロナルド・D・ムーアが製作を務める、Syfyチャンネルの新シリーズ。ただしムーアはクリエーターやショウランナーではなく、『ギャラクティカ』ほどのコミットはしてないみたい。

120人ものスタッフが勤務する北極の巨大なリサーチセンターにおいて、3人の疫病患者が出たとの連絡が軍を通じてアメリカ疾病予防管理センターに届く。患者のうちの1人は、予防管理センターで働くファラガット博士の弟だった。弟の安否を確認するため、ファラガットは元妻の科学者や自分のスタッフを連れて北極へと赴く。そこで彼らが遭遇したのは、肉体が真っ黒な液体となって溶けた患者ふたりの遺体だった。しかしファラガットの弟のピーターは何かしらの抗体を持っているらしく、体を侵されながらも意識を保っていた。そしてピーターは超人的な怪力をもってベッドから抜け出し、センターのどこかに潜んでしまう。いったい彼の目的は?疫病の原因は?焦燥するファラガット博士たちの陰では、センター長のヒロシ・ハタケ、および軍部が陰謀を企んでいた…というようなあらすじ。

まあ北極を舞台にしたSFホラーというところ。ムーアは以前に「遊星からの物体X」のリメークに関わっていたはずなので、そこでのアイデアがここで活かされているのかもしれない。全体的にどこかで観たような…という展開が続いていて、登場人物も口の達者なデブとか、場違い的に若い美人科学者とか、型にはまった人たちが出ているような印象は否めない。ただし謎の細菌とか、変異を起こしたサルとか、いろいろ面白くなりそうな要素は散りばめられているので今後の展開に期待しよう。

ファラガット博士を演じるのはビリー・キャンベル。童顔だったロケッティアもさすがに老けたな。また準主役扱いで真田広之が出ていて、事件の黒幕らしきハタケ所長を演じている。彼の英語のセリフって、なんかすごく力を入れて喋っている感があるのが気になるのだが、それって俺だけだろうか。でも日本人俳優がレギュラーになれたというのは良いことだよね。

いちおう13話までの放送は決定しているらしいが、場所がとても制限されたストーリーであるので、それ以降の発展は難しいんじゃないかな?本国では「悪くないけど、『ギャラクティカ』ほどではない」というレビューが大半だけど、無理して『ギャラクティカ』と比べなくても良いんじゃないかと。とりあえず当分のあいだはストーリーを追ってみます。

「アクト・オブ・キリング」鑑賞


昨年公開されて絶賛と論議を呼んだジョシュア・オッペンハイマー監督のドキュメンタリー。プロデューサーにヴェルナー・ヘルツォークとエロール・モリスという巨匠が名を連ねているが、製作自体にはあまり関わってないみたい。122分のバージョンと159分のものがあって、後者を観たのだが、122分のほうにだけ使われてる映像もあるとか?

インドネシアで1965年に起きた軍事クーデターの結果として行なわれ、100万人もの共産主義者(中国系が多い)が殺されたという大量虐殺に関与したアンウォー・コンゴ(劇中ではずばり「処刑人」という肩書きで紹介される)を追ったもの。70を超えても高そうなシャツとスーツに身を包み、入れ歯を入念にチェックするアンウォーは北スマトラ州で映画館のチケットのダフ屋をしていたギャングの一員だったが、軍部が共産主義者の粛正にあたりギャングの手を借りたことから、彼らの虐殺に加担することとなりワイヤーを使った絞殺具で1000人もの共産主義者を殺したことを公言する(撲殺は血だらけになるから絞殺を好んだらしい)。

そのままギャングはパンチャシラ・ユースという数百万人規模の準軍事組織に組み込まれ、政権を支える存在として今日に至っている。彼らはマスコミや政権ともズブズブの関係であり、カメラの前で平然と華僑の店から金を巻き上げ、市民には賄賂を要求している。そして共産主義者の駆除に貢献したアンウォーのような処刑人は彼らにとって英雄であり、彼らを鼓舞する集会にギャング出身のアンウォーはよく招かれるのである(『「ギャング」というのは「自由人」という意味だよ』と政治家を含めた多くの人が語るのが印象的)。

このドキュメンタリーの最大の特徴は、この「残虐行為を行なった人たちが、そのまま現在でも権力の座についている」というところ。例えば第二次世界大戦とかベトナム戦争を扱ったドキュメンタリーだと、惨劇はあくまでも過去の出来事であり、それが回顧され、時には加害者と被害者が和解するというものが多いのだけど(ヘルツォークのこれとか)、この作品においては共産主義者への弾圧はまだ続いており、テレビ番組では若い女性キャスターが虐殺のことを当然の行為として言及し、アンウォーたちは自分たちの行なったことをむしろ誇らしげに若者へ語るのである。そんなアンウォーに対してオッペンハイマーが行なったのは、彼の虐殺行為を、彼の望む映画のスタイルで再現させることだった。

このため題名はつまり「殺人の行為」と「殺人の演技」という2つの意味を持つことになるわけだが、ギャング時代からハリウッド映画に憧れ、自分はシドニー・ポワチエに似ていると公言するアンウォーは往年のミュージカルや西部劇、ギャング映画のスタイルを踏襲し、自らも出演して殺戮の現場を再現していく。これらの再現において歴史的考証とかリアリティなどは二の次であり、加害者の役の人がいつの間にか被害者を演じてたりするわけだが、処刑人たちが尋問や処刑の方法について入念に説明したり、養父を殺害された男性が尋問される共産主義者を演じるにあたり、やがて現実と虚構(演技)の境界は溶けてなくなっていく。村の虐殺シーンにゲスト出演した政治家が、演技で「共産主義者どもをぶち殺せ!」などと叫んだ直後にオッペンハイマーに向かって「うちら本当はもっと人道的だからね!」などと注釈を入れる光景は筆舌に尽くし難い。

ちなみにアンウォーの片腕的存在としてハーマン(ヘルマン?)・コトというデブのチンピラが出て来るのだけど、ジャイアン的というか、ニック・フロストやジェフ・ガーリンあたりが演じそうなキャラでもう最高。年齢的に虐殺には関わっていないと思うが、女装して肉にかぶりつく入魂の演技を見せたりと、作品にものすごいアクセントを加えている。実生活でも「オラ金持ちになるだ!」と奮起して議員選挙に立候補するなど、彼がいなかったらもっと異なる作品になってったんじゃないかな。

そしてアンウォーと同様に虐殺に関わった旧友もまた撮影に参加するのだが、彼の場合はもっと「自分たちの行ないは冷酷であった」ということを自覚しており、このドキュメンタリーが世の中に出た時の影響を懸念している。その一方では「歴史というものは勝者によって書かれるものであり、我々はその勝者である」として自らの行いを正当化しようとしている。実際に処刑人の多くは精神に異常をきたすことがあると示唆されるのだが、アンウォーにとっての殺人の正当化の手段は、ギャング時代に観たハリウッド映画であった。アクション映画などを観て高揚したあとに、(酒やドラッグも加わって)殺害を行なうのである。

これらの演技を通じたアンウォーの心境の変化は劇中だといまいち汲み取りにくいところもあるのだけど(自責の念が完全に欠落しているので)、そこらへんについてはネット上におけるオッペンハイマーの一連のインタビューが参考になるかと。とはいえアンウォーも自分の行為を再考するようになり、衝撃的なラストシーンへとつながっていく。

これを観て単に「あーインドネシアって非道い国だなー」って考えることは容易だよ。エンドクレジットに載ってるスタッフの大半は、政府の迫害を恐れて「匿名さん」になっているし。ただここで描かれてることって、一国の出来事でなくもっと人間の根本的な悪というか不正義をさらけ出しているのだろう。そして我々はそれを過去のこととして切り捨てることもできず、その上に築かれた日常において幽霊たちと暮らさなければならないのである。

「Prince Avalanche」鑑賞


昨年話題になってながらも見逃した映画を、チマチマと拾っていく次第であります。ポール・ラッドとエミール・ハーシュ主演のドラマ。

舞台は1988年のテキサス。前年に起きた山火事によって大きな被害を受けた森林公園の再建作業に関わるため、アルヴィンはガールフレンドの弟であるランスを連れて町を離れ、山奥において道路の整理作業をしていた。幼稚な振る舞いをするランスをあまり快く思っていなかったアルヴィンだが、週末に町に戻ったランスは女性関係のトラブルに遭遇してふさぎ込んでしまう。さらにアルヴィンもガールフレンドとの間に一悶着あり…というようなプロット。

画面に出て来るのはほぼこの2人だけということもあり、いわゆるブロマンスものではあるのですが、その一方では町に残してきた女性たちについてウジウジ悩む男たちの恋愛映画でもある。対象となる女性たちが出てこないという演出が特徴的かな。ちなみに「雪崩の王子様」という題名はストーリーと殆ど関係ありません。当然ながらドクター・アバランシェ(知ってる?)とも関係ないよ。

ストーリー自体はアイスランドの「Either Way」という映画のリメークらしいが、2011年に実際に山火事に遭った森林公園で撮影していることもあり、テキサスの荒廃した森というバックグラウンドがものすごく印象的に使用されている。焼け落ちた家のなかで残ったものを探す女性というのが登場するのだけど、彼女は役者ではなく本当にその家に住んでいた人で、ロケハン中にスタッフに発見されてそのまま映画に出ることになったらしい。ここらへん東北の震災でボランティアやったときの経験と重なって、いろいろ考えさせられましたね。

監督のデビッド・ゴードン・グリーンは最近だと「スモーキング・ハイ」とか大コケした「ロード・オブ・クエスト」といったおバカコメディを撮っていた印象が強いのでこういう作品を撮るのは意外かもしれないが、そもそもは南部を舞台にしたインディー映画を撮っていた人(よく知らんがそうらしい)ので、実はこっちのほうが「実の姿」であるそうな。次作もニコラス・ケイジ主演のダークなドラマなんだって。

アルヴィンを演じるポール・ラッドは口ヒゲに緑のシャツとオーバーオールという格好がルイージそのまんまであるのが難点だが、真面目な役を好演している。この人ってコメディ全開の演技するよりも、こういう真面目な演技のほうが似合うと思うのだが。ランスを演じるエミール・ハーシュはマリオ…でなくジャック・ブラックにしか見えなくて、子供っぽく文句たれながらヘビメタ聴いてる姿はまんまジャック・ブラックなのだが、大人になれないキャラをうまく演じている、と好意的に考えることにしましょう。

たった16日間で撮影されたということもあり、決して金のかかっている作品ではなく、ピンぼけ気味で手ブレを入れた撮影はあまり好きではないかな。とはいえテキサスの自然は荒廃したとはいえ美しく、ポストロックバンドのエクスプロージョンズ・イン・ザ・スカイによる音楽も効果的に用いられている。派手な展開があるわけでもなく観る人によって評価が分かれるかもしれないが、個人的にはいろいろ身につまされる作品でありました。

「SHERLOCK」シリーズ3開始


シリーズ2から待つこと丸2年!しかし「ホビット」とか「スタートレック」などがあったので、キャスト的にはあまり懐かしいとは感じなかったかな?

第1話は当然のごとく『空き家の冒険』がベースになっていて、2年前に建物から身投げして死んだはずのシャーロックが、しれっとワトソンの前に帰ってくるのが前半の流れで、どうやって彼は死を欺いたのか?という解説がエピソードを通して語られるわけだが、その詳細はここでは書きません。そしてワトソンが何者かに命を狙われ、モリアーティに代わる新たな黒幕の存在が示唆されるわけだが、シャーロックの生還と黒幕の登場に多くの時間が割かれ、肝心の謎解きがおろそかになってしまっているのは残念。犯罪者と知能戦を繰り広げる君の活躍を見たいのだがねホームズ君。

キャストは皆が勢揃いで、イギリスのどんより曇った空のもとシャーロックに翻弄されています。新キャラとしてはワトソンの婚約者が登場するが、彼女を演じてる役者さんってマーティン・フリーマンの実のパートナーなのか。あとは薄幸な検死医のモリーさんの出番が今まで以上に多くて、シャーロックにも心を開かれたりするのに、相変わらず不幸せそうな顔をしているのが幸いでございます。

また脚本をマーク・ゲイティスが書いているせいか、彼が演じるマイクロフト・ホームズが登場する場面が多いものの、政府の力を駆使できる彼が活躍するのはちょっとズルいんだよな。それと劇中ではガイ・フォークス・ナイトが舞台になっているけど、最後の犯罪プランってそのまんま「V・フォー・ヴェンデッタ」(コミック版のほう)のパクリでは…?

シャーロックの帰還に時間をとりすぎて、話としてはイマイチなところもあったが、次回から本調子に戻ることを期待しましょう。なおシリーズ3で完結するかと思ってたら、シリーズ4も作られるのかな?とはいえ謎解きを後の話に引きずったりせず、1話できちんと事件が解決される展開を望みたいところです。

謹賀新年


“君の顔なら1000年だって眺めてられる/それは苦痛と歓喜の内戦のよう/しかし君が馬だったなら/僕はその鎖を解き放ち/燃えるたてがみを掴んで/平原をともに駆け抜けよう” sparklehorse – shade and honey

あけましておめでとうございます。

あー俺もう今年40歳だよ。孤独な40年だったなあ。このブログも10月には10周年になるわけで、駄文を書き連ねているとはいえこうも長続きするとは思いませんでした。

個人的には昨年の11月から12月にかけて、目標としていた仕事が一段落したのと、気の滅入る出来事があったこともあり、ここ最近は何とも言えない虚無感を感じているのですが、まあこれが何かしらの節目になるのかしらん。不惑とはいうものの、先行きまったく見えない状態でして、ねえ。

とりあえず今年はケイオス・マジックとジャグリングを学びたいと考えております。今後もよろしくお願いいたします。