ダーウィン・クック死去

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53歳。アメコミの巨匠がまた一人、しかも急にまだ若くして帰らぬ人となってしまった。

彼のブログが奥さんによって更新され、ガンの治療中であるという事実が公表されたのが一昨日くらいのこと。「aggressive cancer」という表現に不安を感じたものの、カナダ人なのでまっとうな治療を受けられるのではないか、それまで彼の本を買って何かしらの援助ができるかな、と思っていたら、昨日になって他界したとの報が入ってきてしまった。残念。

俺が彼の作品に触れたのは2004年くらいのこと。その前にもしかしたらアニメ版「バットマン」で彼の仕事を目にしていたかもしれない。当時は「DC: The New Frontier」がミニ・シリーズとして出版されていて、良い評判は聞いていたもののアブストラクトな表紙のせいか手にとって読んだりはしなかったのですね、しかしその後ニューヨークでペーパーバック版をふと立ち読みしたところ、その簡潔で力強い線、アメリカの公民権運動の時代を背景にゴールデン・エイジとシルバー・エイジのヒーローたちが共闘していくそのストーリーに大ショックを受けまして、やたらと重いアブソルート・エディションを帰国後に速攻で買いましたよ。トロントで彼に会う機会があったものの、講演時間を知らずに逃してしまったのが悔やまれる。

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彼が描く女性の画も俺の好みだった。

またそのスタイルから、どうしても明朗なスーパーヒーローもののイメージが強いが、「The New Frontier」ではきちんと人種差別などの問題も描いていたし、ドナルド・ウェストレイク(リチャード・スターク)の小説「悪党パーカー」シリーズのファンとして晩年のウェストレイクとコミック化について共同作業を行い、今まで小説以外では「パーカー」を名乗ることが認められなかった主人公の名前を、原作者のお墨付きでパーカーとすることができたのもクックの功績である(ジェイソン・ステイサムの映画「パーカー」が出たのはウェストレイクの死後)。タフで感情を見せない主人公パーカーのハードボイルドな雰囲気を、限られた色調で彼は見事に描き出していた。
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最近ではヴァーティゴの「The Twilight Children」のアートも担当していたし、ハンナ・バーベラもののアートを描いていたので、これからも精力的に活動を続けていくんだろうなと思っていた矢先での死去は大変悔やまれる。合掌。
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「HOUDINI & DOYLE」鑑賞

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ITVの新シリーズ。ミニシリーズ扱いになるのかな?

舞台は1901年のロンドン。シャーロック・ホームズを「最後の事件」で葬って、ボーア戦争に関する執筆を行っていたアーサー・コナン・ドイルは、修道院で幽霊による殺人が行われたとの新聞記事を目にし、これこそ心霊が存在する証しだとして警察署にやってくる。しかし一方ではロンドンで公演中のハリー・フーディーニも事件のことを知り、幽霊はトリックだということを示すために警察に来ていた。警察に迷惑がられた彼らはお目付け役として女性刑事のストラッットン刑事をあてがわれ、お互いが正しいことを証明するために事件の調査を始めるのだが…というあらすじ。

コナン・ドイルということで「SHERLOCK」みたいなブロマンスのミステリーものを期待する人もいるかもしれないが、ここのドイルは心霊現象に傾倒しているという設定なので(本格的にハマったのは第一次大戦後だったと思うが)、物的証拠をもって生身の犯人を突き止めるのではなく、何でも心霊のせいにしてしまう人物という設定になっている。しかし当然ながら「殺人は幽霊のせいでした!」というオチにするわけにもいかないので、結局は自分のミスを認めるという損な役回りになっているかな。

対するフーディーニは実際にインチキ霊媒師のデバンカーでもあったから心霊現象にはすべて懐疑的で、あくまでも合理的に事件を捜査していくのに加え、錠前を開けたりするのも朝飯前、というカッコいい役になっている。ほかに実在の人物としてはチャーチルやイェーツなどもチョイ役で出てきてたが、今後はエジソンやブラム・ストーカーなんかも登場するとか。

フーディーニを演じるのが「HOUSE」のマイケル・ウェストンで、ドイル役が「EPISODES」のスティーブン・マンガン。「EPISODES」ってまだアメリカで撮影が終わってないんじゃなかったっけ?あとはあまり有名な役者は出てないみたい。

さすがにドイルが毎回ミスをしているようでは示しがつかないから、あとのエピソードではもっと心霊的な要素が増えてくるのかな?心霊現象にハマったあとのコナン・ドイルって例の妖精写真などであまり評判が良くない印象があるけど、個人的には唯物論者の科学者であるチャレンジャー教授がラストで霊魂の存在を認めることになる「霧の国」とか結構好きなので、うまーくスーパーナチュラルな要素を絡めてほしいところです。

「ハイ・ライズ」鑑賞

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J.G.バラードの1975年の小説を映像化したもの。

舞台となるのはロンドン郊外に建てられた40階建ての高級タワーマンション。スーパーマーケットや学校、スイミングプールなどを内部に完備したその建物の25階に、主人公の医師ロバート・ラングは新しく引っ越してくる。奇しくもマンションの各階は住人の社会的地位を反映しており、無骨なテレビカメラマンのリチャード・ワイルダーたちは低い階に住み、富裕層の住人たちは高い階に住み、そして最上階のペントハウスにはマンションの設計者であるアンソニー・ロイヤルが住んでいた。当初こそ住人たちは秩序良く生活を営んでいたものの、やがて頻発する停電などによって鬱憤がたまっていき、マンションが1つの隔離された世界となって混沌の渦へと巻き込まれるのであった…というあらすじ。

おれ原作を読んだのはもう20年くらい前(こんど復刊されるみたいね)なので詳細はあまり覚えてないものの、ラングが廃墟と化したマンションで犬の肉を食いながらそれまでの経緯を振り返る冒頭から最後まで、原作にはかなり忠実な内容になっていたと思う。監督のベン・ウィートリーの作品を観るのはこれが初めてですが、いささかコテコテな暴力描写などが、どことなく突き放した感のあるバラードの文体をうまく補完できていたのではないか。高層階の住人たちが揃いのスポーツウェアに身を包んで下層階を襲撃する光景に、バラード後期の「スーパー・カンヌ」(だったか「コカイン・ナイト」だったか)との共通点を感じてしまったよ。

話が設定されている年代は明言されていないが、おそらく原作と同じ70年代。よって携帯電話やパソコンなどは登場せず。「クラッシュ」もそうだったがバラードの話は無理に現代に持ってこないほうが良いと思う。70年代のファッションや建築のデザインが話にうまく合っている一方で、40階のタワーマンションって今となってはあまり高くないよね、とつい思ってしまう。原作読んだときは「プールが途中の階にあるマンションなんて作れるのか!」と驚いたけど、それも今ではそんなに珍しくないものかと。ただ現在のように40階以上の高層マンションができるようになると、上層階と下層階の価格差がより激しくなり、それが住人の資産格差などに直結して管理組合でイザコザが起きるケースが日本でもあるようで、そういった意味ではレトロながらも現代に通じるテーマをもった作品である。

主人公のラングを演じるのがトム・ヒドルストン。裸のサービスショットも多いですよ奥さん。ただ劇中ではいちばん「普通の人」という役回りなので、肉体派で暴力的なワイルダーを演じるルーク・エバンズのほうがおいしい役になっているな。対する高層階の住人にジェームズ・ピュアフォイなど。最上階のアンソニー・ロイヤルはジェレミー・アイアンズ。ロイヤルってもっと偏狭なマッド・サイエンティストみたいなキャラクターかと思っていたけど、ラングと並んで最後まで正気を保とうとする人物を好演している。女性陣ではシエナ・ミラーやエリザベス・モス、キーリー・ホーズなどが体を張った演技を見せてくれます。音楽はクリント・マンセルが担当していて、いつもの彼の音楽よりもギターやストリングスが多用されているかな?アモン・デュールやアバ、ポーティスヘッドなどの曲も使われていて、最後にザ・フォールを持ってくるのは、分かってるなあと。

これで「クラッシュ」「ハイ・ライズ」と映画化されたら残るはやはり「コンクリート・アイランド」なわけで、一時期はクリスチャン・ベールが映画化するなんて話もあったらしいけどね。あれは日本を舞台にしても十分成り立ちそうだと考えているのだが、どうでしょう?

「シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ」鑑賞

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公開中なので感想をざっと。いちおうネタバレ注意:

・よく油を差された機械のごとく、多くのキャラクターが登場しながらもきちんと各々の見せ場を作って、展開も分かりやすくしながらストーリーを進めていく手際は、さすがにマーベルの長年の経験が活かされてますね。ルッソ兄弟は前作「ウィンター・ソルジャー」でもアクションと政治性をうまくブレンドしていたわけで、どこかしらアラの目立った「ウルトロン」以上にアベンジャーズっぽい作品になっているかと。

・と言いつつもやはりキャラクターが多すぎるのでは。以前からの登場人物に加えて新しいのもたくさん出てきて、それなりに事前勉強みたいなものが求められるため、これで初めてマーベル映画を観た観客はどこまで楽しめるのだろう?

・ソーとハルクという巨頭ふたりを登場させなかったことで各チームの戦力的なバランスがとれたのは正解だったが、ビジョンも手持ちぶさたな扱いをされていたような。今後「インフィニティ・ウォー」に向けてさらに多くのキャラクターが出てくるわけで、そこらへんの交通整理はきちんとやっておいたほうがいいだろう。

・原作は911テロと愛国法の誕生というアメリカの情勢を反映させた色が強かったが、こちらは事件の発端となるテロがラゴスで起きたのは、ブラック・パンサーのワカンダに絡める必要があったからだろうか。でもアフリカのテロなんてアメリカ政府はろくに気にしないと思うのよね。

・題名に「キャプテン・アメリカ」とついているだけあって基本的にはキャップ側のチームに寄ったつくりになっているが、明らかに厄病神であるバッキーを最後まで守るキャップの動機にいまいち納得ができず、最後の展開には少しモヤモヤするものを感じたのは俺だけでしょうか。

・スパイダーマンの出演は予想してたよりもよかった。トム・ホランドは若き日のトビー・マクガイアを彷彿とさせていい感じ。ビリー・エリオットのミュージカルにも出てたそうだが、ジェイミー・ベルにも似てますね。その一方でマリッサ・トメイのMILFなメイおばさんはヤバい。ピーターよりも精神的に不安定そうなキャラクターにしてどうするんだよ。今からでも遅くないからキャスティングしなおすことをお勧めします。

・ブラック・パンサーがアフリカ訛りの英語を話すのが違和感あったな。確かによく考えれば不自然ではない設定なのだが、完璧な英語(や他の言語)を話せる知的なキャラクターという印象を抱いていたので。あとすべてのアメコミ映画に言えることだが、マスクを外しすぎではないか。

・変装から爆破から拷問まで、すべてひとりでコツコツとやっていくあの悪役は、ご苦労さまでした。

・全体的にはとてもよくできた作品であり、「ウルトロン」の後のフェーズ3の展開を活性化させることに成功している反面、やはりフランチャイズ疲れのようなものを感じてしまうのよな。上映前に「ローグ・ワン」の予告編を観て思いましたが、これから何年にもわたって公開される関連作を随時チェックしていくことを考えると、期待よりも疲労のようなものをなんとなく感じてしまうのです。

「Theory of Obscurity: a film about The Residents」鑑賞

Theory of Obscurity_ A Film About the Residents
目玉のマスクやその他たくさんの仮面を被り、正体を隠して40年以上コツコツと奇妙な音楽とパフォーマンスを披露し続けているサンフランシスコ出身のバンド、ザ・レジデンツのドキュメンタリー。彼らの詳しい経歴についてはウィキペディアの記事(おれが訳しました)を参照してください。

ヒッピー文化真っ盛りのサンフランシスコに前衛音楽をやりたい若者たちが集まったところからザ・レジデンツの経歴が語られるわけだが、当然のごとくこのドキュメンタリーには本人たちがいっさい登場しないので、当時の彼らを知る人々や元スタッフ、彼らのファンたちによってレジデンツの功績が語られていく。

インタビューを受けてるのはレス・クレイプールやマット・グレーニング、ペン・ジレットなどといったレジデンツ好きで知られる人々のほか、ディーヴォのメンバーやトーキング・ヘッズのジェリー・ハリソンなども登場していたし、レジデンツをサポートする団体であったクリプティック・コーポレーションのホーマー・フリンも多くを語っていた。なおホーマー・フリンこそがレジデンツの中の人ではないかという噂はファンのあいだで長らく語られてきたのだが、それの手がかりとなるような話は何も出てこなかった。

扱っている題材に比べるとドキュメンタリーの作りはいささか凡庸だが、レジデンツとして活動する前にサンフランシスコで演奏していた映像とか(画質が悪くて顔は見えず)、未完に終わった白黒映画「ヴァイルネス・ファッツ」のセットのカラー写真とか、目玉マスクの仕組みの説明(瞳の部分から外を見ることができ、ベルトで頭に固定するらしい)などといった映像は貴重かも。

なお題名の「Theory of Obscurity」というのは彼らと初期に共演していたサックス奏者のミステリアス・Nセナダが提唱したという「アーティストは正体が分からないときこそ、その真価を発揮できる」というセオリーであり、これに基づいてレジデンツは顔を隠し、性別を隠し、正体を隠しているのである。ここらへんはバンクシーなんかと通じるものがあるのかな。しかしNセナダがそもそも実在の人物ではないという説もあるようで、実に謎である…。

レジデンツの入門書みたいなドキュメンタリーだが、これを観て興味を持った人は彼らのPV集である「イッキー・フリックス」なんかを観てみると彼らの斬新さが分かるのではないでしょうか。姿を隠したままこれからもザ・レジデンツは活動を行い、俺やあなたたちが亡くなったあともレジデンツは生き続けるのである。