「BOTTLE ROCKET」鑑賞

「天才マックスの世界」や「ロイヤル・テネンバウムズ」を手がけたウェス・アンダーソン監督のデビュー作「BOTTLE ROCKET」をDVDで観る。主演&共同脚本はアンダーソン作品ではお馴染みのオーウェン・アンダーソンで、他にもルーク・ウィルソンやアンドリュー・ウィルソン、クマー・パラーナといったアンダーソン作品の常連がいろいろ出ていて楽しい。あと何故かジェームズ・カーンが出てたりする。

神経衰弱のため精神病院に入っていたアンソニー(ルーク・ウィルソン)が悪友のディグナン(オーウェン・ウィルソン)と再会し、友人のボブも含め3人で書店に強盗に入る。金を奪った彼らは田舎町のモーテルに逃亡するが、そこでアンソニーはイネスというメイドと恋仲になってしまう。しかし彼らは再び故郷の街に戻ることになり、ディグナンのボス(カーン)に誘われるがまま、ある工場の金庫から金を盗むことにするのだが…というのが大まかなストーリー。前半はアートっぽい映画かな、と思わせておいて中盤は「サイドウェイ」みたいになり、後半は「ライフ・アクアティック」ばりのドタバタ劇になる話の流れはかなり一貫性に欠けているが、テンポの速いストーリーと凝ったカメラワークによって飽きがこない内容になっている。

後のアンダーソン作品のトレードマークとなる絶妙な選曲のBGMはあまり聞けないものの、音楽と映像のタイミングの合わせ方などはなかなか見事。プールでのショットやスローモーションで終わるラストなどにも、後に確立される彼のスタイルの片鱗が見てとれる。

それなりに低予算の映画なんだけれど、ツボをしっかり押さえた内容になっているし、27歳の若さにしてこれだけの作品を仕上げた監督の技量には感服する。彼のファンなら観て損はしない作品かと。

(4月20日に「アンソニーのハッピー・モーテル」という邦題でDVD発売されるとか)

「FEVER PITCH」を観た

フォックスのラブコメディ「FEVER PITCH」を観た。主演はドリュー・バリモアとジミー・ファロンで、監督はピーター&ボビーのファレリー兄弟。「メリーに首ったけ」なんかのお下劣路線で名を馳せたファレリー兄弟にとっては異色のストレートなコメディになるのかもしれないが、彼らの作品はあまり観たことないのでよく分かりません。一応それなりに低俗なネタが出てきます。そして原作は「ハイ・フィデリティ」や「アバウト・ア・ボーイ」で知られる作家ニック・ホーンビィ。以前にもこの原作は「僕のプレミア・ライフ」なんて邦題で映画化されてるとか。原作は弱小サッカーチームであるアーセナルの勝敗に一喜一憂するファンの心理を描いたノンフィクションだったのに対し、映画は例によって舞台をアメリカに移し、弱小野球チームであるレッドソックスのファンを題材にしたフィクションになっている。これじゃ原作とまるで別物じゃないか?
なお原作はアーセナルが久しぶりに優勝するところで終わってるが、映画も撮影中にレッドソックスが何と86年ぶりに優勝してしまったため、急いで結末を書き換えることになったらしい。これに対し旧来のレッドソックスのファンからは「あざといソクスプロイテーションだ」という声が挙がってるとか。何だよ「ソクスプロイテーション」って。

バリモアが演じるのはキャリアウーマンのリンジー。彼女は教師のベン(ファロン)と知り合い、すぐに恋仲になるのものの、実はベンはレッドソックスのあまりにも熱狂的なファンだった。彼女はベンのために自分の仕事を犠牲にしてまで一緒に試合に行ったりしていたものの、レッドソックスのことしか眼中にない彼との間にやがて亀裂が生じてきて…というのが大まかなストーリー。昇進を目前にしたキャリアウーマンが30歳になったからって、恋人がいないことに突然オロオロして小汚い低所得の教師と付き合うようになるなんて絶対ウソだと思うけど、その点にだけ目をつむれば比較的よくまとまったラブコメディになっている。

ただ原作のファンにとっては、ベンよりもむしろリンジーの観点に沿ってストーリーが進んでいくことに不満を感じる。基本的にニック・ホーンビィって従来の小説界では軽視されていた「男のいじらしさ」を描くのが優れている作家で、個人的にも「ハイ・フィデリティ」に出てくる、好きな女の子のためにせっせとミックス・テープを作る主人公の姿にひどく共感した覚えがある。しかしこの映画ではリンジーが主人公なので、レッドソックスのファンたちが「理解不能なオタク」として描かれてしまっている。そのため原作の魅力である、スポーツやレコード・コレクションといった些細なことに愛情と情熱を注ぐ男性たちの心理描写がかなり薄れてしまっているのだ。「レッドソックスのファンであるということは何を意味するのか」についてベンが激白するシーンも一応あるものの、いかんせんファロンの演技が下手なので「小汚いオタクの裏に隠れた繊細な自分」を表現することに失敗している。対するバリモアの演技が非常に艶やかなので、男性陣の代弁者であるべきファロンが役立たずにしか見えないのが残念。

男性側の心情がしっかり描けていた「ハイ・フィデリティ」や「アバウト・ア・ボーイ」に比べれば明らかに劣る作品だけど、これはあくまでも原作を読んだことのある男性としての意見なので、普通にデート・ムービーとして観る分には悪い映画ではないんじゃないでしょうか。ラストのクライマックスには感動できたし。

ただし予告編はジョークのオチばらし&本編に入ってないシーン満載なので、出来れば予告編を見ないで劇場に行くことをお勧めします。

「シン・シティ」を観た

明日(4/1)の公開日が待ちきれないので、夜の先行公開で「シン・シティ」を観る。9時半の回を観ようとしたら既に売り切れだったので10時のやつにすることに。それだけ皆の期待度が高い作品なんだろう。10時の回も場内は観客で一杯だった。客層はコミックのファンというよりも普通の若者グループやカップルが多かったかな。本編開始前に「エピソード3」の予告編が流れてダース・ベーダーが一瞬だけ登場したら、皆が一斉に拍手してたのが面白かったっす。

そしてついに姿を現した劇場版「シン・シティ」。ロバート・ロドリゲスが監督組合を脱退してまで作ったこの映画は原作に徹底的に忠実に作ることを目的としており、原作者のフランク・ミラーが共同監督としてクレジットされているほどである。白と黒のコントラストが強烈な原作そのままに、映画のヴィジュアルもまた灰色を省いた白黒を使い、赤や青といった原色を効果的にワンポイントで入れたりしている。画面構成も原作に近いものになっており、ストーリーやセリフはほとんどそのまんま。原作のファンとしては嬉しい限りの大サービスといった感じか。「コンスタンティソ」を作った連中に見せてやりたい。

ただコミックをそのまま持ってくれば同じ雰囲気を保てるというと必ずしもそうではないわけで、そういう意味では損をしてるような箇所がいくつかあったと思う。特に話のペースが急ぎ気味だったかな。あと原作は極度のバイオレンスをブラック・ユーモアと美しいスタイルのアートが中和しているようなところがあったけど、映画では暴力描写だけが際立ってしまっているのが残念だった。電気イスのシーンなんか原作はもっと美しくまとまってると思うんだが。

■映画は3つの長編と1つの短編からなる一種のオムニバス形式をとっているので順に感想を述べる:

「THE CUSTOMER IS ALWAYS RIGHT」:原作は短編で、映画ではブックエンド形式をとっている。原作は未読だが可も不可もない出来上がりじゃないでしょうか。

「THAT YELLOW BASTARD」:これまたブックエンド形式。老刑事役のブルース・ウィリスがいい。ジェシカ・アルバも(意外ながら)良かった。YELLOW BASTARD役のニック・スタールは外見が原作そのままなのはちょっとアレかと。

「THE HARD GOODBYE」:ミッキー・ロークが山ほどメイクをして久しぶりに元気な姿を見せてくれている。殺人鬼役のイライジャ・ウッドも意外なくらい役にはまってた。さらにはルトガー・ハウアー御大も登場ときては喜ぶしかあるまい。ただすいぶんペースが忙しい話になっているような気がした。ここらへんが、自分で読む速度を調節できるコミックスと映画の大きな違いなんだろう。前述したように暴力描写がちょっとキツいのが難点か?
ちなみに司祭を演じるのはフランク・ミラー。

「THE BIG FAT KILL」:個人的には一番好きな原作。ドワイト役にクライブ・オーウェンが見事にハマっていた。デボン・アオキもちょっと背が高いことを除けばミホ役を好演。途中で出てくる傭兵の集団がアイルランド人だったとは知らなんだ。原作だと非常に印象的な恐竜のシーンが短かったことが残念かな。あと同じフランク・ミラー原作の「マーサ・ワシントン」シリーズに出てくる軍隊のマークが(原作通り)ちょこっとフィーチャーされてた。
タランティーノが監督してるという車中のシーンは、個人的には間延びしててダメ。

そして全体的な感想としては、満足できる出来なんだけれども、コミックを映画化する場合どの程度まで忠実であればいいのかを良くも悪くも示した作品になっている。コミックと映画というのはやはり違う媒体なんだなあと変なところで感心してしまった。とりあえず観に行く前に原作にざっと目を通しておくことをお勧めします。

ちなみに聞いた話ではロドリゲスはコミックの全てのエピソードを映画化したがってるという話なので、続編があるとすれば「FAMILY VALUES」や「A DAME TO KILL FOR」あたりが来るか?

THE YES MEN

WTO(世界貿易機関)などのメンバーになりすまし、世界中のテレビや講演会で珍妙な言動を繰り広げる社会派イタズラ集団「イエス・メン」の活動を追ったドキュメンタリー「THE YES MEN」をDVDで観た。監督は「素晴らしき映画野郎たち」のクリス・スミスら3人。マイケル・ムーアもちょこっと出てる。

イエス・メンの中心メンバーとなるのはビデオゲーム「シムコプター」にパンツ姿の男たちがゾロゾロ登場させるプログラムを書いていたアンディ・ビクルバウム(仮名)と、G.I.ジョー人形とバービー人形の声を入れ替えて店に置いてくるという活動をしていた「バービー解放戦線」のマイク・ボナーノ(仮名)の2人。彼らはまずインターネットで「www.gwbush.com」というサイトを立ち上げ、ジョージ・W・ブッシュの公式サイトをおちょくることに成功する。それからWTOの公式サイトを完全にコピーしてパロディ化したサイト(見比べてみよう)を立ち上げるのだが、そのあまりのそっくりさにダマされた世界中の人々から講演会の招待を受けたことをきっかけに、彼らはWTOの職員になりすまして滑稽なプレゼンテーションを行い、先進国の利益ばかりを追求するWTOの偽善ぶりをコケにしていくのだ。

まず最初の講演会で「イタリアやスペインにおけるシエスタ(昼寝)の廃止」および「売買できる投票権」のプレゼンテーションに成功した彼らはフィンランドに向かい、第三世界の労働者をモニター上で管理する「遠隔奴隷制」と資本家の娯楽時間の確保を両立させる新発明「マネージメント・レジャースーツ」を発表する。金ピカのボディースーツの股間から巨大な棒形の風船が生え、その先にモニターがついてるこのスーツのデザインはかなりマヌケ。しかも講演会で背広を破り捨てて突然そのスーツ姿になるのだから最高に笑える。こんなプレゼンテーションをやってれば普通は追い出されるか警察を呼ばれそうなものだけど、なんと観客たちはイエス・メンの説明をまるで疑おうともせずに拍手までしてしまうのだ。これは人がWTOなどの巨大団体の言うことをそのまま信じてしまうことのいい証明だろう。特典のコメンタリーによると、このプレゼンテーションに文句を言った人は1人しかいなかったとか。

こうして誰にも疑われることなくフィンランドを後にしたイエス・メンの次なる活動場所はアメリカの大学。ここでハンバーガーの有効的なリサイクルについて学生たちにプレゼンを行うのだ。彼らは人体は食物の栄養の20%しか摂取しないことを説明したのち、先進国の人々が食べて「排泄した」ハンバーガーをリサイクルし、発展途上国の人々に与えるという、これまたとてつもない案を発表する。事前に腹の空いた学生たちにハンバーガーを配っておいてからこんな発表をするのが笑える。若い学生が相手だということもあってプレゼン後はかなりの論議が巻き起こるものの、ここでも誰も彼らが偽者だと気づく人がいないのが興味深い。

それから最後に彼らはオーストラリアの講演会に向かい「WTOの解散」を宣言するものの、このネタはちょっと規模が大きすぎて不発に終わったかな。それでもこの話を信じて議会で取り上げた議員がカナダにいたらしい。そしてこれ以降は彼らはWTOから手を引き、標的を別の団体に移していく。

イエス・メン本人たちに言わせると、彼らのやってることはWTOなどの団体が貧しい国々をいかに苦しめているかという真実の姿を人々に見せるための「アイデンティティ訂正」であるらしい。直接WTOを批判しているわけではなく、職員の姿を借りてコケにしているわけだから「批判」よりも「中傷」の色合いが強いかもしれないが、テレビの討論や観客との質疑応答をうまくこなしてしまう姿を見ると、WTOの活動について実によく勉強していることがすぐ分かる。単なる愉快犯だったらあそこまで出来ないでしょ。
しかし講演会の内容がメディアとかに大きく取り上げられてるのに、WTOがまるで気づかなかったのは何故なんだろう。ちなみに以前にWTOがシアトルで会議を開いた時に起きた大暴動は、実はデモ隊の後ろに潜んでいた私服警官がわざと起こしたものだという話を聞いたことがあるが、その一方ではイエス・メンのような連中がWTOに潜んで活動してるわけだ。

この映画の完成後もイエス・メンはいろんなところから講演の依頼を受け続け、最近ではダウ・ケミカルのスポークスマンになりすましてBBCに出演したらしい。今後はどんなところに彼らは出現するのだろう?

BORN INTO BROTHELS

「スーパーサイズ・ミー」などを抑え、こないだアカデミー賞を受賞したドキュメンタリー作品「BORN INTO BROTHELS」を観た。

舞台となるのはカルカッタの売春地区。ここの生活環境は非常に劣悪で衛生状態もひどく、最貧層の人たちが狭い部屋にひしめきあって暮らしている所である。わずかな稼ぎを得るために女性は男たちに身を売り、ここに産まれた子供たちはろくに教育を受けることもままならないまま、幼い頃から親に虐待されながら朝から晩まで働かされるのだ。彼らにとってきちんとした学校に通っていい職に就くというようなことは夢のまた夢であり、特に女の子の場合は彼女の母や祖母がそうだったように、売春業に身を染めるしか生活の手段がないということがほぼ決まってしまっているのだ(作品中には14歳で親に売春を強制される子が出てくる)。10歳くらいの子がせっせと水くみをしながら「僕の人生に希望なんてないから…」と語る姿は胸を打つ。

ちなみに子供たちの父親は何をしているかというと、母親にカネをせびっている以外は酒をちびちび飲んでるか、ハシシをきめてラリってるだけ。まさしく典型的な「ヒモ」であり、家長的な祖母や仕事と家事に専念する母親と比べると、女王アリやハタラキアリに対するオスアリのごとく、実に何の役にも立ってないのが情けなかった。

こんな売春地区を長年に渡って取材してきたカメラマンのザナ・ブリスキ(どうでもいいがジル・ヘネシー似)は、子供たちにカメラを与えて自由に自分たちの生活の光景を撮影させ、彼らの芸術心を持たせることを発案する。こうしてカメラを手にした子供たちが気ままに映す街角の風景は、素朴で荒削りながらも見る人に訴えかけるものがある(色彩が特に素晴らしいのはインドだからだろうか)。やがて写真は慈善団体を通じてニューヨークで展示・販売さて話題を呼び、インドでも子供たちのことは注目されるようになった。そしてこの成功を目にしたザナは、展示会の収益によって子供たちを全寮制の学校に通わせ、売春地区から抜け出す機会を与えようと奔走するのだが…というのが話の大まかな流れ。売春地区の陰惨な暮らしと、そんなとこに住んでいながらも決して陽気さを失わない子供たちの対比が強烈な作品になっている。ただし陽気さを強調するあまり、ミュージック・ビデオのような映像になる場面がいくつかあったのには気になったが。

最近はIT産業の成長やアメリカなどからのアウトソーシングで活気づいてるインドだが、その裏にはまだまだ貧困に苦しむ人々がいるということを実感させてくれる作品。子供たちの入学に必要な書類を集めるにあたって、ボンクラな官僚主義の連中に手を焼く光景なども興味深いものがあった。子供たちがどうにか入学できても、全員が無事に卒業できるわけではないという現実を思い知らされるラストが哀しい。自分により近いものの話に思われる、という意味では「スーパーサイズ・ミー」のほうが個人的には好きだけど、観て損はしない作品じゃないでしょうか。