「Dragged Across Concrete」鑑賞

BONE TOMAHAWK」「BRAWL IN CELL BLOCK 99」に続くS・クレイグ・ザラーの脚本&監督作品。以下はネタバレ注意。

ブレット・リッジマンはベテランの警官であるものの、その我が道を行くスタイルのために出世できず、自分より20歳も若い警官のアンソニー・ルラセッティと組んで張り込み業務を行なっていた。しかし逃げようとした容疑者を手荒く扱った様子が撮影され、ニュースとして報じられたために二人は6週間の停職処分を受けてしまう。家族を養ったりするのに金が必要な彼らは、街にヴォーゲルマンという犯罪者が潜んでいることを知り、彼の犯罪の収益を横取りしようと張り込みを始める。そしてヴォーゲルマンが銀行強盗を遂行するのを見届けた彼らは、その獲物を奪うために一味の車を追うのだが…というあらすじ。

スタイル的には前作の「BRAWL IN CELL BLOCK 99」こと「デンジャラス・プリズン」を踏襲していて、どこが同じかというと:

  • ヴィンス・ヴォーン、ジェニファー・カーペンター、ドン・ジョンソン、ウド・キアー(!)といった役者が引き続き出演している
  • 尺がやたら長い(今回はなんと2時間40分)一方で、話が佳境に入るのがずいぶん遅い
  • 人体の破壊描写がえげつない
  • カーステレオでかかる曲が概してダサい

などといったところか。尺は長いしアクションが多いというわけではないものの、いろいろ展開は多いので中だるみもせずに見ていて飽きることはないかな。映画というよりテレビドラマを観ているような感じ?産休から復職する銀行員の話とか実はメインのストーリーに関係なかったりするものの、結局は印象に残ったりする。

主役のリッジマンを演じるのはメル・ギブソンで、パートナーのルラセッティ役がヴィンス・ヴォーン。ハリウッド俳優のなかでもコテコテの右寄りとして知られるギブソンとヴォーンだが、劇中においてもリベラル寄りのニュースメディアを揶揄するようなセリフがあったり、リッジマンの白人の娘が黒人の少年たちにいじめられるシーンがあったりと、どことなく反ポリコレ的な描写がチラホラあったな。ここらへん監督が意図して入れているのか、冗談でやってるのかよく分かりません。いちおう劇中でもっとも真っ当な人間として描かれてるのは、刑務所から出たばかりなのに家が貧しくて再び犯罪に手を染め、ヴォーゲルマンの運転手として雇われる黒人男性であったことは記しておきます。彼と一緒に雇われる友人をマイケル・ジェイ・ホワイトが演じているのだけど、彼を出しておきながら肉体派アクションを見せつけないのはムダ遣いだよな!

リッジマンとルラセッティはまあ悪徳警官なのだけど、冒頭でも容疑者にそこまで過度な暴力を振るうわけでもないし、人種差別をしているわけでもない(ルラセッティの恋人は黒人)。「リーサル・ウェポン」のマーティン・リッグスのような型破りの警官が年をとったらこんな感じになるんだろうか。アメリカで問題になった警察による暴力へのコメンタリーかというとそうでもないし、かといって単なるB級コップ・ムービーのパスティーシュかというと当然違うわけで、深く考えようとするとモヤモヤすることになるかも。

その長さが敬遠されてアメリカでもあまり多くの映画館では公開されなかったようで、まあ監督のスタイルに慣れてないととっつきにくい作品であるかな。前二作ほどのインパクトはないものの、見応えのある作品でしたよ。

「The Cricklewood Greats」鑑賞

ピーター・カパルディが監督・脚本・主演を担当した2012年の単発番組。ずっと観てみたいと思っていた作品だが、ふと検索したら中華サイトに中国語字幕つきてアップされてるのを発見してしまった。中国でどれだけ需要があるのか知らんがご苦労様です。

内容はカパルディ演じるナビゲーター(カパルディ本人かどうかは明言されてない)が、かつてロンドンに存在したという架空の映画スタジオ「クリックルウッド・スタジオ」で作られた映画の数々への思いが語られるというモキュメンタリー。

100年近く前に創設されたクリックルウッド・スタジオは映画の黎明期から撮影を行っており、数々の銀幕のスターを世に出していく。チャップリンまがいのサイレント時代のコメディアンは人気を博したものの撮影中にロードローラーに潰され、トーキーになってからの女優はその歌が大戦中の兵士たちのあいだで大流行した一方で、実は親ナチスでありヒットラーのための映画にも出演していたなど、人気俳優たちの栄光と没落が淡々と語られていく。

カラー時代になってからは財政難に見舞われ、ホラー映画を作ったらヒットして似たような作品を乱発するという流れはハマー・フィルムを意識したものかな。科学者がイモ虫に噛まれて怪物化するという「原子人間」のオマージュみたいな作品も出てきますよ。

60年代になってからはコメディ・グループ(「Carry on」シリーズのオマージュですかね)に出演していたグラマー系の女優が、イタリア人監督とアートフィルムを作るものの興行的に失敗し、その後はアダルトまがいの作品にしか出演できず、やがて自ら命を絶つという悲劇が説明される。

そして最後は例によってテリー・ギリアム(本人登場)がスタジオで撮影を行うものの、撮影用の水槽が破裂してクルーが病気になり、訴訟問題に発展して映画の公開が禁じられ、多大な負債を抱えたスタジオは閉鎖の憂き目に遭ってしまう。もはやギリアムってこういうジョークのネタにされる人になってしまったな!彼の未公開映画(?)の絵コンテがいくつか見られるのは貴重でした。

いちおうコメディ番組なんだけど、イギリスの映画史への愛とユーモアを含めたオマージュというべきか。映画スタジオの架空の歴史と作品の数々を、ゼロから作り上げたその労力は結構すごいものがありますよ。DVDなどが出てないのが残念というか、もっと正規のルートで見られるようにすべき作品。

Cricklewood Greats from Tomboy Films on Vimeo.

「What We Do in the Shadows」鑑賞

FXの新シリーズで、同名映画作品(邦題「シェアハウス・ウィズ・ヴァンパイア」)のTVシリーズ版。

劇場版の監督だったタイカ・ワイティティとジェマイン・クレメントが深く関わっており、基本的な話の内容は変わっておらず、1つの屋敷のなかに共同で暮らす吸血鬼たちの愉快な日常を追ったモキュメンタリー作品となっている。ただし劇場版は舞台がニュージーランドだったのに対してこちらはニューヨークのスタテン島が舞台になっており、登場人物もすべて異なっていた。

屋敷に住むのはリーダー格の吸血鬼のナンドー、その仲間のラズロ、その恋人のナジャ、彼らの召使で人間のギレルモ、およびエネルギー・ヴァンパイアのコリン・ロビンソン。あと長旅をかけてやってきたバロンという古参の吸血鬼が棺桶のなかで長寝をしているという設定になっています。

個人的には劇場版はモキュメンタリーのブームの末期に公開された(と思っている)こともあり、そんなに評価はしていないのだけど、今度のTV版はエネルギー・ヴァンパイアという新しい吸血鬼がいるのがポイントかも。彼らは日中でも活動できるタイプの吸血鬼であり、他人のやる気を精神的に吸い取ってしまうという能力を持つため、普段は人間に紛れてオフィスワークを行い、同僚に迷惑をかけてやる気を吸い取っているのだ。しかもこの能力は吸血鬼にも効くらしく、彼が部屋に来るだけで他の吸血鬼は気力が萎えるという設定になっている。kおのコリン・ロビンソン、うまく扱えば結構面白いキャラになるかも。

あと劇場版ではオオカミ男とか魔女といった他の種類のモンスターが登場してましたが、予告編を見る限りではこちらでも登場するみたい。あと空中浮遊や壁をよじ登るといった特殊効果は、TVシリーズにしてはよく撮れていました。

ナンドーとラズロとナジャの3人の吸血鬼はみんなイギリスの俳優が演じている。なかでもラズロは「IT CROWD」「SNUFF BOX」などで知られるマット・ベリーが演じており、これがアメリカで彼がブレークするきっかけになるかも?あとはバロンの中の人をダグ・ジョーンズが演じていたりします。

全体的には劇場版の雰囲気によく似ているので、あれが好きだった人は楽しめるでしょう。 シュールな内容もFXのコメディ番組としてはよく似合ってるのでは。

「Blindspotting」鑑賞

昨年のサンダンスで公開されて高い評価を得た作品。

舞台はオークランド。酒場のケンカで逮捕されて仮釈放されたコリンは、保護観察期間が終わるまであと3日に迫っていた。彼は幼馴染の悪友マイルズと引っ越し会社で働いていたが、夜に帰宅しようとしたときに黒人男性が白人の警察官に撃ち殺されるのを目撃してしまう。この出来事に苛まれるコリン。一方のマイルズは妻子がいるのにブチ切れやすいタイプで、悪ノリで入手した拳銃をチラつかせて、コリンは気が気でない。果たして彼は無事保護観察期間を終えることができるのか…というあらすじ。

いちおうコメディドラマという扱いになっているようだけど、コメディの要素はあまりなくて、オークランドの現況を背景にした、いい年した男ふたりの青春物語といった感じ。「Sorry To Bother You」と同時期にオークランドで撮影したらしいが、あの作品ほど話がとんでもない方向に行くわけでもなく、人種差別とか銃問題とかをうまく織り込んで話が進んでいく。タイトルの「Blindspotting」は劇中の説明だと、1つのことが見えて別のことが見えない目の錯覚のことらしく、これが人種問題などを指していることが示唆されている。

監督のカルロス・ロペス・エストラダはミュージックビデオ出身で、これが初長編になるらしい。コリンをダビード・ディグス、マイルズをラファエル・カサールが演じているが、彼らは実際に幼馴染の親友らしく、脚本も一緒に執筆している。オークランドの状況をリアルに描きたくて脚本を書いたらしいが、まあ部外者にはそこらへんよく分からんがな。

話にものすごく起伏があるわけではないものの、主人公二人の掛け合いも巧妙だし、話のテンポが良いので飽きずに観られる作品。最後にちょっとしたクライマックスがあるのだけど、そこでセリフがヒップホップ調になるわけですね。ディグスはミュージカル「ハミルトン」にも出てたので、立て板に水を流すようなセリフ回しが大変素晴らしいのだけど、あれ日本語字幕とつけるの難しそうだなあ。

機会があれば観てみて損はない作品かと。


「キャプテン・マーベル」鑑賞

公開したばかりなので感想をざっと。以降はネタバレ注意。

  • 主役のキャラクターについては「ミズ・マーベル」だった頃の、ずっと昔に出た邦訳のコミックを持っていた覚えが。あとはアメコミを本格的に読み始めた頃はXメンのローグにパワーを吸い取られて昏睡状態に陥っていたという不遇な状況だったので、個人的にそんなに思い入れはなし。
  • しかし最近はコミックで主要なキャラクターになった(「シビル・ウォーII」はグダグダだったけど)」ということと、女性が主人公のマーベル映画が求められていたということもあり、映画化については満を侍して、という感じですかね。
  • 舞台は1990年代ということで、サントラも90年代ロックが多用されてるわけですが、「ガーディアンズ」に比べるとメジャーな曲ばかりで渋い選曲はなかったな。PCの遅さとかがネタになるあたり、自分が多感な時期を過ごした90年代は遠くになりけり、という感じでした。
  • 映画のスタイルも90年代のアクション映画っぽくて、サミュエル・ジャクソンとの掛け合いとかはバディ・コップものの亜流ですな。昔だったら金曜ロードショーなどで放送されてたような作品を彷彿させましたが、じゃあ90年代の作品のノリを再現したら面白くなるのかというと、必ずしもそうではないわけで。
  • 記憶を無くした兵士が自分の過去を取り戻し、組織から離れて一人立ちしていくところと、女性が自立していくさまを重ね合わせたのは良いのだが、それ以外の部分のバランスがどうも悪かったような?
  • スクラルにしろクリーにしろ、星間旅行が行える技術を持っている一方で、地球の交通事故で死ぬような弱さ。特にスクラルの主要キャラはなぜかオーストラリア訛りで話すようになり、「正体不明の策士」から「気のいいオッサン」までズルズルと格が下がっていくのが興ざめであった。もっと印象的な敵キャラを登場させるべきでしたね。
  • それに対して主人公は圧倒的なパワーを最終的に覚醒させるのだが、もうちょっと早く覚醒させて派手なバトルを繰り広げてもよかったような。何を言いたいかというと、終盤での宇宙船のなかでの格闘シーンがやけに暗くて、何が起きてるのか分かりにくかったのです。ここらへんは監督がアクション畑の人たちではないのも影響してるのだろうか。
  • スタン・リー追悼のオープニングはちょっとやり過ぎのような気もするが、まあいいか。本編でのカメオは「モールラッツ」の脚本を読んでるところがツボでした。
  • キャストはサミュエル・ジャクソン御大が70歳にも関わらず積極的なアクションを繰り広げられているのですが、自分の顔がずっとデジタル処理されて若返ってるのってどんな気分なんだろう。
  • マーベル映画としては「ドクター・ストレンジ」同様、比較的凡庸なオリジン映画の部類に入る作品ですかね。まあ今度の「エンドゲーム」の前振り的な作品でもあるので、あっちでキャプテン・マーベルがどう活躍するかに期待したいところです。