「キリング・ガンサー」鑑賞


アーノルド・シュワルツェネッガー出演のアクション・コメディ。日本では7月公開。以下は作品の重要な部分について述べてるのでネタバレ注意。

世界の殺し屋のなかでもトップに立つ男、それがガンサー。狙った標的は必ず仕留めるという伝説的なヒットマンだがその正体は誰も知らず、謎に包まれた人物であった。そんなガンサーを倒せば自分こそが世界ナンバー1の座につけると考えた若き殺し屋ブレイクは、毒物や爆弾などの様々なスキルを持った仲間のヒットマンたちを集め、さらにガンサー殺しの記録を残すために撮影クルーを雇い、ガンサーに偽の依頼をしかけて彼をおびき出そうとする。しかし何者かの行動によって彼らの計画はすべて裏目に出てしまい…というあらすじ。

話の顛末はほぼすべてが上記の撮影クルーが映した映像、というつくりになっていて、いわゆるモキュメンタリー的なスタイルをとっている。殺し屋を追ったモキュメンタリーといえばベルギーの名作「ありふれた事件」があるけど、あれよりもずっと緩い内容になっている。

ブレイクを演じるのはコメディアンのタラン・キラムで、彼は監督も務めている。彼の奥さんのコビー・スマルダーズもチョイ役で出演していて、なんか家内制手工業的な雰囲気があるのも悪くはないです。この作品、あとで述べるようにつくりが惜しいところがあるのだけど、その惜しさが劇中で計画がうまくいかずに苦労するブレイクの姿と重なり、まあ応援したくなる小品ではあるのよな。聞くところによるとキラムは「SNL」のレギュラーを降板してまでこの映画作ったそうだし。

とはいえやはり映画としては大きな欠陥がある作品でして、それが何かと明かすとネタバレにもつながるのですが、シュワルツェネッガー演じるガンサーが残り時間3分の1になるまで登場しないということ。その一方では上のポスターのようにシュワルツェネッガーが主人公であるかのような扱いを受けているわけで、主人公が1時間近く登場しない映画というのは何なのかと。劇中だとブレイクたちが「ガンサーの正体は何者だ??」とかやってるのだけど、そんなもんシュワルツェネッガーだというのは観る前から分かってるがな!みんなシュワルツェネッガーを期待して観る作品なわけで、そんな彼が話の半分過ぎたところまで出てこないというのは観客の辛抱を試す内容になっていると思うよ。

さらに肝心のシュワルツェネッガーも実のところミスキャストで、アクションするにも体がもう動かなくなってるし、えらく陽気なキャラという設定なんだけど訛りがきつくてジョークも不発だし。セリフの数々が彼の過去作のオマージュになっているそうで、それなら過去によく演じてきた寡黙な男を演じさせたほうがよかったのでは。

思うにこの映画、シュワルツェネッガーが出演していることを徹底的に隠したほうが面白くなっていたと思う。そうすれば観客はいつシュワルツェネッガーが登場するのかを気にしながら観る必要もないし、後半になって大物俳優が突然登場するということで話題になっただろうし。しかしその一方ではシュワルツェネッガーが登場していることを宣伝しなければまず客を集められなかっただろうし、そこらへんのバランスは難しいな。ネームバリューのある役者を脇役で使用するやり方について、いろいろ考えさせられる映画であったよ。

「COBRA KAI」鑑賞


「ベスト・キッド」(1984)の34年ぶりの続編!Youtubeの有料サービス「Youtube Red」のミニシリーズで、日本からも購入可能(2話目まで無料)。

「ベスト・キッド」の2から4、ついでにジェイデン・スミス版もすっとばして「1」に直結したような続編で(いちおうウィル・スミスがプロデューサーに名を連ねている)、主人公となるのはラルフ・マッチオ演じるダニエル・ラルッソのほうではなく、むしろ彼に鶴キック(あれどうも反則らしい)で負けた、ウィリアム・ザブカ演じるジョニー・ローレンスのほう。

空手の試合で負けて以来、ジョニーの人生はろくなものではなく、今では安アパートに住みながらしがない暮らしをしていた。その一方でダニエルは試合でちょっとした有名人になり、車のディーラーとして複数の店を経営する金持ちになっていた。ある日ジョニーは同じアパートに住む少年がいじめられていたのを空手で助け、さらにダニエルと数年ぶりに再会したことで彼に対するライバル心が燃え上がり、養父からもらった手切れ金をもとに空手道場を開設、かつて自らが属した「コブラ会」の復活を目指すのだが…というあらすじ。

コメディ・ドラマというつくりなので、万事がうまくいかないジョニーの奮闘が面白おかしく描かれているものの、根底にあるのはダメ男の再起という真面目なテーマなので、嫌味な内容にはなっていないですよ。ジョニーは時代遅れのポンティアック・ファイヤーバードを乗り回し、聞いてる音楽はポイズンとかフォーリナーといったバンド、テレビで流れてた「アイアン・イーグル」に感動するという、絵に描いたような80年代の人物。「レディ・プレイヤー1」では肯定的に描かれていた80年代カルチャーだが、まあ実際にはこういうダサい文化の象徴として扱われるのが正しいのでしょう。

対するダニエルのほうも商売は成功しているようで、ティーンの子供たちには構ってもらえず、彼なりのフラストレーションを抱えていることが示唆されている。ジョニーがコブラ会を復活させたことで彼自身も空手を再び始めることになるようで、どういう結末を迎えるのか?

劇場版の役を再演しているのはマッチオとザブカだけかな?エリザベス・シューとかは出てこないし、パット・モリタは他界してるので当然登場しません。でも劇場版のシーンがフラッシュバックで多用されているので、いろいろ懐かしいものがありますね。ウィリアム・ザブカの回し蹴りとかトロすぎて、とても空手のベテランに見えないのが難点だが、まあそういうのは大目に見ましょう。

懐古趣味の作品といってしまえばそれまでだけど、主人公とライバルの立場を替えたこととか、コメディ・タッチにしたことなどで新鮮な感じがするし、何よりもかつては活力のあったティーンたちがダメな大人になっているということが、往年のファンとしては共感を抱かざるを得ないわけで(だよね?)、ここ最近流行っている過去の作品のリバイバル(「Xファイル」とか)のなかでは成功しているものではないかと。残りの話も購入してもいいかなと思いました。

「ボストン ストロング ダメな僕だから英雄になれた」鑑賞


ボストンマラソン爆弾テロ事件の被害に遭った男性ジェフ・ボウマンを主人公にした、実話に基づいた作品。以下はいちおうネタバレ注意。

ボストン育ちのジェフは元恋人のエリンとよりを戻すことを期待して、彼女が参加したボストンマラソンをゴール付近で観戦していたところ、突如起こった爆発によって両足を吹き飛ばされる重傷を負い、病院に運ばれる。意識を取り戻した彼は爆弾犯の顔を覚えていたことからそれが犯人確定の手がかりとなり、傷害にも屈しない彼の姿はボストンで英雄視されることになる。しかしその一方でジェフはリハビリに苦しんでいた…というあらすじ。

邦題からして困難に立ち向かう主人公の感動もの、といった印象を受けるけど、実は意外とそうでもなかった。コストコの従業員として働くジェフは自らのヘマで汚した調理場の掃除を他人に任せてレッドソックスの試合に行くようなボンクラで、テロ被害に遭ったことで一躍英雄扱いを受けるものの、やってることは相変わらず友人たちとビール飲んでだべってるだけ。一度は別れた恋人のエリンが気を遣って身の回りの世話をしてくれるのにろくに感謝もせず、さらには彼女と保護なしのセックスをして妊娠させてしまうというダメっぷり。この映画はジェフの書いた自伝をもとにしてるのだが、本もこんな内容なのだろうか?

ジェフの家族もみんなだらしなくて、母親は酒ばかり飲んでるおばちゃんだし、ボストン訛りで言葉が汚くて、ジェフの面倒を見ているエリンを疎んじているほど。じゃあ人物の描き方が不快かというと決してそうではなくて、むしろ非常にリアルだと思いました。爆弾で両足を失ったからといって皆が聖人君主になるかというと、そういうわけではないでしょ?むしろ従来の暮らしに戻りたいと思うだろうし、エレベーターのない家に住んでる一方で立派な義足を贈与されるジェフの空虚さがよく醸し出されているのではないかと。
セレモニーに招かれてもジェフは感動的なスピーチを口にするわけでもなく、むしろ彼の姿に一方的に感動した人たちが自身の境遇を彼に投影し、心を揺さぶる話を彼にして、ジェフが逆にそれに感動するという有様。平和活動家として活躍しており、事故現場に居合わせたことでジェフに応急処置をして彼を救ったカルロス・アレドンド(上のカウボーイハットの人)こそ本来ならば英雄扱いを受ける人なのだが、彼もまた自分の亡き息子たちの姿をジェフに重ね合わせる人として登場している。話の最後ではさすがに感動パターンに話を持って行こうとして全体のトーンが崩れている気もしたけどね。

ひどい目に遭ったのに変わろうとしない主人公の物語、という意味では「BIG FAN」に似ているところがあったかな。監督はデビッド・ゴードン・グリーンで、彼のボンクラをボンクラとして描くスタイルはブレないですね。ジェフを演じるジェイク・ギレンホールも抑え気味の演技で好演していて、エリン役のタチアナ・マスラニーは相変わらず演技が巧いです。

映画のラストでは再び結ばれて子供が産まれているジェフとエリンのカップルも、実際は映画の撮影がちょうど終わった頃に離婚していて、現実はどこまでも非情ではある。でも困難に立ち向かってる人だって欠点はあるし、自動的に英雄になれるわけじゃないんだよ、ということを示した点では興味深い作品であった。

「フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法」鑑賞


昨年いろいろ高い評価を受けたインディペンデント作品。

舞台は名前の通りフロリダで、ディズニーワールド近くの安アパート(モーテル)群に住む人々の姿を、そこに住む6歳の少女ムーニーの視点で描いたもの。あまり確固としたストーリーはなくて、貧しくもその日暮らしで元気に生きようとする住人たちと、アパートの世界しか知らない子供たちの無邪気な行動、それでも忍び寄ってくる貧困の影、といったものが淡々と語られていく。

ムーニーは無邪気であるものの、話の初っ端から他の住民の車にツバをひっかけるようなクソガキで、他の子供たちとともにアパートの配電盤に潜り込んで停電を巻き起こしたり、さらに非道いイタズラをしたりとやりたい放題。アパートの管理人のボビーはそんな彼女たちに手を焼きながら、時には厳しく叱ったり、時には変質者から守ったりと親代りの身となってアパートを切り盛りしている。

ムーニーの母親のヘイリーたち(シングルマザーばかり)も生活がいいかげんといった意味では子供たちと似たり寄ったりで、安く仕入れた化粧品を通りで売りさばいて糊口をしのぎ、生活が逼迫してくると売春にも手を出す始末。彼女たちの生活とサブプライムローン危機を結びつける見方もあるようだけど、こういう貧困レベルで暮らす人たちはいつの時代にもいると思う。ただ生活のレベルが日本の低所得層とはまた異質で、いまいち共感しにくいところもあるんだよな。同じくその日暮らしをする若者たちが主人公の「American Honey」に似たものを感じました。

題名がフロリダのプロジェクト(公営団地)を指していることは明白だが、「フロリダ・プロジェクト」ってディズニーワールドの開発時の名前でもあるそうな。住人たちがディズニーワールドにやってきた観光客から様々な形で恩恵を受けていることが示唆されるが、テーマパークのきらびやかな世界との対比みたいなものは描かれていなかった。

監督のショーン・ベイカーって前作「タンジェリン」をiPhoneで撮影したことで知られる人で、劇中のフロリダの美しい夕暮れとか雲の姿をiPhoneで撮れたのかと驚いたが、さすがに今回は35ミリで撮ったみたい。ただし一箇所だけiPhoneで撮影されたシーンがあります。アパートの運営に奮闘するボビーをウィレム・デフォーが熱演していて、アカデミー賞にノミネートされたのは伊達ではないのだが、ムーニーを演じる弱冠7歳のブルックリン・プリンスと、母親のヘイリーを演じるブリア・ビネイトの演技はデフォー以上のものだったと思う。リトアニア出身のビネイトってインスタグラム経由で知った監督に起用されたらしいが、身体中のイレズミはみんな本物だし、これが映画初出演だとは思えないほど体を張った演技をしている。演じられる役は限られるかもしれないが、今後の活躍に期待したいですね。

前述したように登場人物に完全に共感できなかったこともあり、本国の批評家に絶賛されたほどの映画ではなかったと思うが、それでも悪い作品ではないですよ。

「アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー」鑑賞


公開中なので感想をサクっと。ネタバレ注意。

・まあ今回のが前後編になることは以前から周知されていたし、前半だけの時点で評価を下すのは適切ではないのかもしれない。でもこの作品って今までのマーベル映画が向かってきた1つの結集点であるわけで、それに見合うカタルシスがなんか感じられないのよな。たとえば仲たがいしていたキャップとスタークは後半において一致団結するかもしれないが、それはむしろ前半に持ってきて、「シビル・ウォー」からの流れにひと段落つけてから新しい脅威に立ち向かわせたほうが良かったのではないかとか。

・それでその脅威となるサノスですが、もともとコミックでもそんなに面白いキャラクターではないと個人的に思うのです。ラスボスっぽいのにダークサイドと違って策士ではないというか、どうも短絡的というか。映画ではコミックの設定である「死の女神を喜ばせる」という目的(あれもあれで感心しない設定だが)がなくて、宇宙を救うために人口を半分に減らすという目的をもって行動しているものの、あれだけ無数の惑星や次元があることを今まで映画で見せてきたのに、「宇宙は有限だ」とか言われてもピンとこないのよな。むしろガントレットの力で皆を救うことをせえよ。

・とはいえ、あれだけのキャラクターを多数登場させつつも、それぞれに活躍の場を与え、アクションシーンを重ねて話をダレさせない一方で、単純なアクションが続く内容(「ホビット」現象な)にさせない手腕はさすがであった。とはいえ庶民的ヒーローの彼と彼が出てこなかったのは残念だし、もうちょっと話にメリハリがあっても良かったけどね。

・ブラック・パンサーに続き、今度はアイアンマンとスパイダーマンも『ナノテク』のおかげでセリフを話すたびにマスクがシャカシャカと外れる仕様に。キャップは戦闘中でもマスクすることすら放棄してるし。マスクしたまま話のできるスーパーヒーローはおらんのか?ゴーグルしてても鼻腔できちんと演技をしていた「レディ・プレイヤー1」のタイ・シェルダンを見習うように。

・PG13のレーティングならね、「ファック」という言葉は一度なら使ってもいいんだよ。あの親父さんに「マザファッカ」と言わせても構わないんだよ…。

・「アレステッド・ディベロップメント」のキャラクターが登場するという話は前に聞いていたが(クレジットにもちゃんと借用した旨が説明されている)、「トバイアス・フュンケが後ろにいた」なんて誰も気づかないよ!

・まだ題名も明かされていない次作においてすべて話がきちんとまとまるのであれば、もう1年待つだけの価値は十分あるでしょう。今回の急いだ終わり方には一抹の不安を感じるが…。