DCコミックスの再起動


賢明なる読者諸君は既にご存知の方も多いかと思うが、こんどDCコミックスのタイトルがみんな刷新されることになりまして(ヴァーティゴなどの別レーベルは除く)、今までのタイトルはすべて8月をもって終了し、9月から新タイトルが52作品出ることになったんだよな。

70年以上続いた「アクション・コミックス」などのタイトルもぜーんぶ終了。過去にもDCは「クライシス」や「ゼロ・アワー」などといったイベントでユニバースの歴史をリブートしたことがあったけど、あれらは長年タイトルが続いたことでストーリーに矛盾が生じ、肥大化したコンティニュイティーを整理する意味合いが強かったのに対し、今回のようにユニバースを(ほぼ)ゼロからリブートする試みはアメコミの歴史のなかでも非常に珍しいことではないかと。アメコミ映画がこれだけ作られるようになってアメコミの認知度が上がったこともあり、新しいファンがとっつきやすいようにする目的もあったのかもしれない。

そして8月末に「ジャスティス・リーグ」が出たのを皮切りに新しい第1巻が次々と出てきているわけだが、今のところ評判は上々なようで、グラント・モリソンの「アクション・コミックス」のほか「アニマル・マン」とか「スワンプ・シング」とかが高い評価を得ているようでひと安心(もちろん酷評されてるタイトルもあるが)。個人的には今回のリブートには懐疑的だったんだけど、モリソンやジェフ・ジョンズといった好きなライターが関わっていることや、タイトルをまたいだクロスーバー・イベントにかこつけて関連タイトルを大量に売りつける商法に嫌気がさしていたので(特にマーヴェルはあざとい)、いっそゼロからやり直すのも悪くはないかな、と考え始めていたのです。もっともこの新しいユニバースでもいずれクロスオーバー・イベントが行われるのだろうけど。

あと不満点としては「XOMBI」や「BATMAN INC.」といった素晴らしいタイトルが終わってしまったことや(後者は来年復活するらしいが)、みんな十分に準備する時間が与えられなかったのか、旧ユニバースのタイトルがどれも尻切れトンボなストーリーで終わってしまったらしいこと。アメコミの(打ち切りじゃない)最終回なんて滅多に書けるものじゃないんだから、アラン・ムーアが「クライシス」の直前にスーパーマンの最後の戦いを描いたように、みんな腕によりをかけた最終回を生み出して欲しかったところです。

なお今回の新タイトルの特徴としては、スタティックやミスター・テリフィックといったマイノリティ(有色人種)のヒーローを主人公にしたタイトルが多いことで、実際にアメリカでコミックを読んでるのはマイノリティが多いという話もあるので、従来の白人ばかりだった面々よりも多様性が出てきたのは良いことかと。

それともう1つの特徴は紙媒体でのコミックの発売同日にデジタル版も専用アプリなどでデイ&デイトに購入可能になったことで、以前はデイ&デイトというとDVDとVODが同時に発売されるような映像業界の用語かと思っていたが、それが出版業界にもやってきたんだなあと。ただし個人的にはタブレットとかでコミックを読むのってどうもやりづらいと思うし、グラント・モリソンも「単にページをスキャンしてデジタル化するのは芸がない」みたいなことを言っていたし、アナログ人間のアラン・ムーアでさえも「ページをそのままデジタル化するのは30年代の印刷技術に制約されてるようなものだ。もっとデジタル機器に対応したコミックの読ませ方を考える必要があって、失敗することも多いだろうが、いずれ適切な方法を生み出す人がでてくるはずだ」みたいなことを言っていたな。

いずれにせよ今回のリブートは始まってしまったわけで、数年後に袋小路に陥ってまたリブートしたりしないよう、クオリティの高い作品が作られていくことを願うばかりです。

「The League of Extraordinary Gentlemen, Vol. 3: Century, No. 2: 1969」読了


前作「1910」から待つこと2年以上、やっと出てきた第2巻。今回は1969年のヒッピー文化真っ盛りのロンドンを舞台に「リーグ」の冒険が描かれている。

今回の「リーグ」はミナ・ハーカーとアラン・クオーターメイン、およびオーランドの不老組3人で、他にも悪の魔術師オリバー・ハドーやネモ船長の娘、ロンドン限定のタイムトラベラーことアンドリュー・ノートンなどが前作に続いて登場。そして新たに登場するのは「狙撃者」のジャック・カーターや「パフォーマンス/青春の罠」のターナー・パープルなどなど。この2本の映画の内容はプロットにも大きく関わってるので先に観といたほうがいいかもしれない。俺は観てなくて後悔しました。あと最後に出てくる不埒な男は「ハリー・ポッター」のヴォルデモートなの?相変わらず細かいネタが無尽に散りばめられているので、ジェス・ネヴィンスと同志による解説のページが今回も大変役に立ちました。あとムーアの最近の作品の傾向としてチンコとオッパイもたくさん出てきてます。

ストーリーはハドーの一味が、この世に災いをもたらすというムーンチャイルドの誕生を再び試みていることを知ったミナたち「リーグ」が、プロスペローに命じられてロンドンに帰還して調査を開始。その一方ではハドーたちに愛人のロック・スターを殺された闇社会のボスが復讐をジャック・カーターに依頼。こうして両者によるハドー探しが始まるなか、ハドー自身はムーンチャイルドの到来に備え、ターナー・パープルとそのバンド(明らかにローリング・ストーンズだ)にハイド・パークでの大コンサートを開催させるのだった…というもの。ジャック・カーターが着実にハドーの手がかりを辿っていくのに比べて「リーグ」の面々が意外とヘタレだという不満はあるが、コンサート会場におけるアストラル界での戦いというクライマックスはなかなかの見もの。

エピローグは1977年のパンク・ムーブメントを背景にして「リーグ」がほぼ解散状態で終わるという暗い終わり方を迎えるわけですが、アラン・ムーアによるとこの「Century」は20世紀における文化の劣化を表したものらしく、ビクトリア朝時代は想像力に満ち溢れたフィクションが生み出されていたのに比べ、それらがどんどん現実に影響されて創造性を失っていき、最後に本当に創造的であったのがこの1969年前後で、その後のパンクなどは既存の文化に対する批判としての、後ろ向きなムーブメントだということらしい。70年代生まれとしてはこの考え方に必ずしも賛同するわけではないが、こないだちょうど「60年代は00年代よりも革新的だった」と論じている音楽評論家のインタビューを読んだりしたので、いろいろ考えてしまったよ。

ムーアによるこの文化論は次回の「2009」で完結するわけですが、どうも話がずいぶん暗くて凄惨なものになりそうな気配。果たしてムーンチャイルドは誕生し、この世に破滅をもたらすのか?つうか刊行されるのはいつになるのか?ムーアはもうストーリーを書き上げたようなことを仄めかしてるけど、ケヴィン・オニールがアートを完成させるまでまた2年も待たなければいけないのか?なんかこう、ものすごく高い山の中腹にいて、先は長いし戻るにも戻れないところに来てしまったような気分を抱いてしまうのです。

「Grant Morrison: Talking With Gods」鑑賞


スーパーヒーローの歴史と存在意義を説いた著作「Supergods」がこないだ刊行され、9月のDCコミックスのリブートでは中心的役割を務め、ハリウッド映画の脚本も執筆中ということで最近絶好調のコミック・ライターであるグラント・モリソンに関するドキュメンタリー。

彼の生い立ちとコミック業界での経歴を追った内容になっていて、反戦活動家の父親のもとで冷戦の脅威を感じながらグラスゴーで育ち、その恐れを吹き飛ばす存在としてのスーパーヒーローに出会った幼少時代から話は始まる(ここらへんの経験は、こんどやっとペーパーバック化される「FLEX MENTALLO」に反映されてるらしい)。そしてアートスクールを落第になったあとにライターを目指し、それと同時にサイケデリック・バンドで活動し、「2000AD」などで執筆したあとにDCコミックスにスカウトされて「アーカム・アサイラム」で大ヒットを飛ばし、それからさまざまなコミックを手がけていった経歴が説明されていく。

また彼の趣味であるケイオス・マジックにも多くの言及がされ、カトマンズで神秘体験をした話とか、いかにコミックの出来事と現実の生活がシンクロされているかなどについても語られていく。かつてはとてもシャイな若者だった彼が、やがて自分自身を変えていき、ピリっとした服をきてアルコールやドラッグを服用し、コミックのキャラクターと自身を重ね合わせていき、ついにはコミックのなかに自分の分身を登場させてしまうくだりも面白かったな。

相変わらず破壊的なグラスゴー訛りで話すモリソンだが、言ってることはおおかた理解できた。彼以外にもフランク・クワイトリーやフィル・ヒメネス、マーク・ウェイド、カレン・バーガーなどといった業界関係者によってモリソンのことが語られていくんだが、元弟子のマーク・ミラーは出ていなかった。どうも不仲説は本当らしい。

あくまでもコミックに重点を置いているので「The Mindscape of Alan Moore」ほど哲学的ではなく、今までのモリソンの作品とそれに対する彼の考えをまとめた(現時点での)集大成的な内容になっているかな。ただし彼の作品に詳しくないと、語られることはまったく理解できないだろうから入門的なドキュメンタリーではないかな。

さて、次は「Supergods」を読まねば。

「The Complete Ballad of Halo Jones」読了


アラン・ムーアが「2000AD」誌のために執筆していたSFコミック「The Ballad of Halo Jones」の全話を収録した単行本で、アーティストはイアン・ギブソン。「2000AD」でのムーアの作品のなかではいちばん有名で評価が高いものじゃないかな。以前に単行本化されたときはムーアの前書きが付いていたらしいけど、今回は未収録。ただしムーアのスクリプトが数ページほど紹介されている。

ストーリーは西暦4900年代の遠い未来を舞台に、閉塞的な地球を嫌って宇宙へ飛び出すものの、環境の変化と時代の流れに翻弄されてしまう少女ヘイロー・ジョーンズの姿を描いた内容になっていて、ディストピアの未来における少女の物語という点ではフランク・ミラー&デイブ・ギボンズの「マーサ・ワシントン」シリーズに似ているかな。ただしあちらよりももっとスペースオペラの要素が強いけど。かといって宇宙を股にかけた冒険譚になっているわけでもなく、主人公は貧しいが故にまっとうな職につくことができず、あちこちでつらい目に合うという、なかなか社会派の作品になっている。それとイギリスでは男性向けの作品が多かった「2000AD」において強い女性を描いたということで評価が高いようだけど、今になって読むとあまりフェミニスト的なものは感じられないかな。

全体では3部構成になっていて、アシモフの「鋼鉄都市」みたいな地球においてヘイローと友人が買い物にいくのが第1部、地球を飛び出したヘイローが巨大な宇宙船で雑用係として働くのが第2部、軍隊に入ったヘイローが戦場で悲惨な体験をするのが第3部のそれぞれの内容になっている。本来は9部作になる構想があったらしいが、例によって権利の問題でムーアと出版社がモメて立ち消えになったそうな。なおイアン・ギブソンのアートはちょっとクセがあるので、受け付けない人もいるかもしれない。出てくる女性の口がみんな極端な「ヘの字」になっていて、どれも同じ顔に見えてしまうんだよな。

「D.R. and Quinch」と同様に、後のアラン・ムーアの作品のクオリティに達しているとは言い難いものの、優れた作品ではあるので、ムーアのファンならチェックしてもいいんじゃないかな。

「PLANETARY vol.4: Spacetime Archaeology」読了


ウォーレン・エリス&ジョン・カサディの傑作コミック「プラネタリー」の最新単行本にして最終巻。刊行の歴史を見れば分かるように、最終話の#27が出るのが非常に遅れたので、前回から5年ぶりの単行本になるのか。

全体的な展開としては従来の「地球の奇妙な歴史を調査する」という話が減り、プラネタリーの宿敵である「THE FOUR」との対決に向けて盛り上がっていくところに重点が置かれている。また「THE FOUR」がファンタスティック・フォーの奇怪なパスティーシュであるのを始め、さまざまなコミックやパルプ小説の登場人物をモデルにしたキャラクターが出てくるのが「プラネタリー」の最大の特徴だったんだけど、今回はローン・レンジャーとザ・シャドウに似たキャラクターが出てくる程度で、多元宇宙やデジタル物理学(のようなもの)、ミクロコスモスといった理論に焦点をあてた、よりSF色の強い内容になっている。

ウォーレン・エリスの作品ってアイデアは抜群な一方で話が進むとすぐにダレるイメージが強かったんだが(「トランスメトロポリタン」とか)、この「プラネタリー」では年に数話というスケジュールが役立ったのかどの話も読み応えがあるし、伏線もきちんと回収されていて上出来。これに加えてジョン・カサディのアートも大変素晴らしい。こないだ邦訳が出た「アストニッシングX‐MEN」で彼のアートに興味を持った人はこちらを持った人はこちらをチェックしてみてもいいんじゃないかな。

スーパーヒーローものにSFやパルプ小説、香港映画といったさまざまな要素を絡め合わせた「プラネタリー」は唯一無二のコミックであった。もはや新刊を首を長くして待つ必要はないものの、これで終わりかと思うと少し寂しい気もするのです。