「127時間」鑑賞


最初に言っとくとグロ注意。切断シーンはやはり痛いよ痛いよ痛いよ。デートで観たりするとちょっとしんどいことになるかも。

これを観る人の殆どがストーリーの展開および結末を事前に知っているだろうし、場所の移動などは皆無に等しい内容でありながら(だって人が5日間岩のあいだに閉じ込められる話だぜ?)、映画としてここまで楽しめる出来にしてしまった手腕はやはり凄いなあと。普通だったらどこかのケーブル局がTVムービー化する程度だったろうに。

以前にも書いたがダニー・ボイルっていま活躍中の映画監督のなかでも抜群の映像センスを持った人で、ミュージック・クリップ出身の監督たちとも違った独特のスタイルを誇っていると思うんだけど、前作「スラムドッグ・ミリオネア」ではその映像美が行き着くところまで行ってしまったような気がしたんだよな。そして今作も基本的にはそのスタイルが踏襲されているんだけど、話の展開自体はとても地味なので、それを映像美が補うことでいい感じの相乗効果が生まれている。自分の尿を飲むシーンをスタイリッシュに描ける監督というのはそういないだろう。

自分の腕を岩に挟まれて身動きできなくなった主人公の苦境と、彼の回想や妄想がカットバックする作りは「トレインスポッティング」でレントン君がベッドで寝込んでるシーンの雰囲気に近いかな。狭い岩間と、そこから見える頭上の青い空との対比などが非常に効果的。話を通じて主人公が大きく成長するような話ではないので「スラムドッグ」に比べると弱冠物足りない感じもするが、とても良く出来た作品ですよ。

「ALL-STAR SUPERMAN」鑑賞


DCコミックスの新作アニメーション映画。グラント・モリソンとフランク・クワイトリーによるミニ・シリーズを映像化したもので、原作はスーパーマン作品としては数十年に1度の傑作と言われるほど高い評価を得ているんだよな。

ストーリーは既存のコンティニュイティ—と関係のない独自の設定になっていて、宿敵レックス・ルーサーの策略により大量の太陽エネルギーを浴びたスーパーマンは力が増大したものの体の細胞が飽和状態となって炸裂を続けており、やがてそれが自らの死に至ることを知る。死が迫っていることを知ったスーパーマンは、この世からいなくなる前に自分に課せられた課題を解決していこうとするのだが…というような話。原作のストーリーをうまく拾ってはいるんだけど、ビザーロ・ワールドでの冒険やジョナサン・ケントの死などといったエピソードは省かれている。個人的にはユニバースQとか飛び降り自殺を阻止する話とかの細かいところも含めて欲しかったんだけど、まあ無理か。

原作は話の展開が比較的ゆっくりしていて、それがモリソンのトリッピーな話とクワイトリーの夢想的なアートにうまく合っていたんだけど、アニメーションでは各エピソードが凝縮されて並べられている感じで、どことなくせわしない感じになってしまったのは残念。原作を読んでないと意味が分かりにくいシーンが多々あるかも。まあ原作自体もコミックスに詳しくないと分からないマイナーなキャラがいろいろ出てたんですが。暴君太陽ソラリスとか。

あと絵柄は原作のアートと大幅に違っていて、従来のDCのアニメーション作品のスタイルを踏襲したものになっている。フランク・クワイトリーのアートって一見するとすごくクセがあるんだけど、その奇抜なキャラクターデザインや宙に浮いているような感じのスタイルはとても好きなので、もうちょっと原作に近い絵柄にしても良かったかと思う。なお原作が高い評価を得たのは、万能の存在であるスーパーマンを非常にリラックスした大人のキャラクターとして描いたことで、変に悩んだりせずどんな善行も厭わない姿が共感を呼んだわけだが、その部分はこのアニメーションでもうまく描かれていたと思う。

ちなみにこの作品には悲しい話が1つあって、脚本を書いたドウェイン・マクダフィーが手術後の合併症のため、よりによってこの作品の発売日に亡くなってしまったそうな。マクダフィーといえばマイルストーン・メディアという出版社を立ち上げて多くのマイノリティーのヒーローを生み出すことに貢献したほか、最近ではアニメーションのライターとして「ジャスティス・リーグ」などの優れたエピソードを担当していた人だけに、その早すぎる死が悔やまれるのです。

「MONSTERS」鑑賞


こんどハリウッド版「ゴジラ」の監督に抜擢されたらしいギャレス・エドワーズの低予算映画。

NASAが宇宙に打ち上げた探査機がメキシコ北部に墜落し、それに付着していた地球外生物が繁殖してしまい、巨大なタコのような生物となって人を襲うようになってから6年。アメリカはメキシコとの間に巨大なフェンスを建設して国境を封鎖し、怪物たちの跋扈する地帯は立ち入り禁止区域となっていた。そしてメキシコでカメラマンをしているアメリカ人のアンドリューは、自分が勤める会社の上役の娘でメキシコを訪れていたサマンサという女性を、アメリカ行きのフェリーに乗せる仕事を命じられる。しかし手違いによってサマンサはフェリーに乗ることができず、仕方なく2人は立ち入り禁止区域を縦断してアメリカを目指すことにするのだが…というストーリー。

題名がそのものずばり「モンスターズ」だし、怪獣がストーリーに大きく関わってはいるんだけど、ガチな怪獣映画というよりもロードムービーのような作品であった。モンスターが姿をちらっと見せる描写とかは非常に巧いんだけど、ちゃんと姿を見せて暴れるようなシーンは殆どありません。むしろ主人公2人の旅の描写にずっと重きが置かれた内容になっていた。

かといって話が退屈になっているわけではなく、不安な暮らしをしているメキシコの人々や、戦闘機が墜落したジャングル、空爆で放棄された町などの光景が監督本人によってとても上手に撮られていて、低予算映画とは思えないくらいに独特の雰囲気を醸し出すことに成功していた。地球外生命体と暮らす人々というと「第9地区」を連想するが、あれよりもっと暗い雰囲気になっている。また実生活では夫婦だという主人公2人の掛け合いもいい感じ。ただしフェリーに乗り遅れた理由が「アンドリューがボンクラだったから」というのはどうかと思うし、もうちょっと全体に緊迫感があっても良かったような気はするけどね。

触手のCGとかは結構しょぼいもののモンスターをチラ見させることで低予算ぶりをうまく補っているし、人物や風景の演出とかもきちんとできる監督であることは理解できたんだが、果たしてこのスタイルが「ゴジラ」で通用するかどうかは疑問だなあ。暴れるゴジラの全体像をきちんと見せないとファンは納得しないだろうし。

あと俺も観賞後にIMDBの掲示板読んでやっと気付いたんだが、最後に重大なヒネリが隠されてるので見逃さない(聞き逃さない)ようにしましょう。

「ソーシャル・ネットワーク」鑑賞


2003年は遠くになりけり。これ観てて連想したのが、アップルとマイクロソフトの黎明期を描いたTVムービー「バトル・オブ・シリコンバレー」だった。だからという訳ではないが、意地の悪い言い方をすれば「ものすごく良く作られたTVムービー」という感じか。世間でちらほら言われている、2時間ドラマのような映画という表現はあながち間違ってないと思う。

いやね、技術的には大変良くできた映画だと思うのですよ。役者の演技から脚本から撮影技術に至るまで(ただしセピア色のカレコレは最近みんなやってて食傷気味だが)。トレント・レズナーによる音楽も効果的に使われていたし。最後にビートルズ持ってくるとは思わなかったけどね。ストーリーテリングも非常に重厚だし見応えがあり、ハーバードという一種特殊な環境における当時の雰囲気をきちんと描写しているんだが、最初から最後までそんな感じであるため、コース料理でメインディッシュをずっと出されてるような感触だった。話にメリハリがないわけではないけど、1本の映画としては大きなうねりに欠けているというか。

まあ俺自身がフェイスブックやってなくて、マーク・ザッカーバーグのことも殆ど知らなかったというのが原因なのかもしれないな。観てる間はとても楽しめたんだけど、そのあとに自分がこの映画から得たものは何なのかと考えたら、きちんとした答えが見つからなかったという、そんな作品でした。

「グリーン・ホーネット」鑑賞


ポスターを一瞥しただけでも、何故いまさら「グリーン・ホーネット」なのか?何故ミシェル・ゴンドリーなのか?何故セス・ローゲンなのか?何故ジェイ・チョウなのか?といろいろ疑問がわいてくる作品なのだが、映画を観てもその答えは与えられなかったよ。

確かこの映画ってもともとはケヴィン・スミス監督で主演がジェイク・ジレンホールで企画され、そのあとチャウ・シンチーの監督&出演という噂があって、それから回りまわって、それでやっと今回のスタッフに決定したんじゃなかったっけ。このように製作の時点で右往左往した作品についてほぼ100%言えることは、スタジオが完成を急ぐために製作側のクリエイティブな面が疎かにされるということであり、それに今回はハリウッドで最も独創的な監督の1人であるミシェル・ゴンドリーが関わってしまったというのは不運というか皮肉というか。

ゴンドリーの従来の作品って少なくとも1本に1度は「このアイデアすごい!」と感心させられるところがあったんだけど、悲しいかなこの作品ではそれが無いのですよ。せいぜい主人公が今までの手がかりを回想するシーンがちょっとゴンドリーっぽかったことくらいかな。

そもそも原作はもっとストレートなヒーローものなのに何でバディ・コメディにしてしまうんだか。当然ながらセス・ローゲンはミスキャストで、ジェイ・チョウの拙い英語も聞いててしんどい。そしてキャメロン・ディアスを「ホットなお姉さん」として扱うのはいいかげん限界が来てるんじゃないだろうか。他の役者はけっこう良い人たちが出ていただけに残念。これを機にゴンドリーはしばらくフランスに戻って「恋愛睡眠のすすめ」みたいな小品を作ったほうがいいんじゃないだろうか。

あーあと3Dはまったく意味が無いので無理して高い金は払わないように。会話のシーンとかはメガネを外して普通に視聴できてたぞ。いちばん3Dになって見える部分が、最後のエンド・クレジットだというのはどういうことだよ!