「A SERIOUS MAN」鑑賞

コーエン兄弟の最新作だよ。舞台は1967年のミネアポリス。大学で物理を教えるラリーは物静かなユダヤ系の男性だったが、

・不倫したうえラリーに離婚と立ち退きを迫る妻とその愛人
・職もなくラリーの家に居候をしている兄
・家の土地を侵害している隣人
・試験の結果を上げるよう賄賂をよこす生徒

といった人々によるさまざまな問題に突然として見舞われてしまう。さらに彼の不運は続き、これは彼に対する神のお告げなのかと考えた彼はユダヤ教のラビたちに相談することにするのだが…というようなお話。

ものすごく難解というか、訳の分からない映画だなぁ…。主人公が次から次へと不運に見舞われるのは旧約聖書のヨブをモデルにしているらしいが、他にもシュレディンガーの猫をモチーフにしていることが示唆されていて、「生きているのか、死んでいるのか?」というテーマが底辺にあるみたい。特に冒頭の寓話(?)のところとか。

主人公が不幸な目に遭うとはいえ内容は決して悲劇的なものではなく、真っ黒けっけなコメディ仕立てになってるわけだが、聖書のヨブは最後に幸せを得たのに対し、ラリーの場合は…。これって「世の中の出来事はみんな関係しあっているように見えるけど、そうではなくて全て偶然の産物だよ。自然災害とかも」というオチなの?違う?登場人物とかはコーエン兄弟が子供の頃に知ってた人たちをモデルにしてるらしいが、このどっぷりユダヤ文化に浸かった内容は日本で売るのは難しいんじゃないだろうか。

出演者はラリー役のマイケル・スタールバーグをはじめ、大半が無名の役者で固められていて、俺が知ってたのはファイヴッシュ・フィンケルとアダム・アーキンくらいか。コーエン兄弟の難解な作品といえば「バートン・フィンク」が挙げられるけど、あれよりも演出は地味な感じ。雰囲気は「ファーゴ」あたりに近いかな。俺は使用されている曲などから「ブラッド・シンプル」を連想しましたが。あと部屋の奥に座っているラビの姿は「ディボース・ショウ」のCEOそのまんま。

ちなみにこの映画とはあまり関係ないけど、これだけアメリカの映画とかテレビ番組とか観てても、ユダヤ人の定義というのがいまいち俺には分からないわけで、「ユダヤ教を信仰している」もしくは「母親がユダヤ人」でいいんだっけ?ウィトゲンシュタインの一家みたいにカソリックに改宗したユダヤ人をユダヤ人と呼べるのかとか、あれだけ宗教バッシングをしているビル・マーが「俺は半分ユダヤ人だ」なんて言ってるのを観ると、じゃあユダヤ人って何よ、という気になるのです。こういう曖昧な定義のせいで「世界を牛耳ってるのはユダヤだ!」なんていう陰謀論者の格好のターゲットになってるんだろうか。

ユダヤ人の主人公がひたすらヒドい目に遭う映画ですが、クレジットには「No Jews were harmed in the making of this motion picture.」とありますので皆さんご安心を!

「月に囚われた男」鑑賞

デビッド・ボウイの息子でもあるダンカン・ジョーンズの初監督作となるSFスリラー。

舞台は近未来。地球のエネルギーの70%は、月面で採掘されるヘリウム3によって賄われていた。その採掘を手がけるルナー・インダストリーズ社の月面基地(ちなみに韓国製)にはサム・ベルという職員がたった一人で住み込み、人工知性を備えたロボットのガーティーとともにヘリウム3の回収・送出などを行っていた。彼の任期である3年がもうすこしで経とうとするころ、月面に出ていたサムは作業用車両を大破させる事故を起こしてしまう。気を失ったあとに基地で目覚めるサム。事故の記憶は彼の頭から消えていた。何かを不審に感じたサムはガーティーには秘密で月面の事故現場へと戻るが、そこで彼は驚くべきものを発見してしまう…というのが大まかなプロット。

出演者しているのが殆どサム・ロックウェルだけというのも珍しいが、地球の家族のことを想いながら孤独に働き、やがて自分の運命を悟ることになる主人公を好演している。あとガーティーの声はケヴィン・スペイシー。

重力の描写などは突っ込みたいところもあるものの、すごく正統なSFスリラーになっていて、どことなく70年代のSF映画を彷彿させるところがあるほか、何かを隠しているガーティーとのやり取りは「2001年宇宙の旅」に通じるものがあるな。謎解きの要素はさほど多くないものの(話の展開が途中で何となく読める)、臨場感たっぷりの演出によって観る人を最後まで引きつける内容になっている。クリント・マンセルによる音楽も控え目ながら相変わらずいい感じ。

これが良質のカルト映画として後々まで語り継がれることになるかはまだ分からないけど、続編(のようなもの)の製作も企画されているようなので、こういう真面目なSF映画の人気がもっと出てくることに期待したいです。

「ギャラクシー・オブ・テラー/恐怖の惑星」鑑賞

ジェームズ・キャメロン関連の検索をしてて見つけた、ロジャー・コーマン先生が「エイリアン」を露骨にパクった1981年のSF映画。

未開の惑星で遭難した宇宙船を救助するため、もう1つの宇宙船とそのクルーが惑星に送り込まれるのだが、遭難した宇宙船に生存者はいなかった。さらに惑星上にピラミッド型の遺跡を発見したクルーは中の探索を試みるが、謎の怪物によってクルーが一人ずつ惨殺されていく…というようなプロットで、宇宙服を着たクルーが宇宙船を捜索するあたりは「エイリアン」そのまんま。そのプロダクション・デザインを担当していたキャメロンが後に「エイリアン2」を監督することになるのは興味深いな。

キャストにはフレディ・クルーガー以前のロバート・イングランドや「ブラボー火星人」のレイ・ウォルストンなんかがいてマニア心をくすぐるものの、みんな石のような演技しかしてないような。意外なのは当時「ハッピー・デイズ」でスターだったエリン・モーランがいることで、なんでこんなB級映画に出てるのかは不明。ロン・ハワードにそそのかされたんだろうか。

あと金髪のおねーちゃんがクルーにいて、巨大なイモ虫モンスターの触手によって服を剥がされて全裸になり、モンスターに襲われてしまうというサービスシーンがあるのですが、何故かウィキペディアではこのシーンについてやたら詳しく解説されていて、「これは日本のアダルトアニメにも影響を与えた」なんて書かれてるんだけど、そうか?そうなのか?

宇宙服や遺跡のデザインとかはよく出来ているし、視覚効果なんかも当時のB級映画としては凝っているんだけど、コーマン&キャメロンの前作「宇宙の七人」同様に、展開がひたすらダラついているのが残念なところ。当時は「スター・ウォーズ」という格好のお手本があるのに、どうしてこういうダウナー的なSF映画になってしまっているのか。モンスターの粗末な造形を隠すために画面はやたら暗いし、最後はモンスターとの決戦があるかと思いきや変に哲学的な話になって終わるし。

あまり観る価値のない作品だけど、のちに大ヒットを記録する監督も、最初はこういう作品からキャリアが始まったんだよ、ということは認識させてくれるか。

「アバター」鑑賞

やっと川崎のIMAXにて。先に技術的なことを書くと、やはりIMAX方式だとメガネが軽くて観てて疲れないな。でも川崎のスクリーンって高島屋にあったやつにくらべてずいぶん小さいのね。そして巷で言われている通り字幕に目をやりづらいので、吹替版のほうが映像に没頭することができるんじゃないかと。あと3Dとはいえ「こちらに向かってくる」的な映像が殆どなく、主に空間の奥行きを出すために3Dを用いているのは少し意外であった。子供だまし的な演出を嫌ったということですかね。

そして作品の内容としては、これも巷で言われている通り、脚本とか演出はかなり凡庸な部類に入るもので、巨大メカがいろいろ登場したりミリタリーねえちゃんが活躍するところなんかは「エイリアン2」からぜんぜん進歩してないじゃん!という感じだったし、パンドラの生態系などのSF的考証もなんかすごく適当な気がしたんですが。敵が銃をかまえて待ち受けているところに騎馬隊を突っ込ませる演出もどうかと思ったし。

じゃあツマらない映画だったかというと全然そうではなくて非常に楽しめた映画であって、ストーリーとかの欠点をビジュアルの素晴らしさが完全に払拭してしまった希有な例であろう。自分の頭のなかにある異星の世界の光景を、半端じゃない金額と労力と時間をかけて映像化してしまったジェームズ・キャメロンの功績を観るための作品なんじゃないかと。少なくとも2200円の元は十分とれたと俺は思ったよ。

登場人物に関して言えば「強い女性たち」はキャメロンの定番だから置いとくとして、サム・ウォーシントンが思ってたほど悪くなかった。というか役者として何のメリハリもない人だから、物事をゼロから学ぶカラッポの男という役にマッチしてしまっただけの話なのかも知れないが。残念だったのは大佐のキャラクターで、南部訛りを含めてあまりにもステレオタイプすぎる悪役ではないかと。もうちょっと深みを持たせてもよかったのに。あと「原住民の宗教なんて関係ねえ!」なんてセリフを、サイエントロジストのジョヴァンニ・リビシが演じる役に言わせているのが興味深かった。そこらへんは何か意図するものがあったのかな。

意図するものといえば、この映画は「反米・反軍」のメッセージが含まれているという報道が一部でされていたけど、上記したようにそんな凝った脚本でもないし、あまり深く考える必要はないかと。「反米・反軍」のSF映画といえば「スターシップ・トゥルーパーズ」という金字塔が既にあるわけだし。

ふだん劇場で映画を観ない人にも「劇場で観なきゃ」という気にさせ、このご時世に劇場へのリピーターを続出させたという意味では非常に画期的な映画だし、大いに賞賛されるべきであろう。但し2Dではその魅力が半減してしまうことは否めないので、これからDVDやテレビで公開されるときに、その話題性がどこまで持続できるかが興味深いところではある。

「コックファイター」鑑賞

モンテ・ヘルマンがロジャー・コーマン先生のもと、「断絶」に続いてウォーレン・オーツと組んで作った低予算映画。

闘鶏の世界を舞台にしたもので、闘鶏の最優秀賞を獲得するまで言葉を発しないことを誓った主人公が、ほぼ無一文の状態から家を売ってまでしてニワトリを手に入れ、大会に向けて着実に金と技量を手にしていくといった内容の作品。「断絶」同様にハリー・ディーン・スタントンも出てるぞ。

劇中ではウォーレン・オーツ演じる主人公が殆どセリフを喋らないのに彼によるナレーションがかぶせられていたり、シリアスな内容なのに陽気な音楽がついていたり、あまり話の筋と関係ない強盗のシーンがでてきたりと、全体的にチグハグな感じがするのは否めない。あといまいち主人公の強さというか成長ぶりが描けていなかったような。初めて闘鶏を観戦した恋人に、「あんたなんかニワトリ以下よ!」と怒られるラストはなかなか面白かったけど。

試合のシーンでは実際にニワトリ同士を戦わせたらしく、足につけられた鉄のスパイクが相手のニワトリに深々と突き刺さっている光景とかはちょっとショッキング。おかげでイギリスではずっと上映禁止の作品なんだとか。マイナーで血なまぐさいテーマを扱ったせいかコーマン先生の作品のなかでも儲からなかった部類に入る作品だが、逆になかなか目にかけないテーマを扱った映画だけに、物珍しさも加わって見応えのある作品になっているかな。