「Batman: City of Scars」鑑賞

バットマンのファン・ムービーだそうな。映像がうまく埋め込みできなかったけど、こちらのサイトでフルに観ることができるぞ。

内容はアーカム・アサイラムから脱走したジョーカーが政治家の息子を誘拐したうえ、7月4日の祝日に惨事を巻き起こそうとするのをバットマンが阻止しようとするが…というようなもの。ジョーカーのほかにもハーレー・クインやミスター・ザズ、さらにはヴェントリロキストなんていうなかなか通好みのキャラクターが登場していた。あとクレジットによるとブラック・カナリーも出てるようなのだがどこにいたのか分からず。

アクションとかガジェットも凝っていて、遊園地での撮影などを見る限り結構金をかけて製作しているみたい。ただし約30分と比較的長尺のせいか、すこし話が散漫に感じられたかな。同じバットマンのファン・ムービーだったら、数年前に話題になった「DEAD END」のほうがクオリティは高かったかな(人それぞれでしょうが)。

こういう優れたファン・ムービーが作られると「ハリウッドの映画より面白い!」という意見を必ずといって目にするのだけど、バットマンの場合は「ダークナイト」という大傑作があるからなあ。特にヒース・レジャーのジョーカーを超えるジョーカーは今後出てこないと思うぞ。むしろ「デアデビル」とか「パニッシャー」あたりのファン・ムービーを誰か作ってくれないかな。

「アイアンマン2」鑑賞

やはりウォーマシンだよな。ソーのベータレイ・ビル同様に主役よりもカッコ良いデザインかと。アクション大作として楽しめる作品だし、監督も役者も手慣れた感じで作ってるようなところがあって安心して観てられる作品かと。ただし個人的には「1」のほうが面白かったかな。その理由を2つ挙げると:

・悪役(ジャスティン・ハマーとウィップラッシュ)がどちらもあまり強くないうえ、スタークの知らないところで仲違いとかしてるので緊迫感が感じられない。
・スカーレット・ヨハンソンのブラック・ウィドーが不要。最後のアクション・シーンとかは話の流れを散漫なものにしてしまっている。

というところかな。ちょっとストーリーが盛り上がりに欠けてたかと。前半でウィップラッシュに完膚なきまでにやられて、特訓して最後にやっつけるというベタな展開でも良かったと思うんだけどな。スーパーヒーロー映画って、オリジン話に時間を割く必要のない続編のほうが面白くなると思ってたんだけど(「スパイダーマン2」や「ダークナイト」)、「アイアンマン」に関しては「1」のスーツを作り上げていくまでの話が面白すぎたんだろうか。あと今回からジム・ローズを演じるドン・チードルはテレンス・ハワードよりも優れた役者だと思うけど、「ホテル・ルワンダ」あたりのイメージが強いのか物静かな印象がして、戦う軍人の役は似合ってなかったかな。

とまあ否定的な感想を述べたけど、それでも良く出来た映画であることは間違いないですよ。劇場で観る価値は十分あるかと。ちなみにロナート・ダウニー・Jr.は過去のドラッグ歴から日本への入国が禁止されてるらしいが(「1」の来日宣伝のときに引っかかって舞台挨拶のあと強制送還されたらしい)、いずれ「3」も製作されるだろうし、税関ももうちょっと寛容になってもいいと思うんだけどね。

「THE COMPLETE METROPOLIS」鑑賞

(注:以下はジョルジオ・モロダー版を含め2〜3のバージョンを観ている者の感想です。今回のバージョンでどの要素が追加されたか全ては把握してないのでご容赦を。あといちおうネタバレ注意。)

こないだのアメリカ出張において、どうにか時間をつくって幸運にも「メトロポリス」の完全版を劇場で観てくることができた。まず驚かされるのはリマスターされたプリントの美しさである。色のついたモロダー版やノイズの多かった廉価DVD版などとは違い、ノイズを徹底的に排除してモノクロの美しさを十分に引き出していると言えよう。特に印象的だったのは地下聖堂の暗闇のなかを逃げ惑うマリアに対してロトワングの持つライトがギラギラと当てられるシーンで、白と黒のコントラストが見事すぎて「ここの演出こんなにすごかったっけ」と再認識させられた場面であった。また今回のバージョンではストーリーが「Prelude」「Intermezzo」「Furioso」の3つのセクションに分けられ、話に緩急を与えている。

アルゼンチンで発見された16ミリプリントから起こされた追加シーンは最新の技術をもってしても完全な復元はできなかったらしく、画格が弱冠異なっているうえ、多くのシーンでは縦方向に無数のスクラッチが入ってしまい、人物の表情を読み取るのが困難なところもあったりする。しかし逆にこれによってどのシーンが追加されたのかが明確に分かるようになっているため、これらが追加されたことによって作品がどう変わったかを知る役には立つだろう。

追加されたシーンの多くは数秒程度のリアクション・ショットなのだが、これらが話のあちこちに挿入されたことによって登場人物の性格描写に深みを与えているといえよう。正直なところ、サイレント映画でリアクション・ショットがいかに重要であるかを実感させられた次第であった。特に変化が大きかったのはメトロポリスの主であるフレーダーセンで、以前のバージョンでは無感情で冷酷な人物だという感が強かったものの、ロトワングや息子のフレーダーとの会話などにおいて微妙に困惑した表情を浮かべるシーンなどが追加されたことで、とても人間味のあるキャラクターに変化したという印象を受けた。

新たに追加されたシーンはこの他にも長尺にわたるものが幾つかあり、序盤ではまずフレーダーと服を交換してタクシーに乗せられた労働者11811号(ゲオルギ)がフレーダーの部屋に向かうものの、歓楽街ヨシワラの魅力に屈してしまう過程がきちんと説明されている。地下の労働から解放されたばかりのゲオルギが、車道でバラ撒かれるヨシワラのビラを手にとり、横の車のなかにいる美女の目線に夢中になり、快楽の要求に負けてしまう描写は圧倒的。この車のなかの美女をはじめとして何人かの女性が新たに登場するのだけど、皆が娼婦のような格好をしているのが、質素なマリアとの巧みな対比を生み出していたといえよう。このあとゲオルギはフレーダーセンが息子の尾行につけた「痩せた男」につかまって尋問を受け、フレーダーに合わぬまま逃げ出してしまうのだが、後に暴徒のナイフからフレーダーをかばい、「私はあなたに忠実でした…」と呟いて命を落とすわけで、この追加されたシーンにより一人の男の堕落と贖罪が確立するのである。

そして新たに追加されたシーンによって最も深みが加わった人物は、何と言ってもこの「痩せた男」だろう。従来のバージョンではフレーダーセンの単なる召使いと見なされていた男だが、今回のバージョンではフレーダーの服を着たゲオルギを尾行して尋問し、そののちにヨサファットを大金を見せて彼とフレーダーとの関係を絶ち切ろうとするのである。「痩せた男」という役名ながらも彼はいかつい長身でその腕力はヨサファットを遥かに上回り、毒々しい笑みをうかべてフレーダーたちの計画を邪魔しようとし、ついにはフレーダーの悪夢にまで登場する姿は非常に強烈な存在感を持っている。特に彼がエレベーターからぬっと現れるシーンは印象的だった。話の後半になるとあまり登場しなくなるものの、終盤においてかつて迫害したヨサファットと共に暴徒たちの前に立ちふさがり、フレーダーセンを守ろうとするのである。

追加されたシーンをさらに幾つか挙げると、まずロトワングの家にはフレーダーセンの妻でありフレーダーの母親であった女性ヘルの巨大な顔の彫像が飾られてあり、ロトワングとフレーダーセンがかつて恋敵であり、ロトワングが片腕を犠牲にしてまでもヘルの生き写しの存在を造るためにロボットを製作したことが強調されている(その熱意のわりにロトワングはフレーダーセンに命じられてロボットの姿をヘルでなくマリアのものにしてしまうわけだが)。またクライマックスの地下での暴動のところにも幾つかのシーンが追加されていて、メトロポリスの中枢である心臓機械には二重のシャッターがついていたり、子供たちが洪水から逃げようとする空気孔の先には鉄格子が付いているということが明らかになり、ストーリーに新たな緊迫感を与えることに成功している。ただし二重シャッターのところで1つ分からなかったのが、フレーダーセンがロボットのマリアを作ったのは労働者の信心を破壊し暴徒化させ、それから彼らを武力で鎮圧させるためだったはずなのに、なぜわざわざシャッターを開けて暴徒に心臓機械を破壊させ、メトロポリスを麻痺させたのか?分かるひと誰か教えてください。

なお「完全版」と銘打っているものの、残念ながら2カ所のシーンがこのバージョンにおいても欠落している。あわせて5分ほどのシーンだが、脚本が残っているために場面の展開が字幕で説明されている。1つは教会に赴いたフレーダーに対して僧侶がヨハネの黙示録のページを見せて警告するシーンで、これはのちにフレーダーの悪夢のなかで「痩せた男」が同じセリフを唱えるほか、黙示録に記された「金の杯を持った女」の姿が、まさしくヨシワラで踊るマリアの姿と同じであることが明らかにされる。もう1つはロトワングの裏切りを耳にしたフレーダーセンが彼と格闘し、そのあいだに監禁されてマリアが逃げ出すというシーン。ここはストーリーの展開上かなり重要なところなのでぜひ映像で観てみたかった気もする。ただしその反面、未だ目にすることのできないシーンがあるというのは夢があるなあと個人的には思っていて、人がミロのビーナスの両腕に無限の想像力を抱くように、この欠損したシーンに想像を膨らませ、これらのシーンを含んだフィルムが世界のどこかに眠っているかもしれないと期待を抱くのは結構なことだと考える次第です。

役者の演技に関しては、とにかくマリア役のブリギッテ・ヘルムが素晴らしすぎる。フレーダーとかフレーダーセンの役者もいいんだけど、善と悪のマリアを完璧に演じ分けるヘルムがあまりにも見事なのですよ。善のマリアとしては労働者や子供たちに献身的に尽くす清純で神々しい姿がどんな男のハートもつかみ、ロボットの悪のマリアとしては小悪魔的な笑みをうかべながら妖しい踊りを舞い、その姿を見たすべての男たち欲望の対象となるのである。変にヴァンプ的な体型でないのも良くて、洪水が迫るなかその細い腕で懸命にアラームを鳴らそうとする姿には本当に感動した。彼女とフレーダーのラブストーリーとしてもこの映画は十分に見応えがある。

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そして音楽について言及しておくと、今回のバージョンではオリジナルの上演時に使用されたゴットフリート・フッペルツの音楽が再演されて加えられている。音楽は常に流れていて、シーンによって大まかに曲調が変わるようになっているものの、映画のストーリーに合わせた効果音などは殆ど用いられていない。例外を挙げるとすれば、教会のシーンで鐘の音がするところや、暴動のシーンで「ラ・マルセイエーズ」のフレーズが流れるくらいか。そういう意味では弱冠の物足りなさを感じるかもしれない。自分などはモロダー版の印象が強いので、最後のシーンなどでは頭の中でパット・ベネターが鳴り響いていたよ。ただこれに関しては、今後いろんな音楽を独自に加える人たちが出てくることだろう。今回の映像にモロダー版のサントラをつけ加える人も絶対に出てくるはず。

このようにいろいろ書き連ねてみたが、今回新たに加えられたシーンによって、「メトロポリス」がいかに伏線やシンボリズムが散りばめられた映画であるかを認識できたことが一番の驚きと収穫であった。単なるSF映画ではなく、人間ドラマやラブストーリーとしても超一流の作品であることが今回の復元で実証されたわけである。特殊効果にしても、実際に多数のエキストラを用いたバベルの塔のシーンなどは最近のCG映像などよりも遥かに重量感というかリアリティがあるといえよう。これは今となっては失われた映画芸術がフィルムに収められた貴重な例である。「メトロポリス」は自分にとって生涯ナンバー1の映画だが、その(ほぼ)完全版をあらためて劇場で鑑賞できたことは非常に幸運な出来事であった。ぜひこれが日本でも劇場公開されることを願うばかりである。

(この文章を書くにあたっては、このブログの記事が大きな参考になった。カメラのアングルやフロイト的関係などにも言及している興味深い記事なのでぜひご一読あれ)

「WORLD’S GREATEST DAD」鑑賞

とても真っ黒なコメディだったよ。リチャード・ケリーがプロデューサーに名を連ねているけど、むしろウェス・アンダーソンの作品をさらに意地悪にして、サントラをブリティッシュ・ロックからAORに差し替えたらこうなるかな、といった感じの作品だった。

主人公のランスは人気作家になることを夢見る高校教師だったが今まで書いた小説はすべて出版社に拒絶され、高校で担当する詩のクラスも人気がなくて生徒がほとんどいないという有様だった。おまけに彼が一人で育てている息子のカイルは口の汚い問題児でランスに反抗的な態度をとってばかりで、病気といっていいくらいに性的なものに興味を持っていた。いちおうランスは同僚の教師とつきあっているものの、彼よりずっと人気のある別の教師に彼女をとられそうになり、自分のクラスは廃止されそうになり、カイルは特殊学級に入れられそうになるという最悪の状況になっていたある日、カイルが不慮の恥ずかしい事故で死亡してしまう。彼の死因を隠そうとしたランスは息子が自殺したことに見せかけ、即興で彼の遺書を書き上げる。ところがその遺書が公表されたことで高校ではカイルへの同情と人気が高まり、まるでカルト崇拝のようになってしまう。そして周囲にせがまれたランスは、カイルの「日記」を新たに書いて公表するのだが…というような話。

ランスを演じるロビン・ウィリアムズって映画では失敗作のほうが多い気がするけど、「フィッシャー・キング」とか「インソムニア」とかでたまに見事な演技を見せてくれてるわけで、この作品でもウソを心に抱えて生きる主人公を好演している。顔をクシャクシャにゆがめて嘆く姿とかは実のところキモいのだが、それがかえって役に深みを与えているかと。息子のカイルを演じるダリル・サバラは、「スパイキッズ」の弟がいつの間にか小太りのティーンになってたことに驚いたけど、変態のクソガキを熱演しているぞ。親に反抗的とはいえ学校で皆に人気があるわけでもなく、親と同様にルーザーであるところがポイント。この親子以外の登場人物は典型的なメガネっ娘やゴス娘とかで、みんな薄っぺらな性格しか持ってないんだけど、歌を多用した大げさな演出のおかげで、あくまでもサタイアの道具であることが明確にされるので物足りなさはなし。

監督のボブキャット・ゴールドスウェイトはウィリアムズとつきあいの長いコメディアンで、ニルヴァーナのカート・コベインとも親友だったそうな。それを知って理解したんだけど、この映画ってコベインとかマイケル・ジャクソンとかの有名人が死んだあとのカルト人気に対する痛烈な皮肉になってるんだよな。彼らが死んでから「彼は心が純粋な人だった」とか「俺は彼の1番のファンだぜ!」とか言っている人がいるけど、お前ら本当に彼らのこと分かってんのかよ、という皮肉が込められているという。ニルヴァーナのベースだったクリス・ノヴォセリックがチョイ役で出ているのもこれと関係しているのではないかと。

題材が題材だけにちょっと後味の悪いコメディではあるものの、笑えるところは笑えるし、上記のような皮肉も込められていてなかなか興味深い映画であった。

「Frazetta: Painting with Fire」鑑賞

追悼記念としてフランク・フラゼッタのドキュメンタリーを観る。ブルックリンのタフな界隈で育ったフラゼッタは幼い時から天性の画力を発揮し、当初はコミック・アーティストとして動物漫画を描いたりアル・キャップのアシスタントを勤めたりしたのだが、50年代のコミックの衰退とともに業界を離れ、「マッド」誌に描いたリンゴ・スターの似顔絵がきっかけとなってハリウッド映画のポスターを手がけるようになり(この頃はカリカチュアが多かった)、それから「ターザン」や「コナン」などのペーパーバックの表紙を描くようになって多くのアーティストに影響を与える存在となっていく。彼って意外と多くのコミックを描いてるんですね。ペイント画も十分に躍動感があるけど、コミックではさらに動きが強調されていて俺はそっちのほうが好きかも。

若い頃はロバート・ミッチャムのごとき端正なルックスを誇り、その体は筋骨隆々としていて空手は黒帯、野球ではニューヨーク時代のジャイアンツから2度もスカウトを受け、でっかいバイクを乗り回し、カメラを500個も持っているカメラマンで、彫刻も手がけたというとにかく超人のような人物だったわけですよ。その一方では妻と子供たちを深く愛した家族思いの人であったことが語られていく(90歳を越えた母親も登場するぞ)。1990年代には病魔に襲われて鬱になったりしたらしいが、心臓発作により右手に痺れが残ったため左手で描くことを習得したという話には脱帽するしかない。作品は締め切り日の前夜に短時間で一気に描き上げるなんて話も面白かった。

ドキュメンタリーとしての作りは凡庸で、キャラクターを切り抜いたり後光を当てたりするようなエフェクトのかけかたには少し疑問が残るが、フラゼッタ本人および彼のアートが非常に魅力的であるために観ていて飽きがこない。またニール・アダムスやバーニー・ライトソン、ラルフ・バクシ、ジョン・ミリアス、ボー・デレクなどといった様々な分野の人たちにインタビューをしていて、フラゼッタのアートがいかに多くの人々に影響を与えたかがよく分かる内容になっている。あらためて彼の凄さを実感させてくれる作品であった。