「第9地区」鑑賞

原題は「DISTRICT 9」。もともとピーター・ジャクソンのもとで人気ゲーム「HALO」の映画版の監督を務めるはずだった南アフリカ出身のニール・ブロムカンプが、「HALO」の話がオクラ入りになったことを受け、ジャクソンの支援を受けて自身の短編映画「Alive in Joburg」を長編映画化したもの。

舞台は南アフリカ共和国のヨハネスブルグ。そこの上空には1980年代に巨大な宇宙船が突然到来したのだが、宇宙船を操っていたと思われるエイリアンの支配層はすべて死に絶えており、その「働きバチ」とも言うべき無学なエイリアンたちが船内に残っているだけだった。彼らは南アフリカ政府によって地上に降ろされて隔離された居住区域「第9地区」をあてがわれるのだが、彼らは「エビ」(厳密にはコオロギ)呼ばわりされ、南アフリカの住民に嫌悪されることとなる。また宇宙船にあった技術や兵器はエイリアンのDNAがないと起動できないことから、地球人にとっては無用の長物であった。

そして20年の月日が経ち、エイリアンの居住区域は完全にスラム化し、ナイジェリア人のギャングが暗躍するような状況になっっていた。南アフリカ政府は彼らの居住区を都心からさらに離れた土地に移すことを決定し、エイリアンの強制移住にとりかかる。政府の職員であるヴィッカスはエイリアンから移住の同意をもらう仕事をあてがわれて第9地区に向かうが、そこで宇宙船の燃料とされる液体を浴びたことから、彼の身に変化が起きてしまう…というのが大まかなプロット。

隔離されて迫害されるエイリアンというのは露骨にアパルトヘイト時代の黒人のアナロジーなんだけど、変に政治的なメッセージを唱えたりせず、まずエンターテイメントありきのハードSFとして楽しめる作品になっている。最初の30分はヴィッカスの仕事を追った疑似ドキュメンタリーの形式をとっており、そこから話がどんどんシリアスなものになっていく展開には弱冠のアンバランスさを感じなくもないが、先が読めない展開に助けられて観る人を最後まで飽きさせない出来になっている。南アフリカで実際に使われているという兵器もいろいろ出てくるし、しまいにはパワード・スーツまで登場してアクション映画としても十分に堪能できる作品かと。

エイリアンや宇宙船なんかは最新鋭のCGによって描かれているものの、全体的な雰囲気としては80年代のアクションSFを彷彿させるところがあって、監督自身も「ロボコップ」とか「ターミネーター」などの影響を公言してるらしい。あと彼の短編なんかを観ると日本のアニメからも影響を受けてるようだ。というかですね、このパワード・スーツとかエイリアンとか大都市でのドンパチとかって、そもそも日本人が80年代あたりのアニメとかで得意としていた分野だったと思うのですよ。それを換骨奪胎されてしまったような気がする。しかもこの映画は南アフリカやニュージーランドやカナダなど、ハリウッド外のところで製作された比較的低予算の作品ですからね。南アフリカには地の利があったとはいえ(スラム小屋はすべて本物らしい)、なぜ日本の映画界はこういう作品を製作できないのか激しく自問すべきであろう。

「WALL・E/ウォーリー」鑑賞

00年代の名作を着々と鑑賞。これは素晴らしい作品ですね。「インクレディブルズ」と並んで俺にとってのピクサーのベスト作品になるかも。

まずきちんとSFしているところが見事。派手なドンパチとか複雑なプロットに頼らず、極めてシンプルなコンセプトからきちんとストーリーを編み出しているところがいい。未来の堕落した人類たちの姿は「イディオクラシー」のほうが100倍くらい正確だったかもしれないが(植物には水でなくエネルギードリンクをあげなくちゃ!)、さすがに家族向け映画であそこまでは描けないか。

そしてそのシンプルなコンセプトを支える演出の巧みさ。セリフが一切無いシーンがどれだけ続こうと観る人を飽きさせず、逆に表情の殆どないロボットたちへ感情移入をさせる手腕は凄いものがあると思う。こないだも書いたが他のスタジオのアニメだったら下ネタとかセレブな声優とかをつぎこんでコテコテにしそうなものなのに、余計なものを徹底的に省いてじっくりと物語を語る術をわきまえているんだよな。人類のその後の姿が描かれていくエンド・クレジットの演出も素晴らしい。こういう作品でもヒットすることをピクサーは証明してるのに、どうして他のスタジオ(ディズニー含む)はそれに追随しないんだろう。

ちなみにこの映画のDVDを借りてきてリッピングしようとしたら、ダミーファイル(?)をいくつも作って実際のサイズよりも10倍大きく見せかけるプロテクトなんてものがかかっていた。なんか分身の術みたいでカッコいいな。

「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」鑑賞

よく考えるとこのストレートな邦題って不親切だよな。00年代が終わる前に観たかった作品。ポール・トーマス・アンダーソンって「ブギー・ナイツ」や「マグノリア」における「とりあえず最後にみんな泣く」的な演出が嫌いであまり好きな監督ではなかったのですが、これは面白かった。

満たされることのない欲を持った主人公が周囲の人間を不幸にしようともつき進み、20世紀の基礎となる産業を築き上げるさまは圧巻なんだけど、この映画が何を伝えたいのかはいまいち良く分からず…単純な「強欲の肯定」ではないよな。じゃあ信仰と欲の対比かというと、あの牧師を金にこだわる人物として描いたことでその対比も薄まってしまったし。結局のところ誰もが欲に動かされているということかしらん。

ダニエル・デイ=ルイスの怪演なしでは成り立たなかった映画だが、彼ひとりでストーリーを支える必要がなく、おいしいところだけ取っていけた「ギャング・オブ・ニューヨーク」での演技のほうが個人的には好きかな(世間が何と言おうと俺はあの映画が好きだ)。あとレディオヘッドのギタリストによる音楽が予想以上に良かった。映像の背後に埋もれず、もっと前に出てきて存在感を出しているスコアというのを久しぶりに聴いたような気がする。

多くの批評家が挙げているように00年代のベスト10に入るような作品かというと、必ずしもそういう気はしなくて、同年公開された「ノーカントリー」のほうが好きなんだけど、それでも十分に見応えのある作品であったことは間違いない。

「レミーのおいしいレストラン」鑑賞

これも観てなかった00年代の名作。00年代の途中にピクサーがディズニーの子会社になったことで、坊主憎けりゃといった感じでピクサーの作品をちょっと敬遠するようになっちゃったんだよな。でもこれはピクサーのいつもながらのクオリティが保たれた、大変楽しめる作品でございました。

1時間を超すあたりまでは結構ストーリーが予定調和な感じで進んでいてあまり目新しさは感じず、ラストでレストランを継いでハッピーエンドかな…と思っていたらそのあとすぐにレストランを継ぎ、イーゴの挑戦を受けるあたりから話は俄然と面白くなってくる。やっぱりああいう先の読めない展開があると良いですね。

声優に関してはリングイニ役のルー・ロマーノは終始喘いでいる感じで主役にしてはちょっとイマイチかな。あと俺はやはりジャニーン・ガロファロの声がセクシーに感じられんのよ。逆にピーター・オトゥール によるイーゴが良かったな。最後のところは彼がいちばんおいしい役だったような。

ピクサーの作品って他のスタジオのアニメの多くと異なり時事ネタとかセレブな声優に頼らないから何年かあとに観ても古さを感じさせない点が見事ですね。急いで続きを連発して結局誰も観なくなった「シュレック」なんかとはそこらへんが違うんだよな。早く「ウォーリー」も観とかないと。

「マルホランド・ドライブ」鑑賞

これから年末にかけて、見逃していた00年代の名作をいろいろ観ようかと思っているのです。そういう作品に限って長尺で観るのに時間かかったりするわけだが、この「マルホランド・ドライブ」もその1つで長尺ゆえに観るのを敬遠していたものの、いざ観てみると先が全く読めない展開のおかげでいっさい中だるみするようなこともなく、あっと言う間に観終わってしまった。こういう理解不能なストーリーであっても観る人を引き込むデビッド・リンチ(とアンジェロ・バダラメンティ)の手腕は流石だなあ。

ストーリーに関しては最初からもう理解しようとする気は放棄してるんだが、IMDbの解説を読んでなるほどーと合点がいった次第です。「XXは○○の夢だった」というのはやや安直な気がしないでもないが、今まで田舎を舞台にした作品が多かったリンチがハリウッドの虚栄を描くとこうなる、という意味では非常に興味深い。

あと冒頭のジルバのシーンとか観て感じたけど、リンチってジョン・ウォーターズに通じるものがあるんじゃないだろうか。どちらの作品も健全な50年代がベースにあって、それが何らかの理由で歪みに歪みまくってスクリーンの上に顕在しているような。そう思って調べてみたら彼らって同い年なんですね。

役者的にはナオミ・ワッツが素晴らしい。彼女こんないい演技ができるとは知らなかった。あとロバート・フォースターとかダン・ヘダヤといった俺好みの役者も出ているけど、どちらも出番が1シーンしかなかったのが残念。でもヘダヤの怪演は良かったな。

デビッド・リンチの凄さを再び実感させてくれた作品。こうなると「インランド・エンパイヤ」も観なきゃあかんな…でもあれは3時間もあるんだよな…。