「ア・ダーティ・シェイム」鑑賞

まだ観てなかったジョン・ウォーターズの(現時点での)最新作。ウォーターズ作品にもCGの動物が登場する時代になったのか。

まず最初に言っとくと、俺はやはりセルマ・ブレアが好きだ。あのヤク中と性悪女と毒蛾を足したようなヤバい目つきは素晴らしいなあ。この映画でも改心してストリッパーから「普通の女の子」になる場面があるんだが、目つきが変わらないので全然普通に見えないでやんの。たぶん実生活でも性格悪いんだろう(と勝手に想像)。今さらになって「私は普通でキュートな女の子の役をやりたいの!」みたいなことを言ってるらしいけど、あんたジョン・ウォーターズやトッド・ソロンズの映画に出といてそれはないでしょ。とりあえず今秋から出演するらしいオーストラリア製シットコムが失敗して、またキワモノ映画に戻ってくることを願うばかりです。

んでこの映画。ボルチモア(where else?)に住む健全な主婦が、頭をしたたかぶつける事故にあったことで性格が一変して色情狂のオバハンになり、同様の経験をもった人々によるセックス教団に加わって町中を混乱させるといった内容のもの。オバハンが主人公だということと、カルト集団がでてくることから「シリアル・ママ」と「セシル・B・ディメンテッド」を足して2で割ったような感じかな。ただプロットが貧弱で、ドタバタの描写が薄く引き延ばされて延々と続いているような感じ。最後の「誰もやったことのない性行為」というネタも弱いし。やたら素晴らしかった前作「ディメンテッド」に比べるとトーンダウンしている感は否めない。

プロットに加えてキャスティングにも難があって、セックス教団のリーダーをジョニー・ノックスヴィルが演じてるんだけど、ノックスヴィルがこういう役をやってもハマり役すぎて逆に意外性がないのよ。主人公の穏健な夫を演じてるクリス・アイザックと役を交換してたらもっと面白くなったような気がするんだが。しかしアイザックって90年代はクールの権化だったような人なのに、なんでウォーターズ作品に出るようになったんだろう。主人公である主婦を演じるトレイシー・ウルマンはもともと幅広い演技で知られてる人なので、ころころ性格の変わる主婦をきちんと演じていて大変よろしい。今回のめっけもんは主人公の母親役のスザンヌ・シェパードという女優さん。女装したクリストファー・ウォーケンみたいな顔がいいなあ。ま一番いい役をとってるのはやはりラストのデビッド・ハッセルホフですが。

ちなみに「時代の変態性がウォーターズ作品に追いついてしまった」みたいなことは10年くらい前からよく言われるようになりましたが、確かに日本でフィギュアに萌えてる人たちに比べると、この映画に出てくる赤ちゃんプレイフェチや泥フェチ、デブ専などの人々がとても普通に見えてしまうのです。

「SLACKER UPRISING」鑑賞

マイケル・ムーアがウェブ上で今日無料公開したドキュメンタリー。公式サイトからダウンロード可能だけど、北米の視聴者が対象なので日本から入手するにはHotspotshieldなどを経由する必要があり。iTunesやアマゾンのストアでも入手可能になるみたい。感想などを箇条書きで挙げていくと:

●これって昨年トロント国際映画祭で公開された「Captain Mike Across America」とは別物の映画なの?あれを再編集したもの?

●2004年の大統領選挙の際に、ブッシュ再選を阻止するためムーアが全米各地をまわって講演した様子を記録した作品。ムーアのツアー映画といえば「ビッグ・ワン」もそうだったが、彼の他のドキュメンタリーにくらべて一貫したテーマがないために、全体的に散漫な感じがするのは否めない。また暗い講演会場での映像が大半であり、撮影や音声に乱れが生じることも多々あり。金を払ってまで観るほどのクオリティを持った作品ではない。

●結局ブッシュは2004年に再選されたわけであり、冒頭に「これは失敗した活動の記録である」と出てくるように、ムーアたちの活動を今になって観るのは少し空しい感もある。

●しかしどの都市でも会場に非常に多くの若者たちが押し掛け、反ブッシュを掲げて団結する姿はなかなか印象的。日本じゃこういう集いはそう多くは起きないだろうな。

●ムーアの活動スタイルの最大の欠点として、彼の意見に反対する人たちを説得するよりも、逆にかえって反発を招いてしまうという点が挙げられる。この映画でも反ブッシュをアジった結果として多くの共和党員たちに目の敵にされるわけだが、公演会場に来たブッシュ支持者たちの罵倒にも動じず、きちんと反論しているところは見事。

●ただし良くも悪くも彼ってアジテーションが巧くなりましたね。キリスト教右派のテレバンジェリストとかの姿がダブって見えるときもあって、ちょっと違和感を感じてしまう。昔はもっとユーモアで権力に立ち向かう姿勢が強かったような気がするんだが。

●セレブなゲストも多数登場。REMやジョーン・バエズ、エディ・ヴェダー、ロザーヌ・バーなどなど。スティーブ・アールの「Rich Man’s War」は名曲だなあ。

●ヴィゴ・モーテンセンが「この国ははカナダみたいな文明国と違って18歳になれば自動的に投票用紙が送られてくるわけじゃないから、みんな投票登録をしてくれ」といった発言をするんだが、なんでアメリカって投票するのに登録の手続きが必要なんだろう。黒人層が意図的に登録を済ませられなかったとかいう話を聞くたびに、あの国の選挙システムってどこかおかしいと思わずにはいられない。

まあ「華氏911」と同じで、ドキュメンタリーというよりもプロパガンダに近い作品ですかね。いろいろ考えさせられる内容なんだけど、ここに描かれたことをすべて鵜呑みにするわけにもいかないでしょう。

あとこないだラリー・キングとのインタビューでムーアが言ってたことで、なるほどと思ったのが「車を修理したいときに、1つのレンチを8年間使ってうまくいかないようであれば、もう1つのレンチを使いたいと思うのは当然のことでしょう。それもダメだったら4年後に捨てればいい」みたいな発言。まあこの8年のあいだには、無駄な戦争やボロボロになった経済など多くの失敗があったわけで、いまの政策が今後も踏襲されるのは日本人としても勘弁してほしいと思わざるを得ないのです。

「ガンダーラ」鑑賞

「ファンタスティック・プラネット」や「時の支配者」などで知られるフランス・アニメの重鎮、ルネ・ラルーの「ガンダーラ」(1988)を観た。

地上の楽園ガンダーラでは人々と動物が平和に暮らしていたが、そこに何者かが攻撃をしかけ住人たちを石化させてしまう。事態を重くみたガンダーラの指導者たちは、シルバンという若者を調査に派遣させる。ミュータントたちの住む土地を通り抜けたシルバンが見たものは、石化光線を放つ黒いロボットの集団だった…というような話。

事件の黒幕というかロボットたちを操る存在のところまでシルバンが比較的容易に辿り着いてしまうので、一瞬あれ?と思うんだけど、そこからの展開が長い。ガンダーラにロボットたちが侵攻するなか、突然シルバンは1000年もの睡眠に入ることになって、目が覚めたかと思たら知り合いのミュータントがいて「お久しぶり!」なんて言い合うし、1000年後の世界に来たという雰囲気がまるでないんだよね。「時の支配者」では最後に突然タイム・パラドックスが出てきてそれなりに意外性があったけど、この作品ではプロットを不必要に難解にしてるような気がする。

ルネ・ラルーの作品のストーリーテリングって日本人のテイストからすると徹底的に「何か」が欠けているところがあって、それはそれで異国情緒というかセンス・オブ・ワンダーの感じを生み出しているんだが、この作品ではそれがいまいち弱いかな。もしかしたらこれはアニメーションの出来が良いことに起因してるのかもしれなくて、「ファンタスティック・プラネット」では動きの少ない絵本のような作画スタイルにおいて人間が狩られ殺されていく描写がとてつもなくインパクトがあったけど、この作品はアニメの出来がいいだけに逆に「見慣れた」感じがしてしまうのかもしれない。それでもガンダーラの奇妙な動植物とかミュータントの描写は、日本のアニメじゃまず目にしないものなので見てて楽しいけどね。

この作品よりも「ファンタスティック・プラネット」や「時の支配者」を先に観ましょう、といった出来の作品。

「タイム・アフター・タイム」鑑賞

前から観たかったニコラス・メイヤー監督の「タイム・アフター・タイム」を鑑賞。

H.G.ウェルズが発明したタイム・マシンを使って切り裂きジャックが1893年から1979年に逃亡。それを追ってウェルズもタイム・マシンに乗り込むが、20世紀の世界は彼が予想したようなユートピアではなく、貧困と暴力が蔓延していることに彼は愕然とする…。といったようなストーリー。H.G.ウェルズを演じるのはマルコム・マクダウェル。

切り裂きジャックがテレビに流れる暴力的な映像を指して「これは俺の世紀だ。世界は俺に追いついて、俺を追い越した」なんて語るシーンは、アラン・ムーアの「フロム・ヘル」に通じるものもあって「おおっ!」と思ったものの、その後の展開は比較的凡庸で、テレ東が昼間によく流してる映画のような内容になってしまったのは至極残念。ウェルズとジャックの知的な勝負を期待してたのに、ラストの対決もなんか一方的に終わってしまったのは興ざめだった。

あとウェルズが恋仲になるヒロインをメアリー・スティーンバージェンが演じてるんだが、仏頂面なうえに声がやたら甘ったるく、作品のなかでは浮いた存在になっている感が否めない。タイムトラベラーと恋仲になる女性という意味では「スタートレックIV」(脚本がニコラス・メイヤー)のキャサリン・ヒックスのほうがもっと生き生きとしていたぞ。

決して悪い作品ではないものの、期待してたほどではなかった作品。あと30分くらい短くても良かったかな。

「This Film Is Not Yet Rated」鑑賞

アメリカの映画界のレイティングシステムの実情を暴いたドキュメンタリー「This Film Is Not Yet Rated」(2006)を観た。日本でも最近はR-15だのPG-12だのといったレイティングが付けられた映画が増えてきたけど、アメリカではこのレイティングが商業的に非常に大きな意味を持っていて、例えば18禁指定である「NC-17」のレイティングが付けられた作品は映画館の多くが上映を拒否するし、ウォルマートなどの小売店でも販売されなくなるため、多くの映画にとって利益面での死を意味することになる。そこで製作側はどうにかより低いレイティングを得るため、再編集などを重ねて米国映画業協会(MPAA)のレイティング部門の承認を得るのに苦心するわけだ。

それでMPAAは本当にマトモな仕事をやってんの?という根本的な疑問をこの映画は追求していて、レイティング部門の元スタッフやジョン・ウォーターズ、ケヴィン・スミス、キンバリー・ピアスにローレンス・レッシグといった人たちの証言によって、MPAAの基準の不条理さが明らかにされていく。「私の陰毛を見せて何が悪いの!」と熱く語るマリア・ベロはプロだよなあ。

一応レイティングにはそれなりの基準があって、たとえば「FUCK」は侮蔑表現として1度だけ使うのならPG-13だけど2度以上使ったり性的表現として用いるとR-15になるとか、セックス描写は正常位ならR-15だけどそれ以外のポジションや腰の動きを見せるとNC-17になるとか細かく設定されてるらしいんだけど、結局のところはMPAAの気分ひとつでレイティングは決定されてしまい、インディペンデント映画よりもメジャー・スタジオの作品のほうが優遇されているとか、セックス描写には厳しくて暴力の描写には甘いなどといった事実が語られていく。彼らはアメリカの一般家庭の良俗を守るための団体だと主張しておきながら、結局は圧力団体の顔色をうかがっているという指摘もあった。

興味深いのは、このように映画に関して絶大な権力を持つ部門でありながら、トップを除いてそのメンバーの正体が明らかにされておらず、その審議の過程も製作側には一切伝えられないということ。そこでこの映画では私立探偵を雇って、レイティング部門のメンバーが誰なのかを暴いていく!まあメンバーの素顔が明らかになったところであまり意味はないかもしれないけど、彼らの家のゴミ箱をあさって審議の書類などを見つけてしまうあたりは見事(ロスでは合法らしい)。

そして最後にはこの映画自身のレイティングの審議、およびその結果(「全体のトーン」が問題だとしてNC-17指定)への再審査請求の過程が描かれている。この映画を作ったカービー・ディック(アカデミー賞ノミネート歴あり)ってこのあと何も映画をつくってないけど、まさかこの映画のためにMPAAに封殺されてるんじゃ…?相手があまりにも強大な団体であるために一矢を報いるような結果を生んでいないのが歯がゆい感じもするけど、アメリカの映画業界の現状について考えさせられる作品であった。グーグルビデオでも視聴できるよ

ちなみに日本の現状のレイティング・システムって、あれ何か意味あるのかな?PG-12とかR-15とかつけても、いまの世の中の小学生や中学生がどれだけ(保護者の同伴なしで)劇場に足を運んでることやら。おまけに劇場で入場を拒否されても、レンタルビデオ屋では普通に借りれてるような気がするんだが(店員がレンタルを拒否してるのを見たことがない)。そもそも子供の成育の過程において、子づくりの方法や人生の残酷さなんてのは、親や学校から教えられることよりも雑誌やマンガから学ぶことのほうが大きいように思うんだが。

というわけで世の中のガキどもよ、レイティングなど無視してもっと映画を観よう!