「Rain of Madness」鑑賞

「ハート・オブ・ダークネス」観たことないし、当然「トロピック・サンダー」も観てないから、この疑似ドキュメンタリーだけ観ても別に感想もなにもないのですが、まあ。iTunesストアでタダで入手できるよ。

ジャック・ブラック演じる俳優が「ヒートビジョン&ジャック」の主人公を演じて有名になった、という設定には笑った。実際にはあの作品って世に出てないんだよね。

「ファンタスティック・フォー」(1994)鑑賞

「ファンタスティック・フォー」の映画版を観た。いや、まず観る気になれない2005年の大作映画のやつじゃなくて、1994年の低予算作品のほう。

この映画の存在を知らない人も多いかと思われるが、これは当時「FF」の映画化権を持っていたコンスタンティン・フィルムというドイツの製作会社が、近日中に「FF」の映画を製作しないと映画化権を失ってしまうということになり(詳細は知らないが、ハリウッドではこうしたことはよくある)、よりにもよってロジャー・コーマン大先生に話を持ちかけたもの。そしてコーマン大先生はその無尽なる知識において「よし、それならば映画をとっとと作ってしまおう」という判断をなされて、お得意とする低予算・スピード製作のB級作品を1本作られたのであります。

まあそんな経緯を持った作品だから出来もしかるべきもので、予算がないために特撮なんかボロボロでリード・リチャーズは足や手が棒のように伸びるだけだし、ヒューマン・トーチは手がちょっと燃えるくらいと、全然ファンタスティックじゃないじゃん!といった出来。でもなぜかザ・シングの着ぐるみだけは異様に出来がいいんだけどね。これに加えて宿敵ドクター・ドゥームはやたら弱いし、音楽は耳障りだし、尺が90分と短くてストーリー展開も早いのに話にメリハリがないからやたら冗長に感じられたりと、まあロクでもない作品。ジュエラーなんていう誰も知らない悪役の代わりにモールマンを出せばちょっとは良くなったのに。でも不思議とB級映画特有の面白さみたいなものを備えているのも事実で、ダメ映画なんだけどそれなりに気楽に楽しめてしまった。同じくオクラ入りになった「ジャスティス・リーグ」のTVパイロット版(なぜかむかし日本の深夜番組帯で放送されたやつ)よりかは面白いし、2005年のやつよりも面白いという意見がIMDBでは根強いようだ。

ちなみにこの映画、上記のように映画化権の保持だけを目的として作られたものなので、公開するという気がコーマン先生には最初からまったくなく、そのままオクラ入りになってしまった不遇の作品なのであります(だから現在手に入るのはすべて海賊版)。キャストやクルーはてっきり劇場公開されるものと思って製作してたらしいので、そこれへんはちょっと哀れだな。この映画に関する裏話はこのサイトに詳しく書かれてます。でもキャストやクルーも給料はもらえたはずだし、この映画を作ったことによりコンスタンティン・フィルムはヒットした2005年の映画とその続編にちゃっかりと製作会社として名を連ねてるし、もちろんコーマン先生もその過程で利益を手にしたはずだから、すべてはめだたしめでたし、と。コーマン先生のビジネス・センスは無尽なり。

ちなみにアメコミ映画の映画化権といえば、今年のスマッシュ・ヒット「アイアンマン」もどこかのスタジオでくすぶっていた映画化権をマーヴェルが取り戻したものだし、「ウォッチメン」も今更になってフォックスが映画化権を主張してるわけだが、映画化権を保持していることを主張するために映画を作るのって、どのくらいの規模のものを製作すればいいんだろう?「Be Kind Rewind」みたいに「スウェーデン人が段ボール箱で作りました」というものじゃダメなんだろうか。

「顔のない眼」鑑賞

フレンチ・ホラーの古典的傑作「顔のない眼(LES YEUX SANS VISAGE)」を鑑た。交通事故によって醜い顔になってしまった娘をもとの美しい姿に戻すために、整形手術の権威である父親が若い女性たちを誘拐し、彼女たちの顔を娘に移植しようとするのだが…。といったプロットの物語。

1960年の作品だけあって惨劇描写とかはずいぶん抑えられているものの、それでも顔の皮膚をぺろっとめくるシーンなんかにはドキッとさせられる。ただし全体的にはホラーというよりも、悲しい運命に見舞われた少女の物語といった内容になっているかな。医師の娘を演じるエディット・スコブは殆どのシーンでマスクをつけていんだが、その華奢な身体と訴えるような眼をもって、いたいけな少女の姿を見事に表現している。昔の恋人のことが忘れられなくて彼に無言電話をかける場面とか、美しくもはかないラストのシーンなんかは非常に印象的。そして顔が「治った」ときの素顔の彼女が美しいのなんのって。あと「第三の男」のアリダ・ヴァリが医師の助手役で出てます。

話の展開が日本の少女マンガ(特に好美のぼるあたりのホラーもの)によく似てる感じがするんだが、それってつまりこの映画に影響を受けた作品が多分にあるということなのかもしれない。唯一の欠点はテーマ曲がいかにもおフランスしてて、明るめの曲調が話の雰囲気に合ってないことか。「サイコ」なんかは映像と音楽の融合が完璧だったんだけどね。

「不法侵入者」鑑賞

ロジャー・コーマン大先生が初めて(唯一?)興行的に損をしたといういわくつきの映画「不法侵入者(THE INTRUDER)」(1962)をやっと観る。コーマンの低予算映画ということでどうしても偏見を持たれる作品かもしれないが、実際は非常に素晴らしい出来だった。

舞台はアメリカ南部の小さな町。人種融合政策下の法令によって黒人の子どもたちが初めて白人たちと同じ学校に通おうとしていたが、町の住人のあいだには黒人に対する差別の念がまだ強く残っていた。そんなとき、アダム・クレーマーという謎めいた男が町にやってくる。自称「社会活動家」である彼はその狡猾な才能を発揮して、町の住人たちを巧みに扇動し、彼らの黒人に対する憎悪をかきたてる。そして住人たちは暴徒と化し、黒人を襲撃するのだった...というのが主なプロット。

主人公のクレーマーを演じるのは若かりし頃のウィリアム・シャトナー。このあと彼は「スター・トレック」のカーク船長として銀河一の女たらしとなるわけだが、この映画でもその謎めいた魅力と情熱的なスピーチをフルに使って町の住人たちを意のままに操るほか、人妻に言い寄ったり、女子高生の部屋にいつのまにか忍び込んで黒人に対する偽証を迫ったりと、悪の限りを尽くすものの決して単なる悪人に見えないところが凄い。今はコメディ畑のデブとなってしまった感のあるシャトナーだけど、この頃の彼は本当に魅力的だった。

低予算映画だけに一部の役者の演技が下手だったり、音楽がわざとらしく使われている感じもするけど、当時の他の映画と比べてそんなに見劣りするわけでもなく、むしろ意外なほど効果的なカメラワークが用いられているところもあった。またクレーマーは冷徹なようで人に暴力をふるうことには弱い一面を持っていたり、彼の野望を砕くのがインテリの新聞記者ではなく、粗野な人物として描かれていたセールスマンであったりと、人物描写もそれなりに深くとらえてるんじゃないかな。もっと評価されていい作品。

ちなみにこの映画が作られた当時は公民権運動が始まったばかりで、まだ人種差別が根強い土地で撮影をしたためにスタッフが住人に脅迫されたという話が残っているが、これを聞くとなぜこの映画が興行的に失敗したのかが分かるような気がする。要するに当時の観客にとって人種差別(セグリゲーション)はまだまだ記憶に新しいものであり、「身内の恥」をさらすような映画を観に行きたがる人はそう多くなかったんだろう。これはイラク戦争に関する映画が、今のところことごとく興行成績的に惨敗に終わっていることに通じるものがあるかもしれない。

「カーズ」鑑賞

いまさらですが。ピクサー作品のなかでは一番出来の悪い映画、という見方が定着してきた作品だけど、ちゃんとピクサー作品としての質は保っており、決して悪い作品ではなかったと思う。

「トイ・ストーリー」の頃はそのCGのクオリティに驚愕したわけだが、CGアニメが巷にあふれてる今日となってはいかにCGが素晴らしかろうとも大して驚かなくなったかな。そうなるとやはりストーリーの出来がさらに重要になってくるわけだが「高慢な主人公が、田舎で自分を見つめ直す」というプロットはいささか使い古された感があり、それで2時間近く話を引っ張って行くのはしんどいところがあったかも。

ピクサー作品が他のCGアニメ映画と一番違うのは、どれだけ大作になっても、作り手の個人的な経験が反映された非常にパーソナルなものになっている点で、例えば「ファインディング・ニモ」はアンドリュー・スタントンが親になった経験から生まれたものだし、「インクレディブルス」はブラッド・バードが忙しく働きながら家族を養っていった経験が原点になっているわけだ。これが他のスタジオの作品だと「セレブな声優使って、マーケティング山ほどやってガッポリ儲けよう!」みたいなハリウッド的商業主義が露骨に感じられるんだが、ピクサーの作品には作家の手作り感のようなものがあって、それが高い評価につながってるわけなんだよね。しかしこの「カーズ」にはそうした作家の主張がどうも感じられなくて、凡庸なストーリーの作品になってしまっているのが残念。なんか続編も作られるようだけど、いったいどのような話になるのやら。