「不法侵入者」鑑賞

ロジャー・コーマン大先生が初めて(唯一?)興行的に損をしたといういわくつきの映画「不法侵入者(THE INTRUDER)」(1962)をやっと観る。コーマンの低予算映画ということでどうしても偏見を持たれる作品かもしれないが、実際は非常に素晴らしい出来だった。

舞台はアメリカ南部の小さな町。人種融合政策下の法令によって黒人の子どもたちが初めて白人たちと同じ学校に通おうとしていたが、町の住人のあいだには黒人に対する差別の念がまだ強く残っていた。そんなとき、アダム・クレーマーという謎めいた男が町にやってくる。自称「社会活動家」である彼はその狡猾な才能を発揮して、町の住人たちを巧みに扇動し、彼らの黒人に対する憎悪をかきたてる。そして住人たちは暴徒と化し、黒人を襲撃するのだった...というのが主なプロット。

主人公のクレーマーを演じるのは若かりし頃のウィリアム・シャトナー。このあと彼は「スター・トレック」のカーク船長として銀河一の女たらしとなるわけだが、この映画でもその謎めいた魅力と情熱的なスピーチをフルに使って町の住人たちを意のままに操るほか、人妻に言い寄ったり、女子高生の部屋にいつのまにか忍び込んで黒人に対する偽証を迫ったりと、悪の限りを尽くすものの決して単なる悪人に見えないところが凄い。今はコメディ畑のデブとなってしまった感のあるシャトナーだけど、この頃の彼は本当に魅力的だった。

低予算映画だけに一部の役者の演技が下手だったり、音楽がわざとらしく使われている感じもするけど、当時の他の映画と比べてそんなに見劣りするわけでもなく、むしろ意外なほど効果的なカメラワークが用いられているところもあった。またクレーマーは冷徹なようで人に暴力をふるうことには弱い一面を持っていたり、彼の野望を砕くのがインテリの新聞記者ではなく、粗野な人物として描かれていたセールスマンであったりと、人物描写もそれなりに深くとらえてるんじゃないかな。もっと評価されていい作品。

ちなみにこの映画が作られた当時は公民権運動が始まったばかりで、まだ人種差別が根強い土地で撮影をしたためにスタッフが住人に脅迫されたという話が残っているが、これを聞くとなぜこの映画が興行的に失敗したのかが分かるような気がする。要するに当時の観客にとって人種差別(セグリゲーション)はまだまだ記憶に新しいものであり、「身内の恥」をさらすような映画を観に行きたがる人はそう多くなかったんだろう。これはイラク戦争に関する映画が、今のところことごとく興行成績的に惨敗に終わっていることに通じるものがあるかもしれない。

「カーズ」鑑賞

いまさらですが。ピクサー作品のなかでは一番出来の悪い映画、という見方が定着してきた作品だけど、ちゃんとピクサー作品としての質は保っており、決して悪い作品ではなかったと思う。

「トイ・ストーリー」の頃はそのCGのクオリティに驚愕したわけだが、CGアニメが巷にあふれてる今日となってはいかにCGが素晴らしかろうとも大して驚かなくなったかな。そうなるとやはりストーリーの出来がさらに重要になってくるわけだが「高慢な主人公が、田舎で自分を見つめ直す」というプロットはいささか使い古された感があり、それで2時間近く話を引っ張って行くのはしんどいところがあったかも。

ピクサー作品が他のCGアニメ映画と一番違うのは、どれだけ大作になっても、作り手の個人的な経験が反映された非常にパーソナルなものになっている点で、例えば「ファインディング・ニモ」はアンドリュー・スタントンが親になった経験から生まれたものだし、「インクレディブルス」はブラッド・バードが忙しく働きながら家族を養っていった経験が原点になっているわけだ。これが他のスタジオの作品だと「セレブな声優使って、マーケティング山ほどやってガッポリ儲けよう!」みたいなハリウッド的商業主義が露骨に感じられるんだが、ピクサーの作品には作家の手作り感のようなものがあって、それが高い評価につながってるわけなんだよね。しかしこの「カーズ」にはそうした作家の主張がどうも感じられなくて、凡庸なストーリーの作品になってしまっているのが残念。なんか続編も作られるようだけど、いったいどのような話になるのやら。

「Samuel Beckett’s Film」鑑賞

サミュエル・ベケットが脚本を担当した唯一の映像作品「Film」(1965)を観た。その存在を知って以来ずっと観たいと思っていた作品だが、ついに目にすることができるとは。やはりインターネットで俺の人生は大きく変わったなあ。ここで観ることができるよ。

20分ほどのモノクロ映画で、音楽もセリフも一切なし。ベケットの話にあらすじなんて殆どないんだけど、黒づくめの男が通りを小走りで進み、立ってた人にぶつかるもそのまま進み、アパートに入って自分の部屋に戻ると、そこには犬や猫がいて…。といった感じ。まあ意味不明だわな。雰囲気的には「アンダルシアの犬」に通じるものがあるかな。主人公の男を演じるのは、なんとあのバスター・キートン。死ぬ1年前に68歳という老齢で出演したわけだが、冒頭の小走りのシーンとか犬と猫とのドタバタなんかは、往年の喜劇王としての貫禄を十分に感じさせてくれる。

特筆すべきはカメラワークで、最後のほうになるまで男の顔は映されず、後ろ姿しか観ることができない。男の後ろ姿を軸にしてまわるカメラの動きは、意外にも「GTA」のようなビデオゲームを彷彿とさせる。ときたま男の視点がとらえた映像が挿入されることや、男が「見られる」ことを徹底的に嫌っていること、カメラに意思があるような動きをすることなどから、「目」や「見ること」が重要なテーマであることは明らかなんだが、それ以上のことは俺には難解すぎて分からないのです。

意味不明なようで滑稽なところがあり、時にはちょっとゾッとさせてくれる非常に興味深い作品。ぜひご覧あれ。

「THE ONION MOVIE」鑑賞

観たよ。俺の愛する「オニオン」とはまったく別物の映画だと割り切って観れば、まあまあの作品といった感じ。

プロデューサーにZAZのデビッド・ザッカーがいることからも分かるように、風刺新聞というよりも「ケンタッキー・フライド・ムービー」のようなコメディ・スケッチ集のノリをもった映画になっている。各スケッチに出てくる人物が他のスケッチにもクロスオーバーして出てくるところなんかは、アルトマンの「ショート・カッツ」や「シンプソンズ」の「スプリングフィールドに関する22の短いフィルム」を連想させるかな。

いちおうプロットらしきものもあって、人気ニュース局「オニオン・ニュース」では「露骨に性的なティーン歌手」とか「アルツハイマー患者の行進」などといったシュールなニュースを流していたが、週末に公開されるスティーブ・・セガール主演の映画「コック・パンチャー」の宣伝が過剰に挿入されることにキャスターのノームは苛立ちを感じていた。重役にそのことを訴えるものの相手にされず、ついにノームの我慢は限界に達するが…。というもの。でもまあプロットなんて関係ない作品だけどね。

そもそも新聞版&ウェブ版の「オニオン」の魅力は「ヤンキーズ、呪いを避けるためにバーニー・ウィリアムズを埋める」などといった非常に鋭い時事ネタや風刺にあるはずなんだけど、今回のは映画という「作るのに時間がかかる媒体」であるがために、時事ネタがなくなって全体的にベタなジョークで埋め尽くされてしまったのは残念。「オニオン」をこの映画で判断してしまってはいけませんよ。このサイトにもリンクを貼ってあるので、本家の面白さをちゃんと理解するように。

「ブラジルから来た少年」鑑賞

かつて中島らもが希有のカルト作品であるかのように取り上げてた記憶があるが、グレゴリー・ペックとローレンス・オリヴィエという2大俳優の共演作というだけあって、すくなくとも欧米ではそれなりに知られた作品、のはず。

ナチス・ドイツの敗北後にブラジルで潜伏していた「死の天使」ことヨーゼフ・メンゲレによる、ヒットラーのクローンを世界各地で育てようとする計画と、それを暴こうとする老ナチ・ハンターを描いたストーリー。しかし演出がタルいうえにメンゲレが何をしたいのかが終盤までよく分からないうえ、メンゲレを演じるペックの演技は大げさすぎ。オリヴィエのナチ・ハンターもヨボヨボの老人でどうも頼りないし、正直なところ観てて面白い作品ではなかった。カルトというよりも単なるB級の映画。

もちろんヒットラーの生物学的なクローンを作っただけでは彼と同じ性格の人間が出来るわけではないから、なるべく彼のものと似た生活環境の家庭に送り込んで同じような人格形成を行うという設定がされており、おかげで小ヒットラーたちはみんな立派なクソガキに成長しているんだが、そんな簡単に同じ性格の人間って作れるのか?レゲエにはまって黒人と仲良くなるヒットラーとか、朝からビールばかり飲んでるホワイトトラッシュのヒットラーとかになるほうが確立は高いと思うんだが。

ちなみにこの映画が公開された時点では本物のメンゲレは存命だったそうな。つまり現代でいうとオサマ・ビン=ラディンがサダム・フセインのクローンを作ろうとする映画をビン=ラディンに無断で作っちゃったようなものか。こういう場合の肖像権とかってどうなるんだろう。