「This Film Is Not Yet Rated」鑑賞

アメリカの映画界のレイティングシステムの実情を暴いたドキュメンタリー「This Film Is Not Yet Rated」(2006)を観た。日本でも最近はR-15だのPG-12だのといったレイティングが付けられた映画が増えてきたけど、アメリカではこのレイティングが商業的に非常に大きな意味を持っていて、例えば18禁指定である「NC-17」のレイティングが付けられた作品は映画館の多くが上映を拒否するし、ウォルマートなどの小売店でも販売されなくなるため、多くの映画にとって利益面での死を意味することになる。そこで製作側はどうにかより低いレイティングを得るため、再編集などを重ねて米国映画業協会(MPAA)のレイティング部門の承認を得るのに苦心するわけだ。

それでMPAAは本当にマトモな仕事をやってんの?という根本的な疑問をこの映画は追求していて、レイティング部門の元スタッフやジョン・ウォーターズ、ケヴィン・スミス、キンバリー・ピアスにローレンス・レッシグといった人たちの証言によって、MPAAの基準の不条理さが明らかにされていく。「私の陰毛を見せて何が悪いの!」と熱く語るマリア・ベロはプロだよなあ。

一応レイティングにはそれなりの基準があって、たとえば「FUCK」は侮蔑表現として1度だけ使うのならPG-13だけど2度以上使ったり性的表現として用いるとR-15になるとか、セックス描写は正常位ならR-15だけどそれ以外のポジションや腰の動きを見せるとNC-17になるとか細かく設定されてるらしいんだけど、結局のところはMPAAの気分ひとつでレイティングは決定されてしまい、インディペンデント映画よりもメジャー・スタジオの作品のほうが優遇されているとか、セックス描写には厳しくて暴力の描写には甘いなどといった事実が語られていく。彼らはアメリカの一般家庭の良俗を守るための団体だと主張しておきながら、結局は圧力団体の顔色をうかがっているという指摘もあった。

興味深いのは、このように映画に関して絶大な権力を持つ部門でありながら、トップを除いてそのメンバーの正体が明らかにされておらず、その審議の過程も製作側には一切伝えられないということ。そこでこの映画では私立探偵を雇って、レイティング部門のメンバーが誰なのかを暴いていく!まあメンバーの素顔が明らかになったところであまり意味はないかもしれないけど、彼らの家のゴミ箱をあさって審議の書類などを見つけてしまうあたりは見事(ロスでは合法らしい)。

そして最後にはこの映画自身のレイティングの審議、およびその結果(「全体のトーン」が問題だとしてNC-17指定)への再審査請求の過程が描かれている。この映画を作ったカービー・ディック(アカデミー賞ノミネート歴あり)ってこのあと何も映画をつくってないけど、まさかこの映画のためにMPAAに封殺されてるんじゃ…?相手があまりにも強大な団体であるために一矢を報いるような結果を生んでいないのが歯がゆい感じもするけど、アメリカの映画業界の現状について考えさせられる作品であった。グーグルビデオでも視聴できるよ

ちなみに日本の現状のレイティング・システムって、あれ何か意味あるのかな?PG-12とかR-15とかつけても、いまの世の中の小学生や中学生がどれだけ(保護者の同伴なしで)劇場に足を運んでることやら。おまけに劇場で入場を拒否されても、レンタルビデオ屋では普通に借りれてるような気がするんだが(店員がレンタルを拒否してるのを見たことがない)。そもそも子供の成育の過程において、子づくりの方法や人生の残酷さなんてのは、親や学校から教えられることよりも雑誌やマンガから学ぶことのほうが大きいように思うんだが。

というわけで世の中のガキどもよ、レイティングなど無視してもっと映画を観よう!

「Rain of Madness」鑑賞

「ハート・オブ・ダークネス」観たことないし、当然「トロピック・サンダー」も観てないから、この疑似ドキュメンタリーだけ観ても別に感想もなにもないのですが、まあ。iTunesストアでタダで入手できるよ。

ジャック・ブラック演じる俳優が「ヒートビジョン&ジャック」の主人公を演じて有名になった、という設定には笑った。実際にはあの作品って世に出てないんだよね。

「ファンタスティック・フォー」(1994)鑑賞

「ファンタスティック・フォー」の映画版を観た。いや、まず観る気になれない2005年の大作映画のやつじゃなくて、1994年の低予算作品のほう。

この映画の存在を知らない人も多いかと思われるが、これは当時「FF」の映画化権を持っていたコンスタンティン・フィルムというドイツの製作会社が、近日中に「FF」の映画を製作しないと映画化権を失ってしまうということになり(詳細は知らないが、ハリウッドではこうしたことはよくある)、よりにもよってロジャー・コーマン大先生に話を持ちかけたもの。そしてコーマン大先生はその無尽なる知識において「よし、それならば映画をとっとと作ってしまおう」という判断をなされて、お得意とする低予算・スピード製作のB級作品を1本作られたのであります。

まあそんな経緯を持った作品だから出来もしかるべきもので、予算がないために特撮なんかボロボロでリード・リチャーズは足や手が棒のように伸びるだけだし、ヒューマン・トーチは手がちょっと燃えるくらいと、全然ファンタスティックじゃないじゃん!といった出来。でもなぜかザ・シングの着ぐるみだけは異様に出来がいいんだけどね。これに加えて宿敵ドクター・ドゥームはやたら弱いし、音楽は耳障りだし、尺が90分と短くてストーリー展開も早いのに話にメリハリがないからやたら冗長に感じられたりと、まあロクでもない作品。ジュエラーなんていう誰も知らない悪役の代わりにモールマンを出せばちょっとは良くなったのに。でも不思議とB級映画特有の面白さみたいなものを備えているのも事実で、ダメ映画なんだけどそれなりに気楽に楽しめてしまった。同じくオクラ入りになった「ジャスティス・リーグ」のTVパイロット版(なぜかむかし日本の深夜番組帯で放送されたやつ)よりかは面白いし、2005年のやつよりも面白いという意見がIMDBでは根強いようだ。

ちなみにこの映画、上記のように映画化権の保持だけを目的として作られたものなので、公開するという気がコーマン先生には最初からまったくなく、そのままオクラ入りになってしまった不遇の作品なのであります(だから現在手に入るのはすべて海賊版)。キャストやクルーはてっきり劇場公開されるものと思って製作してたらしいので、そこれへんはちょっと哀れだな。この映画に関する裏話はこのサイトに詳しく書かれてます。でもキャストやクルーも給料はもらえたはずだし、この映画を作ったことによりコンスタンティン・フィルムはヒットした2005年の映画とその続編にちゃっかりと製作会社として名を連ねてるし、もちろんコーマン先生もその過程で利益を手にしたはずだから、すべてはめだたしめでたし、と。コーマン先生のビジネス・センスは無尽なり。

ちなみにアメコミ映画の映画化権といえば、今年のスマッシュ・ヒット「アイアンマン」もどこかのスタジオでくすぶっていた映画化権をマーヴェルが取り戻したものだし、「ウォッチメン」も今更になってフォックスが映画化権を主張してるわけだが、映画化権を保持していることを主張するために映画を作るのって、どのくらいの規模のものを製作すればいいんだろう?「Be Kind Rewind」みたいに「スウェーデン人が段ボール箱で作りました」というものじゃダメなんだろうか。

「顔のない眼」鑑賞

フレンチ・ホラーの古典的傑作「顔のない眼(LES YEUX SANS VISAGE)」を鑑た。交通事故によって醜い顔になってしまった娘をもとの美しい姿に戻すために、整形手術の権威である父親が若い女性たちを誘拐し、彼女たちの顔を娘に移植しようとするのだが…。といったプロットの物語。

1960年の作品だけあって惨劇描写とかはずいぶん抑えられているものの、それでも顔の皮膚をぺろっとめくるシーンなんかにはドキッとさせられる。ただし全体的にはホラーというよりも、悲しい運命に見舞われた少女の物語といった内容になっているかな。医師の娘を演じるエディット・スコブは殆どのシーンでマスクをつけていんだが、その華奢な身体と訴えるような眼をもって、いたいけな少女の姿を見事に表現している。昔の恋人のことが忘れられなくて彼に無言電話をかける場面とか、美しくもはかないラストのシーンなんかは非常に印象的。そして顔が「治った」ときの素顔の彼女が美しいのなんのって。あと「第三の男」のアリダ・ヴァリが医師の助手役で出てます。

話の展開が日本の少女マンガ(特に好美のぼるあたりのホラーもの)によく似てる感じがするんだが、それってつまりこの映画に影響を受けた作品が多分にあるということなのかもしれない。唯一の欠点はテーマ曲がいかにもおフランスしてて、明るめの曲調が話の雰囲気に合ってないことか。「サイコ」なんかは映像と音楽の融合が完璧だったんだけどね。

「不法侵入者」鑑賞

ロジャー・コーマン大先生が初めて(唯一?)興行的に損をしたといういわくつきの映画「不法侵入者(THE INTRUDER)」(1962)をやっと観る。コーマンの低予算映画ということでどうしても偏見を持たれる作品かもしれないが、実際は非常に素晴らしい出来だった。

舞台はアメリカ南部の小さな町。人種融合政策下の法令によって黒人の子どもたちが初めて白人たちと同じ学校に通おうとしていたが、町の住人のあいだには黒人に対する差別の念がまだ強く残っていた。そんなとき、アダム・クレーマーという謎めいた男が町にやってくる。自称「社会活動家」である彼はその狡猾な才能を発揮して、町の住人たちを巧みに扇動し、彼らの黒人に対する憎悪をかきたてる。そして住人たちは暴徒と化し、黒人を襲撃するのだった...というのが主なプロット。

主人公のクレーマーを演じるのは若かりし頃のウィリアム・シャトナー。このあと彼は「スター・トレック」のカーク船長として銀河一の女たらしとなるわけだが、この映画でもその謎めいた魅力と情熱的なスピーチをフルに使って町の住人たちを意のままに操るほか、人妻に言い寄ったり、女子高生の部屋にいつのまにか忍び込んで黒人に対する偽証を迫ったりと、悪の限りを尽くすものの決して単なる悪人に見えないところが凄い。今はコメディ畑のデブとなってしまった感のあるシャトナーだけど、この頃の彼は本当に魅力的だった。

低予算映画だけに一部の役者の演技が下手だったり、音楽がわざとらしく使われている感じもするけど、当時の他の映画と比べてそんなに見劣りするわけでもなく、むしろ意外なほど効果的なカメラワークが用いられているところもあった。またクレーマーは冷徹なようで人に暴力をふるうことには弱い一面を持っていたり、彼の野望を砕くのがインテリの新聞記者ではなく、粗野な人物として描かれていたセールスマンであったりと、人物描写もそれなりに深くとらえてるんじゃないかな。もっと評価されていい作品。

ちなみにこの映画が作られた当時は公民権運動が始まったばかりで、まだ人種差別が根強い土地で撮影をしたためにスタッフが住人に脅迫されたという話が残っているが、これを聞くとなぜこの映画が興行的に失敗したのかが分かるような気がする。要するに当時の観客にとって人種差別(セグリゲーション)はまだまだ記憶に新しいものであり、「身内の恥」をさらすような映画を観に行きたがる人はそう多くなかったんだろう。これはイラク戦争に関する映画が、今のところことごとく興行成績的に惨敗に終わっていることに通じるものがあるかもしれない。