「ANOMALISA」鑑賞

Anomalisa
チャーリー・カウフマンの新作。以下はネタバレ注意な。

元々は10年くらい前に音声のみの劇として上演されたものを、ストップ・モーション・アニメとして映像化したもの。人形の動きとかが、むかしアダルトスイムでやってた「モラル・オレル」に似てるな、と思ったら共同監督のデューク・ジョンソンは「オレル」のクリエーターだったディーノ・スタマトプーロスのもとで働いていた人なんですね。

舞台は2005年。仕事のためにLAからシンシナティにやってきた中年男性のマイケルは、ひとりホテルにチェックインしたあと、かつての恋人に会おうとして彼女をバーに呼び出す。しかし久しぶりの再会もケンカで終わり、寂しく部屋に戻った彼は、別の部屋に宿泊しているリサという女性に出会う。彼女に魅かれるものを感じたマイケルはリサを自分の部屋に誘い、二人は親密な夜を過ごすのだったが…というあらすじ。

デューク・ジョンソンの姉の元夫をモデルにしたというマイケルの声を演じるのがデヴィッド・シューリスで、シャイな女性であるリサの声を演じるのがジェニファー・ジェイソン・リー。その他のキャラクターの声はすべてトム・ヌーナンがあてていて、マイケルの元彼女などから男の声がするのは変に感じられるけど、すべて意味があるんすよ。

アニメーションの出来も素晴らしく、人形の表情がものすごく豊かで人物の感情を的確に表現している。ホテルのデザインなども丁寧に作り込まれていて非常に美しい。一方で「コラライン」などでは消されていた顔の目の部分の継ぎ目がそのまま残されているし、やけに艶かしいセックス描写なんかは人形を使う必要があったのかと思ったけど、これもまた意味があって、人形アニメでないとできなかった表現がきちんと隠されてるわけですね。

話のプロット自体は比較的シンプルな反面、最後のセリフも含めて「ん?」と感じるようなところがいくつかあるわけですが、観終わったあとでそれらについてよくよく考えると、ちゃんと意味が隠されていることに気づくのですね。ホテルの名前とか。

思うに自分と他者とのアイデンティティの境界が大きなテーマになっていて、海外では内容についてある1つの解釈が主流になっているようだけど、それが正しいと思うかどうかは観た人の判断にまかせます。鑑賞後にいろいろ考えさせられる作品であった。

あーげましゅよーあーげましゅよー。

「The Forbidden Room」鑑賞

forbiddenroom_quad_v08
「バットマン vs スーパーマン」観た反動でアート映画も観ましょうね、ということで。

カナダにガイ・マディンという映画監督がいまして、サイレント映画や初期のトーキー映画のスタイルを踏襲したビジュアルの作品を作ることで知られてるらしいのですね。単に「アーティスト」みたくサイレント映画を再現しているというよりも、もっとカットアップの手法を用いたり、撮影シーン自体を一般公開したりして、いろいろ前衛的なことをやってるそうな。まあ俺も詳しくは知らなかったのですが。

そして昨年のサンダンスで公開されたこの作品も、50年代のジャンル映画のパスティーシュみたいになってまして、「らしい」映像があまり脈略もなしに2時間こってり続くという内容になっています。最初はオッサンが風呂の入り方について語る公共メッセージのような映像から始まり、溶けて爆発しかねないゼリーとともに潜水艦に閉じ込められた兵士たちの物語になり、そこに木こりがひょっこり現れ、今度はその木こりが女性を取り返すために盗賊団のアジトに乗り込む話になり…といった話が、きちんと説明されないままずっと続いていくの。あとは他人の尻に魅かれる男性が脳手術を受けるさまが歌にのって語られたり、保険詐欺を強要するガイコツ女たちが登場したり。訳わかんないでしょ?

でも映像をただ並べているわけではなく、ときどき鋭いジャンプカットなんかもあったりして、それなりに入念な作り込みはしてるみたい。役者もウド・キアーやシャーロット・ランプリング、マチュー・アマルリックといった有名どころが出演してたりするのだが、映像が鮮明ではないために誰が誰なんだかよく分からなかったな。

1つ1つのシーンを観ると、意外と面白いところは多いんですけどね、これを2時間観るのはしんどかったな。でも批評家には例によって絶賛されてるようで。「バットマン vs スーパーマン」などとは全く別の世界の作品なのでしょう。

「バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生」鑑賞

cvojccfxaaa1sqq_large
公開したばかりなので簡単な感想を:

・アクションシーンが多くてそれなりに楽しめはするものの、全体的にはなんか観ていて疲れる、マイケル・ベイ作品のような映画。さすがにザック・スナイダーってベイほどアホではない(と思う)からコミックからの引用を散りばめてはいるものの、「ウォッチメン」同様に原作の要所要所をつまむのに忙しくて、全体としては盛り上がりに欠けてしまっている感じ。尺は長いのにカメラワークは単調だし、キャラクターの内面は描かれていないし、この監督はどうもストーリーに力を入れないね。

・話の舞台がどこなのか分からないシーンがいくつかあったが、そもそもメトロポリスとゴッサムって岸をはさんで見通せるくらい近くにある設定なのか?それでワシントンDCへは飛行機で行く距離?

・「エクスカリバー」って公開時はR指定だったはずだが、ウェイン家では子供にも見せるんですね。

・出演者ではメインキャストよりもホリー・ハンターの演技がいちばんよかったと思う。出演が途中までなのが残念。

・ワンダーウーマンはカッコいいものの、ガル・ガドットは英語力がどうも不安だな。私服の時はアマゾンというよりもモサドのエージェントのようであった。

・アメコミを長年読んできましたが、両者の母親の名前がどちらもマーサだということは気づかなかった。これは素直に脱帽する。

・バットマンのクリエーターの新クレジットは、「シーゲル&シュスター」とは違って「ケイン with フィンガー」なんですね。

・夢オチを2回も使うな。アホか。

個人的にはやはり、監督がスーパーマンの魅力を分かってないんじゃないかという点がいちばん気になりましたね。他の星から来た異質の存在として描くのもいいけど、スーパーマンってそれだけじゃないだろうと。本国では批評的に酷評されている一方で興行的には大成功しそうで、今後のDCコミックス作品もこの暗いトーンで続々と映像化されるのかと思うと、どうも不安を感じずにはいられないのです。

「マクベス」鑑賞

Macbeth
通は「スコティッシュ・プレイ」と呼ぶのさ!と中二っぽいことを書いてみる。日本ではなぜか吉本興業が配給するらしいシェイクスピア悲劇の映像化な。

予言をする魔女が3人でなく4人いたり、細かいところは省略したりしているものの、内容は戯曲にかなり忠実に作られている。しかもセリフが戯曲そのまんまの古めかしい英語を使ってるんですね、これ。おかげで何を言ってるかわからない部分が結構あったよ。英語圏の人たちは普通に理解できたりするんだろうか。スコットランドが舞台の作品だがスコットランド訛りは比較的軽めであった。

セリフがわからなくても内容は「マクベス」なので、例によって主人公の運命の狂いが描かれていくわけですが、特筆すべきはその映像美。スコットランドの荒涼とした自然を背景に物語が語られ、霧の中から表れる魔女たちや、燃える大地のなかでの争乱などは見応えがありますよ。時代考証がどこまで正確なのか知らんけど衣装デザインも凝っていて、忍者のごとく背中に剣をさして戦う戦士たちがカッコいいのですね。

マクベスと演じるのはマイケル・ファスベンダー。マグニートーもそうだったけど自分の運命に苦悩する役が似合いますね。マクベス夫人を演じるのがマリオン・コティヤールで、思っていたほど強制的なビッチ役ではなく、物静かながらも要所で夫を自分の望む方向に促す役割を果たしている。あとはバンクオー役がパディ・コンシダインで、まあ基本的に彼の出ている映画に外れはないです。

今になって「マクベス」をストレートに映像化する必要ってどのくらいあるのかな、とは思ったものの、手堅い演技と映像の美しさによって十分に楽しめる作品になっていたかと。

「ヴィクトリア」鑑賞

Victoria
140分すべてワンカットで撮影されたことで話題になったドイツ映画。でも劇中のセリフは殆ど英語であるあたり、国際市場を意識してんのかなあ。英語のセリフが多すぎるという理由でアカデミーの外国映画部門の対象にはならなかったらしいですが。

舞台はベルリンの朝4時。マドリッドからやってきてカフェで働く少女ヴィクトリアは、ナイトクラブで夜通し踊った帰りに、地元の男4人に声をかけられる。最初は軽い気持ちで接していた彼女も、一緒に酒を飲んだり建物の屋上に行ったりしているうちに彼らとどんどん仲が良くなっていく。しかし彼らのとある頼みを聞いてあげたことで、事態は予想もつかない方向に進んでいき…というあらすじ。

跡切れのないショットは確かにすごいんですよ。ナイトクラブの狭い階段とかエレベーターの中にまでリアルタイムで入り込んでしまうあたり、カメラはここまで小型化したのかと感心してしまう。ヒッチコックの「ロープ」みたいに最大9分までしかワンカットで撮れなかった時代とは大違いですな。

ただそれが映画の面白さにつながっているかというと話は別で、最初はベルリンの路上で男たちと戯れるヴィクトリアをずっとカメラが追いかけ、編集なしでここまで演技してるのは立派だよね、と思いながら観ているものの、前半1時間くらい延々と遊び呆けてる彼女たちの姿が描かれると、いいかげん話を進めろよ!という気分になってしまう。

そして後半は話が急展開を迎えるわけだが、今度はヴィクトリアの気持ちが時間をかけてきちんと描写されないから、危険なことにもひょいとついていってしまう頭の弱そうな人に見えてしまうのですね。話に緩急をつけられないのがこういう映画の欠点かと。最近の映画で長廻しが効果的だったのはやはり「クリード」の中盤のボクシングマッチだろうが、あれもストーリーのなかで数分間のワンカットを持ってきたから見栄えがしたわけで、あれをずっとやってたらただのボクシング試合になってたでしょ。

確かに夜から日の出までの出来事を一発で撮ったことはすごいし、キャストとスタッフの力量は賞賛に値するものの、肝心の中身が面白くなくてはダメでしょ、ということを実感させてくれる映画であった。