「A Dangerous Method」鑑賞


デヴィッド・クローネンバーグの新作。これ国内配給は決まってるんだっけ?

舞台は1900年代初頭のチューリッヒ。ロシアの令嬢のザビーナ・シュピールラインがヒステリーの症状のため精神病院に入れられたとき、そこの医師であったカール・ユングはジークムント・フロイトが提唱していた「お話し療法」を彼女に試み、ザビーナの話を聞くことで彼女の疾患の原因が幼少時の父親からの虐待によることを知る。その後にユングはフロイトと面会し、2人のあいだには師弟関係が生まれるものの、すべての要因を性的なものに求める権威主義的なフロイトと、神話などの超自然的なものにも興味を抱くユングのあいだにはやがて亀裂が生じていく。さらに妻子のいるユングがザビーナと不倫関係になり、ザビーナ自身が精神科医になることを目指したために、私生活と仕事の両面でザビーナとユング、そしてフロイトの3人の人生は絡まりあってゆく…というようなプロット。

登場人物はみな実在した人たちで、彼らをもとにした演劇の作家をそのまま脚本家としても起用したためかセリフがやたら多い印象を受ける。アカデミックな人たちの会話なので決して説明口調っぽくは聞こえないものの、セリフを喋るのに手一杯で演出などが少しおろそかになっている感があるのが残念なところか。

話の内容が内容だけにいくらでもテーマを深読みすることができて、20世紀の精神医学の黎明期の陰にはザビーナという女性がいたということをはじめ、精神病の患者と医師が紙一重であることや性的な抑圧からの解放などいろいろ読み取ることはできると思うんだが、全体的にまったりとしてるのでストーリーのポイントが掴みにくい気もする。まあクローネンバーグの作品って概してそんなものかもしれないが。

俺が思うにクローネンバーグって90年代までは肉体の変化をモチーフに映画を作ってた人で、それが2000年代になってからはアイデンティティの変化を扱うようになり、2010年代になってまた少し方向性が変わってきたのでないかと。そういう意味ではこの映画は「スパイダー」みたいな過渡期にあるところの作品なのかもしれない。まあ既に撮影されている次回作「Cosmopolis」でここらへんはハッキリするのかもしれないが。あと医者と患者の物語という点では「戦慄の絆」を連想しました。

話の主人公はマイケル・ファスベンダー演じるユングなんだけど、基本的に受け身の立場の人なので地味な印象は拭えない。それに対してザビーナを演じるキーラ・ナイトレイは汚物にまみれたり顔を歪めたり変な帽子をかぶったりと体を張った演技を見せつけてくれるものの、「頑張って演技してることが分かってしまう演技」なのがちょっと残念。フロイトを演じるヴィゴ・モーテンセンは師匠として落ち着いてるようで実は自分の立場を気にする小ずるさが分かる演技がよかったな。それと登場するシーンは少ないものの、医者なのにユングの患者となって性的解放の素晴らしさを吹聴するヴァンサン・カッセルの役がいちばん面白かったかな。ブラック・ジャックに対するドクター・キリコみたいな感じで。あとは夫の不倫に気付かぬふりをしながら、実はザビーナへの対抗心をメラメラと燃やしているユングの妻を演じた役者が良かったです。

前作「イースタン・プロミス」ほどの傑作ではないものの、興味深い作品であることは間違いないし、とりあえずやはり「Cosmopolis」を待ってから今後のクローネンバーグがどういう方向に進んでいくのかを知りたいところです。

「コーマン帝国」鑑賞


ハリウッドのメジャー・スタジオとは無縁に50年代から映画を製作し続け、エログロのエクスプロイテーション作品を作る一方でコッポラやスコセッシといった監督たちに映画業界へのきっかけを与えたB級映画の帝王ことロジャー・コーマン大先生の集大成的ドキュメンタリー。(厳密に言うと正しい意味での「B級映画」は一本も作ってないんだけどね。まあいいか)

あと数日で86歳という年齢ながらも未だに現役で撮影現場に顔を見せ、オフィスで編集作業に目を光らせるコーマン先生の経歴を、本人や家族および彼の門下生たちのインタビューを重ねて語っていく内容になっていて、マーティン・スコセッシやロバート・デニーロ、ピーター・フォンダ、ロン・ハワード、ピーター・ボグダノヴィッチ、ジョー・ダンテ、パム・グリアー、ジョナサン・デミなどといった錚々たる面子が登場するぞ。いちばん多くを語るのがジェック・ニコルソンで、デビッド・キャラダインとかポール・バーテルといった鬼籍に入られた人たちのインタビュー映像も出てくる。ジェームズ・キャメロンが出てこないのは予想してたが、フランシス・フォード・コッポラが出てこなかったのは少し意外だった。

映画業界での仕事を希望して20世紀フォックスで働きはじめたものの仕事に失望して辞め、自分で映画を製作するようになり、持ち前の反骨精神を活かして若者たちが喜ぶカウンターカルチャー的作品を世に出して成功する一方で、ベルイマンやフェリーニ、黒澤明といった海外のアート系映画の配給も手がけて批評家の高い評価も得るようになる。現在の製作者の悩みのタネである年齢指定のシステムも、導入された当時は逆にそれによってR指定の作品の表現の幅が増えたという証言が興味深かったな。

そして70年代に登場した「ジョーズ」と「スター・ウォーズ」という2つのヒット作のおかげでメジャー・スタジオが資金を大量に流入してブロックバスター作品を製作するようになり、資金的に勝ち目がなくなったコーマン作品はやがて劇場からケーブル局やビデオへと活躍の場を映すことを余儀なくされる。これらのことを微笑みながら静かに語りつつも、人種差別に対する自分の信念をぶつけた「侵入者」で初めて金銭的に損をしたり、「イージー・ライダー」への出資から手を引いたことで結果的に大損をしたことを語るときは真剣な眼差しになったりして、映画に対する気持ちはまだまだ若いなあといった感じ。

俺は彼の自伝「私はいかにハリウッドで100本の映画をつくり、しかも10セントも損をしなかったか」を読んでいたこともあり、必ずしも目新しい話は出てこなかったんだけど、インタビューに加えて手がけた作品の映像がふんだんに使われ、コーマンを知らない人にとっては格好の入門書的映画になるんじゃないかな。締めくくりはこないだのアカデミー功労賞の授賞式という格好のシーンで終わるわけだが、「映画は共同作業なので妥協する必要があるんだが、賭けに出ることも大切なんだよ」という彼の受賞スピーチは大変素晴らしいので、それが短くカットされてるのは少し残念だな。とはいえ最後に「ロックンロール・ハイスクール」のラモーンズの映像を持ってくるあたり、うまくツボをおさえたドキュメンタリーになっていると言えるでしょう。

「ヒューゴの不思議な発明」鑑賞


これ大変素晴らしい映画ではないですか。まさかスコセッシが人生のこの時点においてこんな作品を作ってしまうとは。

フィクションのなかに史実を丹念に織り込み、少年の物語でありながらも年老いた男の人生の情熱を語ってしまう巧みさ。すべての人には存在意義があるという観念のもと、映画にしかないというハッピーエンディングが現実にも訪れ、すべての愛が成就する見事さ。どこまでは原作に基づいているのかは知らないけど、子供の頃は喘息のため外に出られず、窓から外界を眺めていたというスコセッシの、映画に対する愛情なしではこんな作品は作られなかったであろう。

3Dによる撮影はものすごく画期的というわけではなかったが、それでも最近のとりあえず3Dで撮ったような映画よりも画面構成などが細かく練り込まれ、3Dで観ても損はなかったと思う。サシャ・バロン・コーエンの顔のアップとかにも効果的に3Dが使われているのが良かったな。ただその反面CGが多用されていくつかチャチに見えてしまう光景があったのも確かで、おもちゃのネズミとか博物館の火事とかはもうちょっとリアルに描いても良かったかもしれない。あと映画史でいち早くギミック撮影を用いた人物の話をギミック撮影で語る、というメタな要素があることも重要だな。

というわけで個人的には大変素晴らしい作品であり、映画への愛情を語った作品としてはフェリーニの「インテルビスタ」を彷彿させるものだと思うのだけど(子供の頃に観たあの映画は大好きなのです)、ヤフーの映画掲示板とか見ると「期待はずれ」とか「主人公が発明してないじゃん」などという意見が大半で残念なところですね。別に「映画を観るならメリエスのことくらい知っとけ!」などと上から物を言う気は全くないのですが、みんな少年が魔法を使うファンタジー映画だとでも思ってたのかな。確かにトレーラーだけだと話の内容が分かりにくいものの、期待を良い意味で裏切ってくれる作品だと思うけどね。それに原作小説の題名が「ヒューゴ・カブレの発明」なので、邦題もそんなズレてはいないよね。

いつもなら他の人が映画についてどういう意見を持とうと気にはしませんが、映画好きとしてはこの作品だけは意地でも弁護しないといけないような気がする。これはファンタジー映画じゃないし、発明も(あんまり)出てこないけど、でも素晴らしい傑作なんだよ!いまから木戸銭握って映写小屋へ向かえ!

「ファミリー・ツリー」鑑賞


アレクサンダー・ペインの7年ぶりの監督作品。

主人公のマットはハワイに済む弁護士で1800年代からずっと一族に引き継がれてきた膨大な土地の相続人でもあったが、法律によってその土地を売却する必要に見舞われていた。そんなとき妻のエリザベスがボート事故により回復する見込みのない昏睡状態に陥ってしまう。やがて彼女が死を迎えることを2人の娘に伝えるマットだったが、実はエリザベスが不倫をしていたことを知り…というようなストーリー。

妻の死をベースにしながら、娘たちや親族との和解や妻の不倫相手探しなどがハワイの大自然をバックに描かれ、とてもいい感じ。急な話の展開や派手な出来事などがあるわけでもなく、ただ話が進んでいくだけなのに2時間弱の長尺でもまったく飽きさせない。ここらへんはアレクサンダー・ペインの巧いとこだよね。逆に今までの彼の作品がダメだった人はこれも好きになれないかも。

主演のジョージ・クルーニーも非常に良い演技を見せてくれて、仕事第一だったために妻や娘たちの面倒を見ることができず、今になって必死に家族をまとめようとするダメ男を、ユーモアとペーソスをもって絶妙に演じきっている。まあクルーニーが寝取られ男を演じるのは多少無理があるけどね。脇を固めるロバート・フォスターやジュディ・グリアー、マシュー・リラードなども、出番は少ないものの好演を見せている。いちばん良かったのは長女役のシェイリーン・ウッドリーかな。

同じ監督の「アバウト・シュミット」や「サイドウェイ」同様に、どこがどう良かったのかきちんと説明することが難しいんだが、1人の男が出会いや別れや細かいことをいろいろ経験しつつ、少しずつ変わっていくところがいいんですよ。ただ冒頭で「ハワイに住んでるからって、別に楽園に住んでいる訳じゃない」みたいなセリフが出てくるんだが、やはりハワイの生活ってえらく楽しそうなんだよなあ。あと全編を通して流れるハワイアン・ミュージックは賛否両論あるみたい。

地味といえば地味な内容なので、観る人の年齢や性別などによって感想がいろいろ変わってくる作品かもしれないが、自分はとてもいい作品だと思いましたよ。

「ヤング≒アダルト」鑑賞


なんかメタファーがてんこ盛りの映画ですな。主人公の心境が彼女の書く小説にそのまま表れるとことか、青春時代の曲を繰り返し聴くところとかに加え、主人公が1人でジャンクフードばかり食べてる描写とか、登場人物のTシャツとかが「いかにも」といった感じで使われているといった感じ。とはいえあざとい訳ではなく、きちんと効果的に使われているのは巧いな。

観てて気になったのは登場人物の性格描写が少し一元的なところで、主人公は「元カレを取り戻す」という執念で凝り固まっているし、元カレのほうは彼女の魂胆に愚鈍なほど気付かないまま話が進んでいってしまう。しかし観てる側にとっては主人公の勝手な思い入れが報われないことは明らかなわけで、最後に主人公が自分の行為に気付くのがストーリーのテンポ上ちょっと遅いような気がする。これは「マイレージ、マイライフ」もそうだったけど、主人公の成長曲線の上がり方がストーリーよりもワンテンポ遅いような?これは個人の好みの問題かもしれないけどね。

なお個人的にシャーリーズ・セロンって能動的に嫌いな女優でして、無名の頃は積極的におっぱい見せてたくせに、ちょっと有名になると「私を外見でなく中身で評価して!」と言わんばかりに「モンスター」みたいな汚れ役を演じたりするのがどうも計算高いような気がして好きじゃないのですが、今回の役はよく似合ってたと思う。おっぱい見せてくれても良かったけどね。パットン・オズワルトは何をやらせても才能ある人なので安心して見てられる。パトリック・ウィルソンは女性に振り回されるヤサ男の役ばかり演じてない(ナイト・オウル含む)?まあ似合ってるからいいけど。

しかし俺はこの映画の主人公と同じ年で、聴いてる曲の趣味とかも一緒なんだけど、どうも彼女に共感できなかったのは何故なんだろう。ストレス溜まってるとはいえ社会的にそこそこ成功してて結婚も経験してる彼女に対し、こちらは人生を半ば諦めてる独身だからかしらん。