メビウスの講演会

バンドデシネ(フランス圏のマンガ)は必ずしも大ファンではないのですが、その第一人者であるアーティストのメビウスことジャン・ジローが来日して講演を行うということなので明治大学まで行ってくる。

1200人入るという講堂はほぼ満席。メビウスの作品って日本では殆ど翻訳されてないのにこれだけ知名度があるというのは、大友克洋をはじめとする人気マンガ家たちが影響を受けたことを公言しているからなんだろうな。講演では自分の経歴や日本のマンガの印象について語ってたりしたけど、正直あまり目新しいことは語ってなくて、むしろゲストとして招かれた浦沢直樹と夏目房之介による、日本のマンガ家がいかにメビウスの影響を受けたかというトークのほうが面白かったかも。70年代から80年代前半にかけての頃って、SFというジャンルに対する熱気が今とは違ってたんだよな。その頃に登場してきたマンガ家たちがメビウスの独創的なスタイルに影響を受けたわけで。

講演会の司会進行とかはちょっとグダグダ気味で、竹熊健太郎氏のブログを観る限りでは精華大学での講演会のほうが面白そうだった感じもするけど、無料の講演会だったし良かったんじゃないでしょうか。

ちなみにバンドデシネといえば20年くらい前にHEAVY METAL誌で連載されていた「The Waters Of DeadMoon」という作品を長らく再読したと思っているのですが、あれって英語版は単行本化されてないのかなあ。

誕生日

“時間はおかしなものさ。とても不思議なもんだ。若い頃は時間があり余ってる。数年をあちらこちらで無駄にしても、別に大したこたあない。しかし年をとるにつれて思うようになる。「畜生、俺にはあと何年残ってるんだ?俺にはあと35回の夏しかない」とね。考えてみろよ、35回の夏だとさ。”
   「ランブルフィッシュ」より

俺にあと35年残ってるかは分からないけど、仮にそう考えると人生の折り返し地点に来てしまったのか。何かもう見栄と惰性で生きてるような気がするし、今後もそうして生きていくのかなあ。周囲の人は家を買ってたり結婚して子供がいたりするけど、ああいう責任重大な生き方というのは俺たぶん無理なので、無責任に趣味に生きていくことにいたします。1人のほうがいろいろ楽そうじゃん。彼女くらいは欲しいですが。

というわけで今後もよろしく。

Trekkies Bash New Star Trek Film As ‘Fun, Watchable’


Trekkies Bash New Star Trek Film As ‘Fun, Watchable’
「スター・トレック」の新作劇場版は観てて面白いため、つまらなかった今までのスタトレ映画の伝統を破っている!というオニオンのいじわるニュース。実際にハードコアなファンたちはチェックリストを用意して、新作がどこまで伝統に忠実かチェックするなんて記事もAP通信で紹介されてた。この記事にも書いてあるけど、新作のストーリーはタイムトラベルが絡んでるのが気になるんですよね。J・J・エイブラムスがスタトレの歴史を変えて、しれっとした顔をされそうな。まあでも内容が面白ければそれでいいんですが。

ちなみにつまらないスタトレ劇場版の話になると「スター・トレックV」が必ず挙げられるけど、あれはあれで年取ったキャストがシャトナー監督のもとワイワイやってるようでそんなに嫌いじゃないんだよな。確かにTOS版のなかではいちばん出来が悪いかもしれないが。TNGのものも含めるのならば「叛乱」が圧倒的に駄作だったと個人的には思う。あと「ネメシス」は叩かれすぎだと思ってまして、確かにアクション・シーンとかをテコ入れしようとして失敗したものの、少なくとも努力したことは感じられる佳作だと思ってるんだけど。

ついでに書くとTVシリーズ版は、TOSを除けば最も出来が良いのは間違いなく「ディープ・スペース・ナイン」。日本だといまいち受けが悪い印象のあるシリーズだけど、あれがいかに素晴らしい作品であるかはまた機会のあるときに書きます。

「THE HUNT FOR GOLLUM」鑑賞

イギリスの「指輪物語」のファンたちが作った40分ほどのアマチュア映画。このサイトで視聴可能だよ。60万円ほどの低予算で作られたらしいが、160人近いスタッフが関わったとのことなので大半は無償で働いたんじゃないかな。

物語はいわゆる前日談的なもので、1つの指輪を探す闇の勢力が迫るなか、指輪のありかを知るゴラムを闇の勢力よりも先に捕獲するために、ガンダルフの命を受けてアラゴルンは1人で旅立つのだった…といったもの。森の影に隠れながら敵たちを始末していく馳男さんの活躍がカッコいいぞ。さすがにオークの集団を1人でノシてしまったのには「あなた強すぎじゃない?」と思ったけど。

ビジュアル的にはピーター・ジャクソンの映画版のそれを徹底的に踏襲しており、アラゴルンの役者なんかもそっくり。撮影はウェールズで行われたらしいが神秘的な森の雰囲気が良く出ているし、アマチュア映画とはいえ十分に楽しめるクオリティの作品になっている。ゴラムをCGで描写するのは金がかかるためか、殆どのシーンで彼は袋の中にいたり影しか見えなかったりするんだけど、逆にそれが臨場感を生んでいて良いんですよ。最後に出てくるCGの顔が逆にショボく見えるくらいで。CGに頼る前にまず演出で勝負しろという好例じゃないですかね。

今回は非営利での公開を条件としてトールキン財団からキャラクターの使用許可を得ているらしいけど、こうした有志によるファンムービーでもきちんと利益を上がられるようなビジネスモデルが近々に必要になってくるんでしょうね。映画配給会社に頼るようなものではなくて。

「ジャップ・ロック・サンプラー」読了

ジュリアン・コープによる、「Krautrocksampler」に続く異国ロックの研究書第2弾。凄まじいばかりの快著/怪著。戦後から70年代までの日本のアンダーグラウンド・ロック・シーンの歴史を徹底的に調べあげて解説しており、ジョン・ケージに触発されたオノ・ヨーコと一柳慧たちの話から始まり、エレキ・ブームとグループ・サウンズの興亡、そして欧米の影響を受けた日本のミュージシャンたちがロックを自分たちなりに解釈し、独自のスタイルを築き上げていくまでの暗黒の歴史が詳細に語られていく。その過程ではフラワー・トラヴェリン・バンド、内田裕也、タージ・マハル旅行団、スピード・グルー&シンキ、J・A・シーザーなどといったバンドや人物に焦点が当てられていくが、俺はそうした人たちの半分も知らなかったよ。自分の知らない日本の闇の歴史がページをめくるごとに明かされていくようで、読んでて目からウロコが落ちまくる経験だった。これは竹熊健太郎の「篦棒な人々」を読んだときにも思った事だけど、(日本の)アングラ・シーンというのは意外と革新性がなくて、いま若い人たちが奇をてらっていろいろやっていることは、既に50〜60年代にみんなやられてしまったことなのかもしれない。ドラッグにしろドロップ・アウトにしろ、昔はもっと本腰を入れてやってた人がいたわけで。またその対極であるメジャーの世界でも、大手レコード会社がハーフのイケメンにーちゃんをつかまえ、アイドルにして売り出すなんて事はずっと昔から行われていたということがこの本を読むとよく分かる。それと冒頭の黒船来航から戦後に至るまでの日本の歴史の説明も、そんじょそこらの教科書よりもずっとよく書かれていたと思う。

著者のコープ自身は日本語が分からないこともあり、我々日本人からすると笑っちゃうような事実誤認も多数あるんだが、この日本語版ではそれらの間違いに対して詳しい注釈がつけられ、さらにはコープが何度も言及している音楽プロデューサー本人による巻末インタビューがつけられ、コープのどこらへんが間違っているかが指摘されている。というか全体的に日本語版のトーンがコープの文章に対して批判的に感じられるのは気のせいだろうか。事実と違う説明があったとしても、それを妄想呼ばわりするのは失礼だと思うんだが。翻訳にあたりコープ本人に連絡をとるということはしなかったんだろうか。それに事実誤認がたくさんあったとしても、この本の重要性というのは揺るがないと思うのよ。むしろ日本の音楽評論家たちは、今まで誰も取り上げることのなかったロックの歴史の一部分を、ガイジンがこうして熱意をもって書き上げてしまったという事実を真摯に受け止めるべきであろう。

それとこの本に関した検索をしてて気付いたんだが、最近の人たちってジュリアン・コープって知らないのか?単に「日本のロックについて本を書いた物好きなミュージシャン」として見なすのはちょっと…。ティアドロップ・エクスプローズとかセイント・ジュリアンとかペギー・スーサイド(あとまあクイーン・エリザベス)とか知らない?少なくともマージーサイドのニューウェーブ・シーンを語るうえでは絶対に外せない人だと思うんだがなあ。一時期はLSDのやりすぎにより脳が溶けているという噂があって、モヒカン頭になって砂浜で遊んでいる写真を見たときは、どこか遠くに行って帰らぬ人になるんじゃないかと心配したけど、最近はこうしていろいろ本を書いているようで(考古学の本も出しているらしい)、ファンとしては嬉しい限りです。ジュリアンはこうして日本のことを調べてくれているんだから、我々日本人はもっと彼のことを知ってあげなければ。