「Shadow in the Cloud」鑑賞

クロエ・グレース・モレッツ主演のB級アクションホラー。アメリカとニュージーランドの合作になるのかな?

舞台は1943年のニュージーランドの空軍基地。日本軍との戦火が激しくなるなか、サモアに向けて飛び立とうとする爆撃機に一人の女性隊員が乗り込んでくる。モードという名の彼女は司令官に極秘任務を命じられたということで、謎めいた荷物とともに同行することになった。しかし女性の隊員はまだ珍しく、他の男性クルーたちは彼女を侮蔑的に扱って胴体下部の銃座に押し込んでしまう。荷物を運ぶためその仕打ちにも耐えるモードだったが、その爆撃機には機体を分解していまうという怪物グレムリンも乗り込んでいたのだった…というあらすじ。

飛行中の航空機におけるグレムリンとの戦い、というと「トワイライト・ゾーン」の「2万フィートの戦慄」が有名だが、こちらは主人公が爆撃機の銃座にいることから「世にも不思議なアメージング・ストーリー」の「最後のミッション」にも似ているところがあるかな。特に前半は銃座に閉じ込められたモードと他のクルーが無線で話す密室劇(?)が延々と続き、製作費お安いんでしょうねーと思ってしまった。

後半になってモードの持ち込んだ荷物の謎が明かされ、日本軍の戦闘機が攻めてくるなかでグレムリンとも戦わなければならない状況になってくるとそれなりに面白くなってくるものの、いろんな要素が微妙に噛み合ってない印象があって、ちょっと工夫すればもっと面白くなったんじゃないかと思う。BGMも実に場違いなシンセ音楽が多用されてて、なんか80年代のB級サスペンスみたいなノリになってるのだが、あれ狙ってやってるのかな。

モレッツ以外の役者や監督はよく知らない人たちばかり。脚本はマックス・ランディスが書いていて、あいつハラスメントで叩かれてるのによく起用されたな、と思ったらプロデューサーからは外されて、脚本も監督がそれなりに書き直しを加えたみたい。冒頭でモードに投げかけられる侮蔑的な言葉のどのくらいをランディスが書いたのかはちょっと興味あるな。

決して出来のいい作品ではないもののアクション部分はそれなりに楽しめるし、90分もなくてサクッと観られる作品なので、ビールでも飲みながら何も考えずに観るには適してる作品でしょう。

「プロミシング・ヤング・ウーマン」鑑賞

アカデミー賞にもいろいろノミネートされて話題の作品。日本は7月公開かな。以下はネタバレ注意。

30歳になるキャシーはかつて医大にも通っていた前途有望な女性だったが、ドロップアウトしていまは実家で暮らし、コーヒーショップでダラダラ働いていた。しかし彼女には裏の顔があり、それはナイトクラブで酔った振りをして、彼女に言い寄って部屋に連れ込む男たちを逆に痛い目に遭わせることだった。周到な準備をして男たちに仕置きをしていくキャシー。いったい何が彼女にそのような行為をさせるのか…というあらすじ。

話が進むうちにキャシー自身でなく幼なじみの親友が大学で性的暴行を加えられたことが示唆され、それに対する復讐としてキャシーがビジランテ的行動をとっていることが明らかになってくるのだが、「Ms.45(天使の復讐)」みたいなバイオレンスものではなくて、武器も使わずにもっと個人的な辱めを加えていくといった感じ。彼女の復讐の対象は男性に限らなくて、事件を揉み消した学長や同級生たちにも及んでいく。

ここ最近のMeTooムーブメントを強く反映しているような内容で、まあ男性が観るといろいろ気まずい思いを抱くんじゃないだろうか。キャシーはいい年してパステルカラーのギャルっぽいファッションをしている人で、実家の部屋もお屋敷みたいな内装になってるわけだが、これ若い頃で彼女の時間が止まっていて、そのときから今まで彼女が物事を明らかにできなかったことを象徴してるのでしょうね。セットデザインといえば弁護士の家の花が枯れてるところも印象的だった。

監督のエメラルド・フィネルってこれが監督デビュー作だが、イギリスでは役者やってるほかに「キリング・イヴ」のショウランナーもやってた人だそうで、この作品の雰囲気もイギリスのドラマっぽかったかな。銃が出てこないところとか、キャシーと両親の小ぢんまりとした関係とか。

キャシー役のキャリー・マリガンはいま35歳だそうだが、キャシーの痛々しいファッションがよく似合っております。最初は観ていてドン引きするものの、やがて孤独な仕置人のコスチュームみたいに見えてくるから不思議。共演者がやけに豪華で、クランシー・ブラウンやアルフレッド・モリーナ、アリソン・ブリー、コニー・ブリトン、モリー・シャノンなんかが出ています。プロデューサーはマーゴ・ロビーだぞ。

観てスッキリするかというと全くそんなことはない作品なのだけど、時代をうまく反映した作品だなとは思う。モヤモヤは残るけどね。

『ゴジラvsコング』鑑賞

HBO MAXで先に観てしまいましたが、さすがにこれは大スクリーンで観たら印象変わるだろうね。なお1962年の東宝版は未見です。以下はネタバレ注意。

  • 113分というモンスターバース映画では最も短い尺であるために、「細かいことはいいんだよ!」というノリで話がガンガン進む。その反面いろいろ雑なところもあるのだけど、怪獣映画にリアリティ求めても仕方ないでしょ、と割り切ってしまえばいいのかと。ギャレス・エドワーズ版が東日本大震災をモチーフにした真面目な映画だったとしたら、こちらは「東宝チャンピオンまつり」で「みなしごハッチ」と併映されそうな、娯楽に徹した作品になっている。
  • 話の中盤まで粘って粘ってゴジラの姿を見せなかったエドワーズ版と違って、今回はコングもゴジラも冒頭から全貌を見せつけてくれる大盤振る舞い。ケンカでは牙・爪・熱線が揃ったゴジラのほうが明らかにアドバンテージがあるので、弱いコングのほうがストーリー的には主役っぽい扱いになってるかな。よってゴジラは冒頭で早々とヒールターンしてちょっと悪者。怖い怪獣というよりも肥えた大トカゲみたいな演出は不満に感じる人もいるだろう。
  • 両者の対決に加えて、裏で暗躍する巨大企業とか新しい世界とかが出てくるのだけど、まず巨大企業のセキュリティがザル。すんごくザル。こういう映画のお約束とはいえ部外者に易々と侵入されて機密情報がバレまくってるし、自動ドアとか勝手にロックされてるし。防水処理もちゃんとしてればなあ。
  • 新しい世界のほうも突然存在が明かされるのだけど、科学的考証がどうしても気になってしまったよ。重力とか日光とか、あそこからあそこまで移動するのが早すぎるだろうとか。あと香港が大きすぎやしないか。あそこあんなに高層ビルあったっけ。
  • 前作「キング・オブ・モンスターズ」からはカイル・チャンドラーとミリー・ボビー・ブラウンが出てるけど出番は少ない。ブラウンの代わりに別の怪獣使いの少女が出てきます。ジュリエット・ビノシュ、サリー・ホーキンズに続く「なぜ怪獣映画にこの女優が?」枠でレベッカ・ホールが出演。個人的には「ハント・フォー・ザ・ワイルダーピープル」のデブ君とかロニー・チャンなどが出てたのが嬉しい。小栗旬ってよく知らなかったけど、英語がダメなのでセリフがみんな肩に力が入っている感じ。まあおかげで謎の東洋人という雰囲気は醸し出していたが。でも「芹沢」を名乗るべきキャラだったかは疑問が残る。

前作の「怪獣がいればみんなハッピーハッピー!世界の治安も経済も良くなって、みんなモテて背もグーンと高くなる!」といった終わり方は怪獣愛が溢れていて清々しかったのですが、今回もなんか「中学生のときにぼくが考えた最強の怪獣対決!」みたいな話がそのまんま映像化されていて、決して嫌いではないですよ。ただエドワーズ版からずいぶん遠いところに来たな、とは思う。

しかしモンスターバース、これでずいぶんネタが尽きたような気がするがどうするのだろうね?このまま東宝チャンピオンまつり路線でいくのならば、いずれゴジラが熱線で空を飛んだり、ゴジラの息子(名前は一般公募)が登場するのだろうか。あまりそっちには行って欲しくない気もするのです。

「Another Round」鑑賞

こんどのアカデミー賞で監督賞と外国作品賞にノミネートされてるデンマークの作品。原題は「DRUK」。

コペンハーゲンで教師をしているマーティンおよび3人の同僚は仕事もうまくいかず、家庭でも退屈な日々を過ごし、いわゆるミッドライフ・クライシスを迎えていた。飲み仲間である4人はスウェーデンの学者による「人は血中のアルコールが0.05%低い状態で生まれてくるので、ちょっと酒が入ってる状態が一番最適なのである」という学説を見かけ、それを実践するために日中に酒を飲み、8時以降は飲まないという誓いを立てる。これにより仕事でのストレスが消えて生徒受けも良くなったマーティンたちは、さらに血中のアルコール濃度を上げようと酒に深入りするのだが…というあらすじ。

メディアではコメディ・ドラマとして紹介されてるけどコメディの要素は殆どなくて、酒に救済を求める男たちの姿を淡々と描いている感じ。聞いた話ではデンマークって未成年の飲酒率が突出して高くて社会的にも大目に見られてるそうで、劇中でも生徒と教師が飲酒についてフランクに語り合うシーンが出てきたりする。とはいえ流石に学校で酒を飲むのは禁止されてるので主人公たちはいろいろまずい状況に置かれていくのだが。おれ個人は酒に弱くて顔がすぐ赤くなるタイプなので、周囲にバレずに酒を飲める人、というのがちょっと理解できんのよね。

主人公のマーティンを演じるのはマッツ・ミケルセン。酔ってキレッキレのダンスを披露してくれます。監督のトマス・ヴィンターベアって俺の苦手なドグマ95の人か…。もともと監督の娘さんの体験をもとに原案が練られて、主人公の娘役も彼女が演じるはずだったのが、撮影開始直後に交通事故で亡くなるという、ちょっとヘビーな背景があるらしい。

酒による失敗を描いてる一方で酒を糾弾する内容になっていないところが、ヨーロッパ的というか。でもこれたぶん「フレンチアルプスで起きたこと」みたいにハリウッドでリメークされそうな気がする。主人公たちが泥酔してゲロ吐いてベッドで寝小便しても、なんかスタイリッシュに見えてるのはそれはミケルセンたちのような俳優が演じてるからだからね、みんなはあまり酒に溺れないようにしようね。

「Zack Snyder’s Justice League」鑑賞

HBO MAXで全4時間を鑑賞。以下はネタバレ注意。

まあ発表時というか発表前から、さらに言うとジョス・ウィードン版「ジャスティス・リーグ」が公開されたときからハイプに包まれた作品であったわけで、その期待度によって観る人の感想が大きく変わってくるものなのでしょう。世間的にはジョス・ウィードンが最近パワハラ疑惑などで井戸に落ちて石を投げられている犬みたいになっていることもあり、ウィードン版(通称「ジョスティス・リーグ)」をディスってスナイダー版を持ち上げる意見がネット上では多く見られるのだけど、いや流石に2時間の映画と4時間のものを比べるのは無理があるでしょ。しかもスナイダー版はウィードン版が失敗したのを受けて作られたわけで、スナイダーがウィードン版を一切観ていないと公言していても後出しジャンケン的な感があるので、今回のスナイダー版とウィードン版を比べるのはあまり意味がないと思うのです。

それで今回のを観ていて自覚したのが、自分はウィードン版の内容をよく覚えていない、ということでして、もちろんプロットなどは覚えてるのだけど細かいところまでは覚えてないので、あれこのシーンは以前にあったかな、なかったっけな、と考えるところが多々ありました。あるシーンが以前からあったのか、編集されたのか、新規に撮影されたのかなどは細かく判断できんな。まあ両者の比較を詳細に解説しているサイトも出てきてますので、以下の解説に認識違いがあったらご容赦を。

ただ「ウィードン版とは全然別物だぜ!」という意見もネットでは飛び交ってる一方で、自分としては意外とウィードン版と同じだな、という印象でした。もちろん尺が倍になってるのでいろいろ足されたところは多いのだけど、話のプロットは大体同じだし、最後のエピローグを除けばものすごく目新しい部分は少なかったような。そもそもウィードン版がウィードンの映画というよりもスナイダーのスタイルに近いものであったと思ってまして、これは例えばウィードンの「アベンジャーズ」なんかと比べれば一目瞭然であろう。

そしてスナイダーのスタイルは何かというと、それはグリーンスクリーンの前で繰り広げられるコテコテのCGアクションでしょう。ヒーローの背景にある大海原と夕日はグリーンスクリーンにCGで付け加えられたものであり、彼の髪をなびかせる風はセットの扇風機から吹かれている。スナイダーによる映像にはあらゆる点で人の手が加えられており、まるで化学調味料だらけの料理のようである。もちろんそれを美味いと思う人も多いのだろうけど、ちょっとは自然の野菜とか使っててもいいよね、と彼の作品を観るたびに考えてしまうのです。

それでもって今回は冒頭から、「ザック・スナイダーの創造的ビジョン」についてのお断りが出てくるのには驚いた。何でも画面サイズが4:3であることが彼の創造的ビジョンなんだそうな。アクション映画といえばワイドスクリーンで映すのが常套的なのに、なぜその画面サイズなのか?どうもIMAX映画を気に入っていて、あの1:1.43の画角に憧れて今回は4:3にしたらしい。でも別にIMAXカメラで撮影しているわけでもないし、当然IMAXで上映される予定もないので、クリストファー・ノーランのバチモンよろしくこの画面サイズにした意味があるのか?と思うのですが、まあワーナー的にはOKなんでしょう。

このように画面の左右に黒みが入ったまま、話は幕を開ける。前作「バットマン vs スーパーマン」で殺されたスーパーマンの断末魔(とてもうるさい)が世界中に響き渡り、3箇所に隔離されていたマザーボックスがそれによって覚醒する(なぜ?)。そしてマザーボックスを狙ったステッペンウルフが地球にやってくる、というのが話のはじまり。マザーボックスは原作の「生きた(治療用)コンピューター」という設定と大きく違っていて、ステッペンウルフの親分であるダークサイドがそれを用いて惑星を征服するという、マーベルのギャラクタスの惑星エネルギー吸収マシンみたいなものになっていた。

ステッペンウルフはウィードン版とずいぶんデザインが異なっていて、「マイティ・ソー」のデストロイヤーっぽい外見になっている。まあ中間管理職的なヴィランなので相変わらずハクがないのですが。しかも今回は過去にヘマをしたために本部に出入り禁止になっているという悲しい設定つき。そして彼の親分であるダークサイドは、ウィードン版では存在が暗示される程度だったが今回はきちんと登場している。しかし大昔に地球を侵略しに来たもののアトランティス人やアマゾンの軍団によって撃退され、マザーボックスを置いて退却したことになっていて、ダークサイド弱い!カクカク曲がるオメガ・ビーム習得前だったのかもしれないが、初登場で負けるダークサイドって結構インパクトあるぞ。あとは彼の腹心の部下であるデサード、原作だとネズミ男みたいなズルい奴なんだけど、今回は普通に悪の幹部の秘書みたいな描写でちょっと面白くなくなってたな。

このステッペンウルフの目的を阻止するためにヒーローたちが集うのはウィードン版と同じ。ただ2時間も長いのでいろんなキャラクターが登場したり、設定に肉付けがされている。一番良かったのはザ・フラッシュの登場シーンで、高速で移動することで止まってる人たちを助ける描写は「Xメン」のクイックシルバーの「Time In A Bottle」のシーン並みに良かったですね。さらにフラッシュ以上にサイボーグのバックストーリーに時間が割かれていて、彼がなぜああいう姿になったのかとか、父親との関係などがじっくりと説明されている。

サイボーグ役のレイ・フィッシャーはセットにおけるジョス・ウィードンの振る舞いをすごく糾弾していて、さらに今回のでサイボーグのシーンが大幅にカットされてたことが判明したためにウィードンはレイシストだ!とか騒いでる人もいるのだけど、そりゃ尺を大幅にカットしなければならないなら、いちばんマイナーなキャラクターのオリジン話とかは削るようなあ、と考えてしまうのです。さらに今回はサイボーグ以上にマイナーなヒーローが初登場しまして、かなり蛇足な登場をするので、いやあいつ出す必要あるか?とも思ったな。あとコミックではアジア人版ザ・アトムになるライアン・チョイ君が出てきますが、すごく中国語訛りの強い英語を話す人になっていて、それに嫌味のようなものを感じたのは俺だけか?少なくともあの訛りではスピンオフできても主役は張れんぞ。

まあこのような肉付けがされつつウィードン版と同じプロットを辿るのですが、スーパーマンを復活させるまでのシーンがちょっと退屈だった以外は、4時間という尺はそんなに気にならなかったかな。尤も肝心なアクションシーンはすぐスローモーションになるので、あれが普通の速度だったら尺は3時間くらいになっていたかもしれない。また適度にアクションシーンが挿入されてる一方で大きな盛り上がりには著しく欠けている内容でもあるので、別に1時間X4話のフォーマットでも良かったんじゃね?とも思ってしまうのです。

そしてステッペンウルフとの最終決戦のあと(最後のあれ、リチャード・ドナー版スーパーマンを連想した人います?)、ちょっとガラリと展開が変わるエピローグが加えられてるのですが、あれは俺に続編を作らせたらこんなのできるぜ、というスナイダーのアピールなんだろうか。まあアクアマンもワンダーウーマンもソロで活躍しちゃってるし、バットマンも役者が交代してるので、スナイダー版の続編は作られることはないだろうな…。なおエピローグでの「Congratulations by the way」が何を意味するか、分かりますよね?

4時間という尺を我慢できるかどうかを別とすれば、ウィードン版を観たことがない人はこっちを観た方が楽しめると思うし、ウィードン版を不満に感じた人もこちらには何かしら満足できるものがあるだろう。じゃあ傑作になってるのかというと全くそういうわけではなく、むしろ4年前からスナイダー版の公開を求めていた人たちを安らかに眠らせることに、作られた意義のある映画なのではないだろうか。個人的には本当にこれを最後にして、スナイダーはDCコミックス映画から足を洗って欲しいと願わずにはいられないのです。