2013年の映画トップ5

今年は別に不作の年でもなかったが、無理して10本を選ばずに5本に絞ってみました。観た順で順位は特につけません。

ゼロ・ダーク・サーティ
そのモラルの闇を見つめるさまは決して居心地が良いものではないが、ラスト30分の襲撃シーンの重々しさは見事だった。

Upstream Color
いや、実のところ何を言いたいのかよく分からないんですけどね、でもその映像美と世界観が良いなあと。

パシフィック・リム
娯楽映画としてはこれが今年のベストでしょう。

Escape From Tomorrow
ディズニーランドでゲリラ撮影したというギミックだけが強調されがちだが、撮影は意外なほどしっかりしているし、ウルトラQ的な幻想に浸れる良く出来たファンタジー。

ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!
3部作のなかではいちばん弱いような気もするが、それでも今年のコメディのなかでは圧倒的な入念さをこめて作られていた。細かいネタを見落としたいずれまた観ます。

他には「フライト」「セブン・サイコパス」「ホーリー・モーターズ」とかが良かったかな。一方で世間的の評判の高い「アルゴ」「ゼロ・グラビティ」「Frances Ha」などはさほどでもなかったかと。「The Act Of Killing」が年内に観られなかったのが残念。一方で見逃している作品もたくさんあるわけで、そこらへんは悔い改めながら後日機会があるときに観ていきます。

リアリティ番組6番勝負

iTunesストアとかで無料だったリアリティ番組とかをセコセコ集めていたら、いつの間にか72時間分くらい溜まってしまったので、ちょっとは消化しようとポテトチップス片手に6本を続けて観る。最初は10本くらいいけるかなと思ったけどさすがに無理でした。どれも初めて観るもので、ざっと感想を書いていく:

「The Hero」(TNT)
ホストを務めるのはザ・ロック様ことドウェイン・ジョンソン。全米から集まられた一般市民が過酷な試練に挑戦して、誰がいちばんのヒーローであるかを競うという内容。高層ビルからぶらさがったりと派手なことはやってるものの、そこらのゲーム番組と大差ないような。全員が試練に挑むのではなく協議のうえ数人が参加する、というシステムがまどろっこしい。あとその回の勝者が、賞金を独り占めするか皆で分配するか選択できるという心理的な駆け引きもあるのだが、そういう姑息さってヒーローとかけ離れてるのでは。

「Joe Rogan Questions Everything」(Syfy)
コメディアン(だそうな)のジョー・ローガンが超常現象などを調査するという内容で、今回はビッグフットを扱っている。ビッグフットに遭遇したという人や、足跡やフンなどを研究しているという博士などが出て来るのだが、みんなウサンくさくて…。思わせぶりな展開を披露しておいて、「実はフンから検出されたDNAは別の動物のものでした」などとオチをつけるのがやはりSyfyだなあと。まあこんな低予算の番組でビッグフットが見つかったりもしたら大事なのだが。

「Boston’s Finest」(TNT)
ドニー・ウォールバーグがナレーターを務める、ボストン警察の活躍を追った番組。シーズン2なのだがボストンマラソンの爆弾事件の後ということもあり、全体的に警官たちの言葉に重みが加わっているような。ただ内容は普通に「COPS」みたいな感じ。あっちの警察って、警官を見て逃げ出した人物を追いかけて手錠をかけることができるんですね。

「Cook Your Ass Off」(HLN)
HLNなんてチャンネルがあるのか。「健康的なジャンクフードを作ろう」をテーマに3人のシェフが腕を競う番組。つうかそもそもジャンクフード自体を食べなければいいじゃん!あとサモサってジャンクフードなのか?作られた料理はカロリー計算とかされてヘルシーさが競われるのだが、あっちの人たちの炭水化物を親の敵のごとく嫌う姿勢はよく理解できんな。それぞれの料理のレシピが公開されてご家庭でも調理できる配慮がされてる一方で、ダチョウの卵を使ったコンテストなんてのも行なわれていた。そんなのスーパーに売ってないだろ!

「10 Things You Don’t Know About」(ヒストリー)
ホストはヘンリー・ロリンズ。相変わらずいろんなことやってんなこの人。とあるテーマに関する10のトリビアを紹介していく内容で、今回はアメリカ大統領の暗殺に関するもの。安易に陰謀論などを語ったりはせず、ガーフィールドの死因(医者の不手際)とかを真面目に語っていく。大統領への暗殺未遂って意外と多く行なわれてるんですね。

「Idris Elba: King of Speed」(BBC)
これはBBCのiPlayerで視聴。イドリス・エルバことストリンガー・ベルが、車に対する情熱を語っていく全2回の番組。彼の故郷の東ロンドンから始まり、アメリカに渡ってローライダーに乗ったり、NASCARのサーキットを疾走したりする。彼がイギリス訛りで陽気に喋る姿ってなんか違和感があるが、「トップギア」並みの美しい撮影と車への愛情に満ちた内容になっている。

元ギャラクシー500のドラマーによる、音楽ストリーミングに関する記事


自分が大学時代によく聴いていたメランコリックなバンド、ギャラクシー500のドラマーで現在はデーモン&ナオミで活躍するデーモン・クルコフスキーが2012年の11月に、ピッチフォークのサイトに寄稿した記事。月額制の音楽ストリーミング・サービスが、ミュージシャンに雀の涙ほどの印税しか払っていないことを述べたもの。1年前の記事なので各サービスの財政状況は変わっているかもしれないが、先日もジョニー・マーがSpotifyを糾弾してたりするのを見ると、ミュージシャンの待遇はさして変わってないだろう。

ただし自分もこれに似たサービスに関わっていることもあり、ミュージシャンへの還元よりも株主の利益を優先してしまうSpotifyやPandoraの行動も、まあ理解できなくはない。これらの会社の成長と、ミュージシャンの利益を両立させるのはどうすれば良いのか、というのが悩ましい点でして。

ちょっと話はズレるが、いまから10年くらい前にiTunesストアで音楽の販売が開始されたときは、大手レコードレーベルに所属するアーティストも、極小レーベルのアーティストも、作品の販売網という点ではみんな横並びになったから、大手レコード会社のビジネスモデルが崩壊すると真剣に論じられていたような記憶がある。でも実際はあまりそうならず、大企業がさらに金持ちになったわけで。その事実を踏まえたうえで、じゃあものを作っている人たちはどうやって儲けましょうかね、というのがミュージシャンだけでなく映像業界とか出版関係の人たちのここ数年の課題になるであろう。

原文はこちら。原文どおりにリンクを張ったが、リンク先が死んでるところもあります。あと経済用語とか間違ってたらご指摘ください。

小銭稼ぎ

どの世代のミュージシャンたちも、激動の変化の時代を生きてきたと感じるだろう。しかし僕がこの比較的短いキャリアのなかで経験したこと——フォーマットの変化からビジネスモデルの消滅まで——は本当に驚くべきことだと思える。僕が初めて1988年に作ったアルバムはLPフォーマットでのみリリースされた。そして僕が次に作るアルバムも、LPのみでのリリースになるだろう。しかしこれらのアルバムのあいだに、音楽業界は商品の売買という単純な仕組みを、全力でメチャクチャにしてしまったようだ。レコーディングを通じてまっとうな収入を得ることが、現在のミュージシャンの大半にとってはもはや不可能になってしまっているのだから。

僕は昔を単純に懐かしんでいるわけじゃない。最初のアルバムだって全く稼ぎにはならなかった(当時契約していたレーベルのラフ・トレードは、僕らに何かしらの印税を払う前に倒産してしまった)。しかしミュージシャンが搾取される有様は、個人的な詐欺からもっとシステム化されたものへと変質を遂げた。そしてこの変質とともに、音楽業界が抱える問題を回避できる可能性はどんどん低くなってきている。僕らのように音楽の権利と印税を100%保持できたミュージシャンにとってもだ。

僕らの日常にどんどん入り込んできている、PandoraやSpotifyといった音楽ストリーミング・サービスを参考にしてみよう。こないだ2012年第1四半期分の印税の明細を受け取ったが、こうしたサービスを通じて僕らの音楽が聴かれているのは嬉しいとは思うよね。例えばギャラクシー500の曲『タグボート』はこの時期にPandoraで7800回ほど再生され、これに対して3人のソングライターは合計で21セント、つまり各人7セントの印税を受け取った。Spotifyはもっと支払いが良いよ:こっちでは『タグボート』が5960回再生されて、3人のソングライター全員で1.05ドル(各人35セント)という3ケタの印税になったのだから。

これを別の観点から考えてみよう:僕らは自身のレコーディングの権利を持っているから、僕の計算によるとPandoraで31万2000回の再生がされれば、LPレコード1枚——1枚だよ——の利益と同額になる(Spotifyでは4万7680回がLPレコード1枚分)。

あるいは歴史的な観点から考えてみよう:ギャラクシー500の初のリリースである『タグボート』の7インチシングルは、1000枚のプレスをするのに980.22ドル、あるいは1枚あたり98セントかかった。送料も含めてだ(ナオミが領収書を保管していた)!それをいくらで売ったかはもう憶えてないが、1枚あたり少なくとも2~3ドルの利益を得ることは容易だった。つまり7インチシングルを1枚売るだけで、PandoraやSpotifyで1万3760回再生されるよりも多くの利益を得ることができた。別の見方をすれば、1988年に1000枚のシングルを製作することは、2012年にその曲が1300万再生されるよりも多くの収益を僕らにもたらせることになる(新人バンドにとってはインターネットこそが収入源だと、人は言うけれど…)。

公平さのために言っておくと、僕らはシンガー・ソングライターであり、全ての権利を保持しているため、これらのストリーミング・サービスは二次的な印税も僕らに支払うことになる。これには各々の理由があり、それぞれ異なるところから支払われる。例えばPandoraは『非地上波ラジオ』と見なされ、そのストリームで曲が提供されているミュージシャンおよびソングライターに印税を支払わなければならない。これらの印税は、衛星ラジオが登場したときに政府によって設立された非営利団体であるSoundExchangeによって集められる。SoundExchangeは曲ごとの印税の計算はしないが、彼らによるとPandoraはこの四半期にギャラクシー500の曲を提供した分として総額64.17ドルを僕らに支払った。僕らはギャラクシー500の曲を64曲提供しているから、つまり1曲あたり約1ドル、もしくは各人あたり33セントの追加収益という計算になる。

実のところPandoraはこのミュージシャンへの二次的な印税を経済的な負担だと考えていて、それを免除してもらうために新しい法案――いまアメリカ議会に提出されている――を通そうと積極的なロビー活動をしている。これについてはニューヨーク・タイムズのベン・シサリオの一連のブログ記事が参考になるだろう。あるいはストレートなプロパガンダがご希望なら、インターネットラジオ更正法がいかにオーウェル的であるかを、Pandora創設者のティム・ウエスターグレン自身が説明しているのを聴くこともできるよ。

一方のSpotifyは、どの世界でもラジオとして見なされていないため、別の二次的な印税を支払うことになる。レコーディングを非放送用に使用するときのように、曲の提供にあたっては権利者からの許諾が必用となり、彼らはそれぞれのレコードレーベルと個別に契約を行うが、その詳細が公表されることはない。でも僕らの契約内容は明かせるよ:『インディー』レートとして1再生あたり0.005ドルの印税だった。(実際に計算してみるとこのレートは0.004611ドルの印税になっている。0.0004ドルほどの節約ができたことで、Spotifyの誰かがボーナスをもらってるといいね!)正直なところ僕らに交渉できる余地はなかった。僕らのように自身のレーベルを持っている場合、先方の条件を受けるか受けないかの二択しかない。僕らは条件を受け入れ、『タグボート』が5960回試聴されることで、Spotifyは理論的には29.80ドルをレーベルに支払うことになった。

『理論的には』と言ったのは、このSpotifyの0.004611ドルのレートには小さな透明の注意書きがびっしりついているからだ。このレートには再生回数やSpotifyへのリンク元、ユーザーの契約状況などを反映したアルゴリズムによる修正が、ストリームごとに加えられているらしい(その詳細をSpotifyは公表していない。少なくとも僕らには)。さらに僕らに渡された書類から計算してみたものの、Spotifyが僕らのレーベルに報告している再生回数と、著作権管理団体のBMIから報告されている再生回数を一致させることができなかった。結局のところ僕が計算できた限り、『タグボート』の再生によってSpotifyが僕らに支払った額は、9.18ドルだけだった。

「それは別に悪くはないんじゃないの」と言う人もいるかもしれない(本当に誰かがそう言うかは疑問だけど、誰かが言ったと仮定しよう)。商品に形があるわけではなく、音楽をこれらのサービスで提供するにあたり、僕らにはプレス代も印刷代も送料も、紙の領収書を25年も保管しておくスペースもかからないのだからと。確かにそうだろう。しかし形のない商品というのは、同じくらいに形のない利益しか生み出さないんだよね。

ここに問題の核心がある。僕がレコードを作り始めたとき、ビジネスのモデルはものすごく単純だった:何かを製作し、製作費よりも高い値付けをして、その値段で売ろうとする。これは7インチの商業資本主義だった。それに対して現在のモデルは、金銭的投機に近いものになっているようだ。PandoraやSpotifyは商品を売ってるのではなく、サービスへのアクセスや行動を販売している。誰かがサービスに加入すれば、皆が儲かるというように(クラウウドソーシングさえも、この現代の資本主義における『投機』モデルを踏襲していることに驚かされる。まだ存在していないものに対して人はお金を支払っているわけだから)。

しかしこれには難点が1つある:PandoraとSpotifyは、自身のサービスから何の儲けも得ていないのだ。2012年の第1四半期において、Pandora——ギャラクシー500の『タグボート』の使用料に1.21ドルだけ払った会社だよ——は2000万ドル以上の純損失を計上した。一方のSpotifyは、最新の報告によると2011年に5600万ドルの損失を出している

なぜこれらの会社は、既にバカみたいに低い印税からさらに何百分の1セントを削ろうとしているのかとか、印税のレートをさらに下げる法案を通すためにロビイストたちに給料を払っているのかと疑問に思うのは置いておいて、彼らにとって重要だと思われる質問を聞いてみよう:なぜ彼らはこのビジネスを続けているのか?

答えは資本だ。PandoraとSpotifyは資本を持ち、資本を生み出している。彼らはレコード会社じゃない——レコードや他の何かを作っているわけではないし、さらには利益さえ生んでないようだ。彼らの存在理由は、投機資金を集めるためにある。そしてその資本を保有している人たちは、何百万ドルもの利益を手にしている——2012年にPandoraの重役たちは6300万ドル相当の会社の株式を売却した。またSpotifyのCEOであるダニエル・エクは、「会社がいつ黒字になるかは重要ではない。我々の狙いは成長することだけにあり、それが1番・2番・3番・4番・5番の目的だ」と語っている

これは音楽業界の成長ということかな?そうじゃないだろう。ダニエル・エクにとっての成長とは、彼の会社つまりその資本の成長のことだ。1988年に初めてLPを作ってから、いま作っているLPまでの間に僕が経験した、音楽業界の根本的な変化を理解しようとすれば、こういう結果に辿りつく。このあいだに支配的になったビジネスモデルにとって、レコーディングされた音楽のセールスというのは重要でないものになってしまったが、働くミュージシャンとして僕はこのモデルには反対する。実際のところこうしたビジネスにとって、音楽そのものが重要でないものになっている——それはあくまでも情報の1形態であり、株式を購入させるボタンやリンクをクリックさせるための誘因でしかないんだ。

ビジネスとして、PandoraやSpotifyは音楽からかけ離れたものとなっている。僕には、彼らが音楽のビジネスに何も貢献していないことが容易に想像できる——アイデアをレコードにのせ、それを製作費以上で販売するという家内工業を痛めつけることはしてるだろうけど。でも僕は別にラッダイトなんかじゃない——iPhoneをたたき壊してソフトウェアを破壊しろと唱えてるわけじゃないし、実際には月額9.99ドルを払ってSpotifyに加入している(『タグボート』の年間再生680,462回分だ)。なぜなら僕は音楽が好きだし、Spotifyがそれであらゆる音楽を聞かせてくれるのは素晴らしいことだから。

しかし僕はミュージシャンとして、これらのビジネスモデルに対して金銭的な期待をすることはやめた。そしてビジネスモデルなしで音楽を共有することこそが、僕が音楽を始めた最初の理由だ——それを僕らはパンクロックと呼んでいた。だから僕らはギャラクシー500デーモン&ナオミのすべての音源を、Bandcampに設立したサイトでまったくの無料でストリーミングで共有することにしたよ。楽しんでね。

「THE WHALE」鑑賞


BBCのTVムービー。

メルヴィルの「白鯨」の元ネタになったとされる1820年の捕鯨船エセックス号の難破を描いたもので、ナンタケットを出発したエセックス号では律儀なポラード船長と熟練したチェイス一等航海士の折り合いがつかない状況であったが、クジラが捕まえられない日が続いたことで船員たちの不満は日に日に高まっていった。しかしようやく1匹のクジラをしとめ、さらにマッコウクジラを狙うものの、逆に船がクジラに攻撃され、エセックスは沈没してしまう。命からがら救命ボートで脱出した船員たちは1ヶ月近くにわたって漂流を続け、やがてとある無人島に到着する。しかしそこにも食料はなく、以前に漂着したらしき人々の遺書と白骨を発見したことから、一行はその島にとどまることを諦め、ふたたび海に出ることにするのだが…というお話し。

話の主人公としてポラードとチェイスのほかに新米船員のトーマス・ニッカーソンという少年がいて、老人になった彼による回顧録という形をとって話が進んでいく。つまり少なくともニッカーソンが難破を生き延びたことは冒頭から分かってしまうわけですね。まあ実際にはポラードもチェイスも生還したらしいので、誰が生き残ったかはあまり重要なポイントでは無いのかも知れないが。

むしろ問題なのはあまりにも全体的に淡々としている点で、ニッカーソンが船出に胸をときめかすところもないし、船ではみんなが不平をブツクサ言ってるだけ。せっかくの捕鯨シーンになっても躍動感は無く、しとめられたクジラはグロい血と油の塊となって暗い船倉にそのまま貯蔵される。飛び散る血しぶきとか日焼けでただれた肌とかは入念に映しているんだが、本来描かれるべき自然との争いとか極限状態における人間同士の葛藤とかはすごく淡白に扱われているのが納得いかない。

チェイス一等航海士を演じるのはジョナス・アームストロング…って「ロビン・フッド」の彼か。ポラード船長はアダム・レイナー。年取ってからこの出来事を懐古するニッカーソンをマーティン・シーンが演じているが、主要な語り手というほどでもないし、コスプレして半日で撮影しました的な感じが否めず、正直なところ彼の役を外してチェイスとポラードの衝突をもっと中心に添えても良かったのに。

「白鯨」好きとしてはそこそこ期待して観たものの、何も得るものの無い凡作でございました。

「The Time of the Doctor」鑑賞


ついに来ましたよ11代目ドクター最終話。

クリスマスのご馳走を作っていたクララたんはドクターと再会。彼と一緒に謎のメッセージを出している惑星へと向かうが、ドクターのコンピューターの解析によるとその惑星はタイムロードたちの故郷ガリフレイであった。その真実を確かめるためにドクターは惑星を保護する旧友の許諾を得て、惑星の表面に降り立つことに。そこには善良な人々が住むクリスマスという小さな村があり、村に隠された驚異的な秘密をドクターは知ることになる。そしてその秘密を狙ってダーレクやサイバーメンといった強敵が惑星に攻撃をしかけるなか、ドクターは村を守るためそこに留まることを決意するのだった…というようなプロット。

ここ3シーズンの集大成のエピソードといった内容で、従来のスタンドアロンなクリスマス特番とは趣きが異なっている。再生もできずに村を守り続けて年をとっていくドクターの優しさとか、彼に”見捨てられる”クララたんの悲哀などが描かれた、ファンタジックかつメランコリックな話になっていた。マット・スミスが大半を老けメイクで過ごすのは賛否両論あるかもしれないが、彼の演技ってもともとガンコ老人っぽいところがあるのでよく似合っていたと思う。

まあ確かにちょっと詰め込みすぎなところもあって、彼を11代目でなく13代目という設定にする必用はあったのかとか、サイレンスの立ち位置がいまいちよく分からないとか細かい不満はなくもないのだが、ここまでやってくれればもう十分でしょう。最後に「彼女」が登場するあたりも、スティーブン・モファットの4年に渡るドクターの物語が1つの結末を迎えたんだなあという感じ。

そして最後は当然ながらピーター・キャパルディ演じるドクター(12代目?14代目?新1代目?)が登場!顔が恐いとかスコットランド訛りがあるとかネットでは議論されてるようですが、あの短いシーンだけであれこれ決めつけるのは早急すぎるでしょう。俺も11代目がクリスマス特番で初登場したときは「何だこいつ?」と思ったけど、そのあとどんどん魅力的になっていったわけだし。とりあえずクララたんがいれば満足です。しかし次のシリーズは来年の秋まで待たなければならないのか…。