「Act of Faith / Jimmy’s End」鑑賞


自分の作品の映画化はひたすら罵倒して呪いをかけていたアラン・ムーア御大が、初めて脚本を手がけた短編映画。監督のミッチ・ジェンキンスは彼の友人…というかフィールズ・オブ・ザ・ネフィリムのPVとか作ってた人なのね。ふむふむ。

「Jimmy’s End」は30分くらいの作品で、そのプリクエルとして「Act of Faith」という同じ世界を舞台にした短編も作られていて、今後も続編みたいなのが作られていくのかな?ここらへんは情報が少なくてよく分かりません。

作品のストーリーもかなり分かりにくいものになっていて、「ウォッチメン」や「リーグ」のような冒険活劇を期待してはいけないよ。むしろ「Neonomicon」や「Fashion Beast」みたいな地味で難解なインデペンデント系のムーアの作品に通じるところがあります。いろいろ虐げられる女性とか、グロテスクな闇社会とか。背後で歌が流れるなか話が淡々と進んでいくという光景もムーアがよく使う描写だよね。

ストーリーは全然よく分からないんだが、新聞記者らしき女性フェイスが自宅のクローゼットでエロチックに首を吊るのが「Act of Faith」で、うさんくさい酒場に迷い込んだ中年男性が奇妙な出来事を経験するのが「Jimmy’s End」の内容。前者は一人芝居のような内容だけど、電話をつかって会話劇にしてるのが巧いな。フェイスは後者にも出演してるんだけど、この2作品にどういうつながりがあるのかはさっぱり分かりません。「Jimmy’s End」は幻想的なナイトクラブのシーンなどがとてもデビッド・リンチ的だが、「フリークショー」とかやってた頃のザ・レジデンツの映像にも似ているかな。ムーア御大も顔を金色に塗っていいところで登場しているぞ。

今のところムーア自身がこれらの作品について語ったインタビューは無いみたいで、果たしてこのプロジェクトがこれでおしまいなのか、今後も続くのかもよく分かりません。でも低予算のわりには映像は美しいし、そもそも無料で視聴できるので、ムーアのファンなら観といて損はないでしょう。

「Cosmopolis」鑑賞


デヴィッド・クローネンバーグが、「危険なメソッド」の直後にしれっと作ってしまった、ドン・デリーロの小説「コズモポリス」の映画版。

舞台となるのはニューヨークのマンハッタン。大統領が来ているということで街には厳戒な警備が敷かれ、富裕層に対するデモも暴徒化し、交通網は麻痺状態に陥っていた。そんななかでも28歳にして資産運用会社の社長で億万長者であるエリック・パッカーは馴染みの店で散髪をしてもらうことを突然決意し、巨大なリムジンに乗って街を横断することとなる。遅々として進まないリムジンの中で彼はさまざまな人々に出会うのだが、やがて何者かが彼の命を狙っているという情報が入り…というプロット。

なんかリムジンの進行とストーリーの進み具合が見事にシンクロしてまして、要するに車も話もひたすらチンタラ進むなか、主人公が出会った人たちと無機質な会話を延々と繰り広げるという展開が続く。それでも話は車にあわせていちおう進んでいるわけで、リムジンを降りてからの残り30分の展開は話がどこにも行かなくなっててかなりしんどかったよ。

主人公が出会うのは彼と結婚したばかりの令嬢や、彼の愛人、ジョギング中のママ、医者、好きなラッパーの取り巻きなどなど。そしてみんな喋る喋る。良く言えば奥の深い、悪く言えば意味不明な会話が延々と繰り広げられるのだが、これ日本語で字幕にするのは大変だろうなあ。

主人公のパッカーは巨万の富を手にしながらも何事にも興味を抱けない人物で、むしろ破滅願望を抱いているタイプ。中国元に対して無謀な賭けをして財産を失うリスクを抱えながらも、車中では経済の崩壊に関する話を繰り広げ、社外では暴徒による混乱がエスカレートし、パッカー自身の身にも危険が忍び寄るなか、文字通り破滅に向かってゆっくり進んでいくリムジン、というメタファーはよく分かるんだけど、それ以上の意味もあるんでしょうか。

主人公のパッカーを演じるのは、「トワイライト」シリーズで今をときめくロバート・パティンソン。裸で前立腺検査を受けながら経済について語るという腐女子感涙の光景も見せつけてくれるぞ。ラース・フォン・トリアーの作品もそうだけど、若手俳優は自分の演技力をアピールしたくてこういうリスキーな役を選ぶのかな。他にもポール・ジアマッティやサマンサ・モートン、ジュリエット・ビノシュなど比較的豪華なキャストが出演しているけど、殆どの人の登場シーンは短いのであまり印象に残らないかも。

車が重要な要素を占める映画のゆえ、クローネンバーグの過去作では「クラッシュ」に通じるものがあるかな。テクノロジーもしくは経済の疲労と現代社会の衰退がリンクしているというか。あと劇中に出てくるニュース映像は「ビデオドローム」ぽかったです。この映画の脚本をクローネンバーグは6日で書き上げたらしいが、これだけセリフが多いものをそれだけの短期間で仕上げるのは見事なのか、あるいは脚本を十分に練ってないからセリフだらけの内容になってしまったのか。原作にはどこまで忠実なんだろう。「危険なメソッド」に続き、セリフに多くを頼った内容になってるのはあまり好ましくない傾向かも。え、そこで終わるの?というラストも含め、評価が二分される作品ではないでしょうか。

「Saga, Vol. 1」読了


「Y: The Last Man」のブライアン・K・ヴォーンがカナダの女性アーティストのフィオナ・ステープルズと組んで出した、イメージ・コミックスの新作シリーズのペーパーバック第1巻。おれちょっと前まではイメージの作品なんて殆ど興味なかったんだけど、先週の「The Manhattan Projects」といい最近は野心的な作品がいろいろ出てきてますね。DCコミックスのヴァーティゴ・レーベルが縮小気味なのにあわせ、ヴォーンやグラント・モリソンといった作家がイメージに移行しているような。

話は宇宙をまたにかけたスペースオペラで、翼をもち科学技術に頼るランドフォール人と、角があって魔法を操るリース人とのあいだにおける戦争は何世代にも渡って続き、他の惑星にも飛び火したことで銀河を2分する泥沼のような争いになっていた。そんなときランドフォール人のアラーナとリース人のマーコは戦場で出会い、敵同士でありながらも恋に落ちてヘイゼルという女子をもうける。しかし2人の結婚は両種族にとって大きなタブーであり、事態を重く見たランドフォールとリースの首脳部はそれぞれ2人のもとに刺客を遣わし、ここに親子3人の長く厳しい逃避行が始まることになる…というようなプロット。

原案はヴォーンが「スター・ウォーズ」に触発されてできたものらしいが、ハードSFのスペオペというよりも、魔法やモンスターのごとき種族がいろいろ出てくる事もあり「指輪物語」みたいなファンタジーの要素も強いかな。アラーナとマーコの逃避行に加え、彼らを追跡するランドフォールの王子(王族はまた別の種族で、頭部がテレビになったヒューマノイドの姿をしている)や、リースに雇われたザ・ウィルという二枚目半の賞金稼ぎの葛藤などが描かれている。銃と魔法によるアクションも多分にある一方で、戦時下の禁じられた愛や追われる者の悲しみといったペーソスが根底にあるのもストーリーに深みを与えているな。物語のナレーションをヘイゼルが過去形で語るという仕組みも、今後の展開に含みを持たせてくれて秀逸。

そしてストーリーに加えて、ステープルズのアートが大変素晴らしいのですよ。スタイル的には誰に近いんだろう?一時期のショーン・フィリップス?従来のアメコミではあまり見かけない間色系のカラーリングに加え、さまざまな種族を描いたセンス・オブ・ワンダーっぷりが大変素晴らしい。こんなアーティストがいたとは全く知らなかったよ。日本でも受けそうな画風だと思うが、ヘイゼルのナレーションがアート上にじかに書かれているのが翻訳の際のネックになるかな。

開始時から各方面より絶賛を受けているこの作品、第1巻は実質7話ぶんのボリュームながらアマゾンで1000円以下というお得さ。昼メシ抜いてでも買うことをお勧めします。

「Battlestar Galactica: Blood & Chrome」鑑賞


言わずと知れた「ギャラクティカ」のスピンオフ作品。本来はれっきとしたシリーズになるはずで2時間のパイロット・エピソードが撮影されたはずなんだが、その後シリーズ化がなぜか見送られ、ミニシリーズになるだのTVムービーになるだのといった噂ののちに結局12分×10本のウェブでのみにシリーズになり、後で2時間ムービーとして再編集して放送されるらしい。

ストーリーは若き頃のコードネーム「ハスカー」ことウィリアム・アダマを描いたもので、第一次サイロン戦争が激化するなか、パイロットスクールをトップレベルの成績で卒業したアダマは最新の戦艦バトルスター・ギャラクティカに配属されるものの、その自信過剰な性格が懸念され、念願のバイパー戦闘機ではなくラプターを使った平凡なお使いミッションをあてがわれる。ふてくされながらも搭乗員を乗せてラプターで出発するアダマだったが、実はそれが極秘のミッションであり、行き先が変わることを告げられる。そして彼らが向かったところではサイロンのレイダー機が襲撃してきて…というのが2エピソードまで行ったところの内容。

悪くはないんだけど地味で話の展開が遅かった前スピンオフ「CAPRICA」の不人気を反映したのか、今回はサイロン戦におけるドンパチを中心にした、派手な内容のものになっている。第一次サイロン戦争が舞台なのでサイロン・レイダーが旧シリーズのデザインになってたりするのがオールドファンには嬉しいかと。若きアダマはまだ肌がスベスベなのですが、いつからアバタ面になるんだろう。

ただTVシリーズの全盛期に比べるとやはり低予算で作られている印象は否めず、ラプター内部を舞台にした密室劇になってるのもセットの予算を浮かすためだったんだろうな。というかその設定は既に別のウェブシリーズ「The Face of the Enemy」でやっちゃってるのですが。当初このシリーズの製作が発表された際はカッコいいコンセプトアート(上のやつ)とかを見て「おおっ!」と思ったのですが、なんか規模が小さくなっちゃいましたね。今後の展開で良い意味で裏切られるといいのですが。

バイパー対レイダーのドッグファイトとかはやはり迫力あるし、もはや名前すらSci-FiでなくなったSyfyチャンネルにおいて数少ない正統派SF作品なんだから、金かけてでもこのフランチャイズはもっと大切に扱っていくべきだと個人的には思うのです。

各エピソードはYouTubeで見られるよ:

「The Manhattan Projects Vol. 1: Science. Bad.」読了


ジョナサン・ヒックマン&ニック・ピタッラによる、イメージコミックスで連載中のコミックのペーパーバック第一巻。

いわゆる架空歴史もので、話が始まるのは第二次大戦中の1942年。ドイツと日本の脅威に対抗するためにルーズベルト大統領の命を受けたレズリー・グローヴス准将は天才科学者を招集して「マンハッタン計画」を立ち上げる。これは世間的には原子爆弾を製造するための計画であったが、実際はそれ以上に驚異的な発明を研究するための極秘のミッションであった。そして亡命してきた科学者たちも計画に加わり、さらに地球外生命からの脅威が出てきたことで計画はあらぬ方向へと暴走していく…というようなプロット。

いちおう登場人物の大半は実在の人物なんだけど、みんな筋金入りのマッド・サイエンティストだし腹に一物もっていて、誰も善人がいないところが凄い。オッペンハイマーの正体は本物を食い殺した双子の兄(しかも多重人格者)だし、アインシュタインはパラレルワールドからやってきた悪人で、フォン・ブラウンは片腕サイボーグ。ハリー・ダリアンは放射能を浴びてガイコツになっているし、エンリコ・フェルミはもはや人間ではなくなっている。せいぜいリチャード・ファインマンがナルシストの若者として描かれてるのが普通なくらいか。彼らを指揮するはずのグローヴス准将はドンパチのことばかり考えているし、その上の大統領はルーズベルトが他界して人工知能に取り込まれ、後を継いだトルーマンはフリーメーソンの儀式に没頭してる無能として扱われている始末。

なお肝心の戦争のほうは第1話で日本軍が鳥居を用いたテレポート装置で殺人ロボット(本田宗一郎製作)を送り込んできたりするものの、そのあとすぐ原爆が落とされて意外と早く決着がついてるみたい。その後の冷戦でも政治家の意向を無視してソ連の科学者と手を組んで陰謀を企んだりしてるわけだが、今後の展開は政治家VS科学者になるんだろうか、それともニューメキシコで遭遇した異星人との戦いがメインになっていくんだろうか。伏線ばかりで話の方向性が見えないのが欠点といえば欠点だな。

なおニック・ピタッラのアートはジェフ・ダロウを彷彿とさせるものになっていて、細かくて神経質な感じがストーリーのピリピリとしたブラック・ユーモアに似合っていてとても良い感じ。日本人読者としてはこれから731部隊の石井四郎とか鬼畜ルメイあたりの登場を期待したいところですが、はてさて。