「HOW TO BLOW UP A PIPELINE」鑑賞

引越しで2ヶ月ほどドタバタしてましたが久しぶりにブログ更新。今年アメリカで公開されてちょっと話題になったインディペンデント系の映画。

「原油パイプラインの爆破方法」という扇動的な題名は、現代のエコテロリストたちの実情に迫ったノンフィクション本からとったらしいが、映画は完全なフィクションで、大手原油企業のパイプラインを破壊するためにテキサス西部の荒野に集まった活動家たちの一部始終を描いている。最近ヨーロッパとかで見かける、美術館でペンキをぶちまけて環境保全をがなり立てる人たちとは違った、爆弾を自分たちで作って爆破させるハードコアな人たちね。

過激な活動家を主人公にしている時点で彼らにシンパを抱いた内容になっているのは疑いがないものの、変に自然保護を煽ったり説教臭くなる部分は殆どなく、原油企業への恨みや漠然とした正義感などを抱いた若者たちがオンラインで知り合ってテキサスに集まって行動するさまが、ちょっと突き放したくらいの距離で淡々と描写されていく。60年代のウェザー・アンダーグラウンドなんかと違って、グループ名を持つわけでもマニフェストを提唱するわけでもなく、お互いのこともよく知らないままインターネット経由で集まるというのが、現代風の活動家なんだろうか。自分たちはテロリストなんだろうかと問うシーンもあるものの、歴史を変える人たちはテロリスト扱いされるよね、くらいの考えでみんな納得してしまう。

いちおう化学薬品に詳しいメンバーとかもいるものの、みんな爆弾作りのプロではないので、電気ケーブルが短いとか薬品がうまく混ざらないとか試行錯誤しながら爆弾をつくっていくさまは青春群像劇のようだった。「ブレイキング・バッド」もそうだったがアメリカは砂漠のど真ん中で化学薬品を調合しても誰にも怪しまれないのよな。国土の狭い日本ではすぐ近隣住民に通報されそうなものだが。

こうして皆が爆弾作りに汗を流すところに、各メンバーの回想シーンが挿入され、各人がいかに活動に手を出すことになったかが語れられていく。ある者は公害によって親が病死していたり、原油企業に土地を取られたり、ネイティブ・アメリカンとして貧しい暮らしをしていたり、あるいはもうちょっと軽い考えで活動に手を染めるメンバーもいたりする。そこでちょっとラストに向けてストーリーにヒネリがあったりして、ナラティブもしっかりしているところに意外と感心してしまった。

元になった本からしてサボタージュ(あるいはテロリズム)は環境を守るために有意義な手段ではないかと提唱する内容だそうで、映画のほうもテロリストを美化していると思われても仕方なく、観る人によって評価が分かれるだろうな。アメリカでは実際に公開にあたり、模倣犯を生み出すことになるのではないかと当局側から懸念が出されたらしい。ただ映画としてはよく出来ているので、とりあえず観てみていろいろ考えるのが良いんじゃないでしょうか。

「INFINITY POOL」鑑賞

新作がもはや伝統工芸のようになっていた父親よりも、前作「ポゼッサー」のほうがクローネンバーグ感のあったブランドン・クローネンバーグの新作。

舞台は架空の国のリゾート地リ・トルカ。裕福な妻とそこを訪れていた作家のジェームズは、自分の本のファンだという女性とその夫に出会う。彼らに誘われて地方を訪れたジェームズたちだが、夜中にドライブしてホテルに帰る際に地元の住民を撥ねて殺してしまう。リ・トルカの警察は信用ならないと聞いた彼らは事故について黙っていることにするが、翌朝彼らは逮捕されてしまい…というあらすじ。これは話の序盤で、このあとリ・トルカの司法制度に関する重要な事実が明かされるのだがネタバレになるので伏せておきます(予告編で分かるけど)。

特に観光名所があるわけでもなくボーッとするだけのリゾート地における、怠惰な金持ちたちによる暇潰しの暴力行為が繰り広げられるあたりはJG・バラードの後期の小説に似ていて、そういえばブランドンの次作はバラードの「スーパーカンヌ」のシリーズ化だったなあ…というのは無理のある関連付けでしょうか。実際はリ・トルカ警察の不可思議な官僚主義はカフカ的なところもあるし、「ポゼッサー」のようなSF的要素もあるのだけどね。

このようにいろんな要素を詰め込んだ一方で、少し全体的に散漫な印象を受けるかな?それぞれの設定は興味深いものの、きちんと深掘りされてないというか。あと「ポゼッサー」もそうだったけど衝撃的なシーンは70年代のSF映画のごとく画面を揺らして色をチカチカさせる演出を行なっていて、それ自体は悪くないのだけど多用するのもどうかと。グロいシーンをハッキリ見せてもええんやで。

いろいろ非道い目に遭うジェームズを演じるのはアレクサンダー・スカルスガルド。体を張った演技を見せてくれます。そんなジェームズを勧誘するのが、なんか最近ホラーにばかり出ている能面ことミア・ゴス。こないだ観た「PEARL」は田舎の保守的な暮らしにブチ切れた少女の演技がとても良かったのですが、彼女もしかしてオーバーザトップな演技しかできないのかな…?裏でいろいろ企んでいる女性という今回の役には繊細さが足りなかったような。

興行的には散々だったようで、そこだけはクローネンバーグ親子の共通点ですかね。個人的に「ポゼッサー」がすごく良かったのでちょっと肩透かしだったが、興味深い設定が詰め込まれている作品ではあります。「スーパーカンヌ」に期待。

「スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース」鑑賞

前作があまりにも素晴らしすぎたので、どうしても期待に耐えうるものにはならないのではないかと思いつつ観に行ったら、普通によくできた作品であった。

尺が長くなって二部作になったことで、前作のような1つの映画に幾つものキャラクターとストーリーを詰め込んだ賑やかさは薄まった一方で、グウェンやマイルズの母親といったキャラクターについても時間をかけて深く描写をしており、話に厚みをもたらしているかと。続編にありがちな傾向として話の展開がダークになっているものの、突然強力な悪役が出てくるといった展開ではなく、むしろスパイダーマンとしての運命である、避けられない悲劇に直面したときにどうするかというテーマを扱っていたのが良かった。

新キャラクターは、スパイダーマン2099ってコミックだともっとおちゃらけてるしベン・ライリーもあんなアホではないと思うが、まあいいや。パンク・スパイダーマンのアニメーションすごいですね。効果がうるさいといえばうるさいのだが。

絶妙なクリフハンガーで終わるし、最終的な感想は続編を待ってから述べるべきだと思う。とにかく観ていてひしひしと感じたのは、これ日本のアニメーション会社では作れないでしょ、ということ。技術的よりもリソース的なところで、あれだけの予算をかけてあれだけのアニメーターを稼働させられるスタジオは日本にないでしょう。グウェンの世界の絵画調のアニメーションだってCGのうえから塗り直しをしているはずで、膨大な労力がかかってるのではないか。

アメリカのアニメーション作品としては最長のもので、しかも子供向けでないエモーショナルな作品を大人が観に行ってヒットしているというのは、日本のアニメーションが得意としていた分野をアメリカのスタジオが確実に取りに来たようなような気がするのです。日本のアニメは唯一無二の存在、とあぐらかいてる場合じゃないよ。

「ザ・フラッシュ」鑑賞

公開したばかりなので感想をざっと。ネタバレ注意。

  • クレジット観て気づいたが、これ原案はジョン・フランシス・デイリーとジョナサン・ゴールドスタインが関わってるんですね。マイケル・キートンが出てることもあって「スパイダーマン:ホームカミング」的な若者ヒーローの軽いノリがあったのはその影響かな。
  • ただ一方では母親の死やヒーローのいない世界といった重いテーマを扱っていることもあり、全体的にダークな部分とユーモアがチグハグな印象をずっと抱いていた。
  • 監督のアンディ・ムスキエティの作品って他に観たことがないのだけど、ちょっと演出が稚拙じゃないか?バリーが光速を超えて過去に戻るところとかもっと派手に描くべきだったし、クロノボウルでは足踏みしているだけとか、なんかイケてない気がした。「Xメン」のクイックシルバーにあったスピードスターの爽快感がなかったのよな。
  • とまあ気になったことを先に書いたけど、キートンのバットマンとか新しいスーパーガールとかの登場は観ていて楽しいし、この前のダメダメだった「シャザム!2」なんかに比べると普通に楽しめるブロックバスター映画だったと思いますよ。いろいろ叩かれた「ジャスティス・リーグ」の役者たちが肩の力抜いた感じで役を演じてるのも微笑ましいし。
  • 個人的には巨大クモとの戦闘という、誰も望んでいなかったような伝説のシーンがついに映像化されたのには笑いました。最後のカメオも良かったですね。
  • これの原作になった「フラッシュポイント」って、単に規模の大きい「エルスワールド」作品といった感じでさほど評価してないんだが、これをベースにスナイダーのキャラたちが払拭されてジェームズ・ガン体制に移行していくのかな。エズラ・ミラーのプライベートでのトラブルを見ると、これがヒットしても彼で続編を撮ることはないんじゃね?とも思うし。サッシャ・カジェのスーパーガールはまた見たい気もするが。
  • あとDCの歴代ロゴ、「シールロゴ」がしっかり外されてましたね。まあ使われた期間短かったからなー。

「INSIDE」鑑賞

ウィレム・デフォー主演の今年の映画。

デフォー演じる泥棒のネモは金持ちの住人の留守を狙い、その高層マンションのペントハウスにヘリコプターを使って忍び込み、部屋に飾ってあるエゴン・シーレの絵画を盗もうとする。しかし脱出が予定通りに行かず、ネモは部屋の扉を開けることができないまま中に閉じ込められてしまう。ヘリコプターを操縦していた仲間にも見捨てられ、彼はどうにかして部屋から脱出する方法を見つけようとするのだが…というあらすじ。

話のプロットだけ聞くと「ルパン三世」や「オーシャンズ11」のごときハイストものを想像するかもしれないが、実はバリバリのアート映画であった。登場するのはほぼネモのみで、彼が閉じ込められた部屋は強靭なガラス窓に囲まれて破ることができず、防犯カメラから外部の清掃員などを監視することはできるものの誰も彼が中にいることに気づかない。彼の脱走の試みはことごとく失敗し、水道が出ないので観葉植物用のスプリンクラーで喉の渇きを抑えながら、冷蔵庫にあった少ない食料で何日、あるいは何週間も過ごした彼はやがて悪夢や幻覚を経験していく。

デフォーが最後にアベル・フェラーラと組んだ「SIBERIA」も確か雪の洞窟のなかでデフォーがひとり幻覚を見る映画だったが(ごめんなさい内容全く覚えてないです)、野生でなくモダンな文化のなかで男が孤立し、人間性を失っていくさまはJG・バラードの小説「コンクリートの島」によく似ていると思う。

デフォーの演技力は抜群だし、彼がいろいろ脱出を試みるさまは面白いものの、さすがに彼の一人芝居が2時間弱続くのはちょっとしんどかった…。監督はVasilis Katsoupisというギリシャの人?脚本はベン・ホプキンスというイギリス人らしいが、知らんなあ。

「コンクリートの島」が映像化されたらこんな内容になるのかな、と思いつつ観る分には楽しめたが、ウィレム・デフォーが活躍するハイスト映画のようなものを期待すると壮絶な肩透かしをくらうので気をつけましょう。