「THE CURSE」鑑賞

日本だと知名度がゼロだけど、カナダ出身のネイサン・フィールダーというコメディアンがいまして、コメディ・セントラルの「NATHAN FOR YOU」という番組で頭角を表した人なのです。いろいろ苦労している小さな商売をフィールダーが奇抜なアイデアで助けようとするこの番組は、そのネタの1つ「Dumb Starbucks」が日本でもちょっとニュースに取り上げられたりしたけど、どんなアホみたいなアイデアでも面白おかしく取り上げたりせず、フィールダーが全く笑わずに真面目に取り組んでいくその姿勢は、リアリティー番組とシュールなコメディが入り混じった実に不思議な番組を作り上げていたっけ。番組で知り合った自称ビル・ゲイツのそっくりさん(あまり似てない)の男性の望みを聞いて、彼の初恋の人を探しにいくシリーズ最終回「Finding Frances」はどこまでがリアリティ番組でどこまでがやらせなのか分からないまま、現実と虚構、笑いと哀しみが錯綜する傑作回としてアメリカでは大絶賛されたのです。その延長線上にあるHBO MAXのシリーズ「THE REHEARSAL」は日本でも視聴できるのかな。

そんなネイサン・フィールダーが、エマ・ストーンおよび「アンカット・ダイヤモンド」のサフディ兄弟のひとりベニー・サフディと組んで作ったのがこの「THE CURSE」で、製作はA24。

話の舞台となるのはニューメキシコ州のエスパニョーラ。ホイットニーとアシャーの夫婦は、そこのヒスパニック系の住民たちにお手頃な家やエコな家を紹介するというリアリティ番組を製作していた。彼ら自身も出演するこの番組の撮影は思うようにはいかず、アシャーはプロデューサーに要請されて、自分を良く見させるため物売りの少女にお金を恵むシーンを撮影するが、その後すぐに少女からお金を取り戻してしまう。怒った少女は彼に「呪いをかけてやる」と言うのだが…というあらすじ。

正直なところ第1話は大きな話の進展がなくて、この少女の「呪い」が実際に効果を発揮するのかも分からず。ただホイットニーとアシャーの番組製作は前途多難だな、という雰囲気は伝わってくる。彼らが撮影しているのはリアリティ番組といいつつも「やらせ」が使用され、ホイットニーとアシャーの住宅紹介もエスパニョーラの住民への善行だと強調される一方で裏ではあやしいビジネスが絡んでいることが示唆されるなど、リアリティとフェイクが入り混じってるあたりがネイサン・フィールダーっぽいのかな。そしてアシャーとホイットニーの父親がお互いのチンコの小ささについて話したり、プロデューサーが過去に手がけた実に怪しげな番組が紹介されたりと、変なところで笑いを取りにいってる部分もあります。

こういうドラマでネイサン・フィールダーが演技しているのは初めて観るので、感情を露わにアシャー役を演じている姿はなんか変な感じ。彼は第1話の監督も務めているが奇妙なアングルからのショットが多いです。エマ・ストーンはヨルゴス・ランティモス作品もそうだが、こういうエキセントリックな作品に出るようになっていくのだろうか。そして番組のノリの軽いプロデューサーを演じるのがベニー・サフディで、普通に演技できるじゃんといった感じ。彼は「リコリス・ピザ」とかにも出演してたのか。あとはコービー・バーンセンなどが出演してます。

まあ正直なところこれからどういう展開になっていくのか全く分からないシリーズではありますが、ネイサン・フィールダーの番組なら観てて損はないと思う。

機内で観た映画2023 その1

また海外出張とかするようになったので、機内で観た映画の感想をざっと。

  • 「65」:ソニー・ピクチャーズがよく作る、すごくどうでもいいSFアクション。冒頭で舞台が6500万年前の地球であることを明かしつつ、そこに宇宙船で不時着するアダム・ドライバーたちは一体何者なのかという説明が一切ないのですもの。よくこんなのに製作のGOサインが出たよな!
  • 「HYPNOTIC」:邦題は「ドミノ」だっけ?PK・ディックっぽく現実と虚構を絡み合せる展開にして、どうもうまく着地できてない感じ。ベン・アフレックが終始疲れてる印象だった。
  • 『ジョン・ウィック:コンセクエンス』:長時間のフライトなら3時間尺の映画も観れまっせ。キアヌ君が迫る敵を転がしてヘッドショットを撃ち込むアクションが延々と続く。日の出の決闘が決まったのに、そこに行くまでのバトルを挟むのは余計ではないのか。
  • 「Polite Society」:これ一番観たかったやつ。イギリスのインド系少女のカンフー映画、を期待してるとちょっと裏切られるかも。コメディ色が思ったより強いので。突然サントラで浅川マキが流れるセンス。
  • 「Renfield」:ニコラス・ケイジとニコラス・ホルトが出てくるのは知ってたけど、第3の主役にオークワフィナが出てるじゃありませんか。汚職が蔓延している警察署で唯一、正義を貫こうとする彼女の役がいちばん良かった。
  • 「Master Gardener」:ポール・シュレイダーは前作「カード・カウンター」まだ観てないや。複雑な過去を抱えた孤独な男が、世の中の不正義に直面して自分で裁きを下そうとする、いかにも彼っぽい作品。少し無難な作りになってる感もあるが面白かった。

『ザ・クリエイター/創造者』鑑賞

普通に面白かったでございます。こういうの好きよ。以降はネタバレあり。

とはいえ観ていてずっと思っていたのは、「これニール・ブロムカンプの作品っぽくね?」ということでして、AIのロボットのデザインは「チャッピー」っぽいし、成層圏から地球を監視するNOMADは「エリジウム」みたいだなと。ベトナム戦争を舞台にした短編も彼は作っていたし。しかし最近のブロムカンプは「デモニック」や「グランツーリスモ」などで迷走気味なので、ギャレス・エドワーズが今となってはブロムカンプ以上にブロムカンプな人…と言ったら両人に失礼かな。あとはシモン・ストーレンハーグの一連のアートを彷彿させるテクノロジーと風景がいろいろ出てきて眼福でござる。

ストーリーは、「アバター」的な侵略側への批判というか、主人公の属している側が実は悪い方だった、というのは手垢のついた展開ではあったが、AIを100%肯定しているのは最近の映画では珍しいかも。まあストーリーが弱くてもカッコいい戦車や兵器が次々と出てくるので気にはならないかな。自走兵器のG-13なんて、兵器としての有効性にいろいろツッコミたくなる一方でそれを撥ね除けるインパクトがあるというか。

キャストもみんな無難なところじゃないですか。ジェンマ・チャンだけ役柄が「HUMANS」となんか被ってる気がしたかな。

安価な撮影カメラなどを使ったことで、スケールの割には製作費は8000万ドルほどでそんなに高くないものの、それでも興行的には苦戦しているあたり、原作やフランチャイズの力に頼れないオリジナルSFの厳しさが伝わってくる。でもこういう作品はSFジャンルの発展のためにも作ることに意義があると思うので、ギャレス・エドワーズには気落ちせずに頑張って欲しいところです。

「The Caine Mutiny Court-Martial」鑑賞

こないだ亡くなったウィリアム・フリードキン監督の遺作で、米SHOWTIMEのTVムービー。古典的小説「ケイン号の叛乱」の舞台版を元にしたものだが、自分は小説読んでないしハンフリー・ボガートの映画も観ておらず。

話の時代は現代に差し替えられ、中東に派遣されていた掃海艇ケイン号が壮絶な嵐に巻き込まれたという設定になっている。艦長のクイーグが南へ進むよう指示するなか、一等航海士のマリクは命令に反き、逆にクイーグは真っ当な指揮ができる状態ではないと主張して彼を解任した。その後、マリクは謀反の容疑で軍法会議にかけられ、弁護にあたることになったグリーンウォルドは不利な状況においてマリクの行為の正当性を証明しようとするのだが…というあらすじ。

舞台劇の映像化ということでフリードキンの前作「キラー・スナイパー」もそうだったが完全な密室劇になっていて、出てくる場所は軍法会議が開かれる大広間とその廊下、あともう一箇所のみ。題名のケイン号は姿も見せず、史上最悪の嵐に見舞われた状況というのも語られるのみなので、想像力を働かせる必要あり。撮影期間も15日だけだったそうなので、製作費お安かったんでしょうなあ。

軍法会議においてクイーグやマリクのほかにも証人・参考人が次々と呼ばれて質疑応答をしていくのでセリフの量が半端じゃなく多く、加えて海軍や精神鑑定に関する専門用語が連発されるため、かなり集中して観る必要あり。セリフの内容だけでなく、その話し方によってクイーグたちの人となりが徐々に明らかになっていく様は見応えあるけどね。

クイーグ役のキーファー・サザーランドがいちおう主演扱いになっているものの、話の冒頭と後半にしか登場しないほか、艦長としての不適切ぶりを証明される立場なのでなんか損な役回り。むしろ不利な状況で弁護に立ち回るグリーンウォルドを演じるジェイソン・クラークのほうが主役っぽいかな。あとは裁判官をこないだ亡くなったランス・レディックが演じていて、エンドクレジットで大きく「この映画を彼に捧げる」と出てくるのだが、捧げてる監督本人も亡くなってるじゃん!とついツッコミ入れたくなってしまった。

フリードキン本人もこれが最後の作品になることは理解してたようで、撮影現場にはバックアップ用にギレルモ・デルトロが立ち会ってたそうだが演出に関わってるかは不明。さすがに予算の低さがひしひしと感じられる出来なので、「エクソシスト」とか「フレンチ・コネクション」のようなものは期待せずに、フリードキンが後期よくやってた舞台の映像化の一連の作品のひとつとして観るべきものかと。

「HOW TO BLOW UP A PIPELINE」鑑賞

引越しで2ヶ月ほどドタバタしてましたが久しぶりにブログ更新。今年アメリカで公開されてちょっと話題になったインディペンデント系の映画。

「原油パイプラインの爆破方法」という扇動的な題名は、現代のエコテロリストたちの実情に迫ったノンフィクション本からとったらしいが、映画は完全なフィクションで、大手原油企業のパイプラインを破壊するためにテキサス西部の荒野に集まった活動家たちの一部始終を描いている。最近ヨーロッパとかで見かける、美術館でペンキをぶちまけて環境保全をがなり立てる人たちとは違った、爆弾を自分たちで作って爆破させるハードコアな人たちね。

過激な活動家を主人公にしている時点で彼らにシンパを抱いた内容になっているのは疑いがないものの、変に自然保護を煽ったり説教臭くなる部分は殆どなく、原油企業への恨みや漠然とした正義感などを抱いた若者たちがオンラインで知り合ってテキサスに集まって行動するさまが、ちょっと突き放したくらいの距離で淡々と描写されていく。60年代のウェザー・アンダーグラウンドなんかと違って、グループ名を持つわけでもマニフェストを提唱するわけでもなく、お互いのこともよく知らないままインターネット経由で集まるというのが、現代風の活動家なんだろうか。自分たちはテロリストなんだろうかと問うシーンもあるものの、歴史を変える人たちはテロリスト扱いされるよね、くらいの考えでみんな納得してしまう。

いちおう化学薬品に詳しいメンバーとかもいるものの、みんな爆弾作りのプロではないので、電気ケーブルが短いとか薬品がうまく混ざらないとか試行錯誤しながら爆弾をつくっていくさまは青春群像劇のようだった。「ブレイキング・バッド」もそうだったがアメリカは砂漠のど真ん中で化学薬品を調合しても誰にも怪しまれないのよな。国土の狭い日本ではすぐ近隣住民に通報されそうなものだが。

こうして皆が爆弾作りに汗を流すところに、各メンバーの回想シーンが挿入され、各人がいかに活動に手を出すことになったかが語れられていく。ある者は公害によって親が病死していたり、原油企業に土地を取られたり、ネイティブ・アメリカンとして貧しい暮らしをしていたり、あるいはもうちょっと軽い考えで活動に手を染めるメンバーもいたりする。そこでちょっとラストに向けてストーリーにヒネリがあったりして、ナラティブもしっかりしているところに意外と感心してしまった。

元になった本からしてサボタージュ(あるいはテロリズム)は環境を守るために有意義な手段ではないかと提唱する内容だそうで、映画のほうもテロリストを美化していると思われても仕方なく、観る人によって評価が分かれるだろうな。アメリカでは実際に公開にあたり、模倣犯を生み出すことになるのではないかと当局側から懸念が出されたらしい。ただ映画としてはよく出来ているので、とりあえず観てみていろいろ考えるのが良いんじゃないでしょうか。