「TITANE」鑑賞

昨年のカンヌでパルムドールとったそうな。邦題「TITANE/チタン」で4月公開。「RAW」のジュリア・デュクルノー監督作品。以降はネタバレ注意。

プロットはあってないようなものだけど、子供の頃に事故によって側頭部にチタンのプレートを埋め込まれたアレクシアは、大人になってショウガールとして人気を博していたが、その一方では近寄ってきた男性を刺し殺す連続殺人鬼でもあった。ある晩、目の前に現れた車に乗り込んだ彼女はその車と性行為をして、子供を身籠ることになる。やがて彼女は指名手配されることになり、逃避行中に彼女は髪を切って性別を偽り、長らく行方不明になっていた男性のふりをする。そしてその男性の父親である消防団長は何も言わずにアレクシアを受け入れ、消防署における彼女(彼)の奇妙な親子生活が始まるのだった…というあらすじ。

たぶんあらすじ読んでも意味わからないと思うし、実際に映画を観てもプロットが把握できないので、あまり深く考えないほうが良いでしょう。車とセックスという要素はクローネンバーグの「クラッシュ」を必然的に連想させるもので、腹の大きくなったアレクシアが乳首から母乳の代わりにモーターオイルを垂れ流し、腹が裂けてチタン製の皮膚が露出するあたりはクローネンバーグ風のボディーホラーだなという感じ。消防団の団長役を演じるヴァンサン・ランドンも、「クラッシュ」のイライアス・コティーズに(俺の中では)似ていたような。妊婦のボディホラーというのが、女性監督の映画だなという気もする。乳首のピアスに髪の毛が絡むと痛い、なんて描写は男性はあまり思いつかないだろうな。

ただし前半はかなり突拍子もない展開が続き、レオス・カラックスの「ホーリー・モーターズ」並みの出来になるかな、と思いきや舞台が消防署に移った後半では、父親と子の関係が中心になって意外にもしっとりとした内容になってしまったのでは?前半はアレクシアが暴走してるのに、後半では何も喋らない気弱な人間になってしまうのが肩透かしであった。

アレクシアを演じるアガト・ルセルってこれが実質的な俳優デビュー作のようだけど、丸刈りになったり全裸になったりと、文字通り体をはった怪演を見せつけてくれる。「RAW」の主役だったガランス・マリリエールもちょっと出てます。

「RAW」に続いてこっちも上映中に失神した観客が出たとか報じられたけど、まあ観る人の気分によるんじゃないかな。前半のノリに比べて後半が失速気味だったのと、「RAW」ほど主人公の感情描写がなかったのがちょっと勿体ない気がしました。

「KIMI」鑑賞

引退発言は遠い昔のスティーブン・ソダーバーグによる、「NO SUDDEN MOVE」に続くHBO MAXオリジナル映画。

まんまアマゾンの「アレクサ」である架空のスマートスピーカー「KIMI」をテーマにしたもので、KIMIはAIのアルゴリズムとかで人の音声による命令を認識するのではなく、実際に人間が音声を(あとから)聞いて、適切な修正を加えることでより正確さを高めている、スタートアップベンチャーの主力製品ということらしい。当然プライバシーもへったくれもないのだけど、顧客は満足しているそうな。

主人公のアンジェラはKIMIに修正を施す敏腕プログラマーだが、女性が襲われている現場のものと思わしき音声をKIMIの録音データから聞いてしまう。同僚から機器の識別コードを入手した彼女は被害者の身元を特定し、このことを会社に報告しようとする。しかし警察と関わることを嫌った会社の社長により、逆にアンジェラの身が狙われることに…というあらすじ。

アンジェラはある理由により広場恐怖症(外出恐怖症)になっており、人とのやりとりはできるものの自分の部屋(すんごくデカい)からは出ることができないという設定。そのため彼女が知り得た情報を、どうやって機密に外部の人間に共有することができるか?という問題が出てきて「裏窓」のような密室劇になるのかな、と思ってたら話の後半になってアンジェラはしれっと勇気を振り絞って部屋の外に出てしまうのでした。彼女を広場恐怖症にした意味ないじゃん!

そもそもアンジェラが耳にした事件と、彼女が社長に狙われることになった理由は特につながってないようだし、アンジェラがやけに武器の使い方に長けてたりするなど、観た後にいろいろ考えると辻褄が合わないことが多かったな。脚本は「ジュラシック・パーク」や「スパイダーマン」などのベテランのデビッド・コープだが、かなり雑なものと言えるんじゃないでしょうか。

ちょっとメンタルが不安定な女性が危険にさらされる低予算映画、という点では同じくソダーバーグの「アンセイン 〜狂気の真実〜」によく似ている。あっちもエンディングは主人公の静止画になってなかったっけ?たぶんあっちと違って今回はiPhoneで撮影はしてないと思うけど。主役のアンジェラを演じるのはゾーイ・クラヴィッツで、あとは有名どころだとリタ・ウィルソンが出演してます。

ソダーバーグがたまにやる、軽くパッパと作ってしまった映画の一つ。別につまらなくも面白くもない内容だが、名匠の習作、といった感じで観ればよいのでは。音楽はいつものデビッド・ホームズでなく、クリフ・マルティネスと久しぶりに組んでいます。

「ナイトメア・アリー」鑑賞

日本では3月25日公開。これアメリカではiTunesのようなTVODで出る前に、HULUおよびHBO MAXのようなSVODで配信されるという実に珍しい提供ウィンドウになってるのは何故だろう?すいませんが以降はガッチリネタバレするので注意。

全く前知識を持たずに観たのだが、これギレルモ・デルトロのオリジナル脚本ではなくて1946年の小説が原作で、1947年にいっかい映画化されてるのか。ホルマリン漬けの胎児などが飾られた、旅する見世物小屋の物語、というのはいかにもデルトロが好きそうな題材だが、いわゆるフリークス的な人たちは出てこないで、せいぜい小人のパフォーマーくらい。前作「シェイプ・オブ・ウォーター」で見せ物ではないにせよ半魚人が出てきたのに比べて、ちょっと控えめにしてるのかなと思ったよ。

そして話のキモとなるのは降霊術というか読心術の見せ物だが、これも勝手に心霊ホラーになるのかな…と思ってたら全く違って、トリックを用いて上客を騙すイカサマ男が主人公の物語であった。だから内容はホラーでなくサスペンスになるのかな。デルトロにしてはずいぶん地に足のついた設定だな、と思ったらimdb情報によると、かつてデルトロの父親がメキシコで誘拐された時に、真っ先に母親のところに怪しい霊媒たちがやってきたことがあるそうで、これはそういうイカサマ師についての映画ということらしい。(ちなみに誘拐された父親の身代金を払ったのはジェームズ・キャメロン。キャメロンいいやつ)

というわけでデルトロにしては珍しく怪物も幽霊も出てこない作品でして、そこはファンの評価も分かれるんじゃないだろうか。原作のプロットを忠実に映像化してるのか、2時間半という長い尺を誇る一方で、最後のオチは残り30分くらいのところで分かってしまうかもしれない。

主役を演じるブラッドリー・クーパーっておれあまり好きな役者でもないけど、今回は運命に翻弄される男性をよく演じていた。増長が破滅につながるパターンはありがちだけどね。あとはロン・パールマンやクリフトン・コリンズといったデルトロ作品の常連に加え、トニ・コレットやケイト・ブランシェット、ウィレム・デフォーにデビッド・ストラザーンといった有名どころが続々出ていた。

悪い作品ではないものの、自分がデルトロに期待しているものとはちょっと違ってたような。これが「シェイプ・オブ・ウォーター」の前に出た作品だったら感想もまた変わっていたかもしれない。

「THE FALLOUT」鑑賞

HBO MAXのオリジナルムービー。SXSWに出品されたものを買い付けたらしい。

アメリカ名物となった学校の銃撃事件をテーマにしたもので、高校生のヴァダは学校のトイレにいたところ、何者かが学校で銃を乱射するのを耳にする。同じトイレにいたインフルエンサー女子のミア、そして逃げ込んできた男子生徒のクイントンたちと一緒に個室に逃げ込み、彼女たちは難を逃れるものの、クイントンの兄を含む多くの生徒たちが犠牲になってしまっていた。そしてヴァダたちは事件のトラウマを抱えながらも日常生活に戻ろうとする…というあらすじ。

学校の銃撃事件を扱った映画といえばガス・ヴァン・サントの「エレファント」などがあるが、あれが事件に至るまでの過程を描いていたのに対し、こちらは銃撃事件が冒頭で(画面外で)起き、題名通りその後遺症(fallout)を描いたものになっている。

いちおうヴァダはセラピストのもとに通ったり、破裂音に対して過敏になったりしているものの、事件に対して真正面から向き合うようなことはなく、ミアの家に遊びに行ったりクイントンと遊んだりしてまったり過ごし、家族も気を遣ってくれるもののやっとこさ学校にまた通うようになったら勉学に力が入らず、ドラッグやってラリったり、といった展開が長々と続く。90分ほどの短い作品だがそれでも冗長に感じられるかな。ある意味でヴァダたちは現実逃避をしているわけで、それがリアルといえばリアルな描写なのかもしれない。

監督のミーガン・パークって若者向けのテレビ番組に出ていた女優でこれが初監督作になるそうな。ヴァダ役のジェナ・オルテガも「ジェーン・ザ・ヴァージン」などに出ていた若手女優で、こうした若い女性たちがどんどん映画業界で活躍していくんだろうなあ。自分が知ってる役者ではジュリー・ボーウェンとかシェイリーン・ウッドリーなどが出ていました。

ヘビーなテーマを扱ってる一方で、それを直視してないような感じもしたけど、それは人によって受け取り方が違うのかもしれない。ちょっと残酷な終わり方が記憶に残る作品。

「WHAT DO WE SEE WHEN WE LOOK AT THE SKY?」鑑賞

良い評判を目にしていたジョージア(アメリカじゃないよ)の映画。

舞台はジョージアの街(クタイシ?)。ワールドカップの放送に人々が期待するなか、ギオルギとリサという男女が街中で出会う。1日のうちに何度か出会ったふたりは、次の日にカフェで会いましょうと約束をして別れる。しかしその晩、ふたりは悪い呪いをかけられ、外見をまったく違う人のものにされてしまう。それでも約束通りカフェに向かうふたりだったが、お互いの外見が異なっているために気づかず再会はできなかった。さらに呪いの影響で職を変えることになったふたりは、ごく近くの場所で働くことになるものの、それでもお互いの正体には気づかず…というあらすじ。

あらすじだと災厄がふりかかってきた恋人の物語のように聞こえるが、全くそんな内容ではなくて、外見が変わった(異なる役者が演じている)ギオルギとリサがそのまま普通に暮らし、また接近していくさまが淡々と描かれている。呪いをかけたのは誰かとか、解くにはどうするのかといった展開は全くなし。

2時間半の長尺だが、子供たちがサッカーをして遊んでいる光景とか、野良犬がサッカー中継を観る話とかに多くの時間が割かれていた。監督のAlexandre Koberidze自身によるナレーションがまた飄々としていて、現代のおとぎ話を聞かされているような感じになってくる。ペースが間延びしているといえばそれまでだが、ジョージアの日常なんてそう目にするものではないから退屈ではなかったよ。

ロングショットで撮影されたシーンが多くて、街の風景を遠くから眺めるような雰囲気をだしているほか、主人公ふたりの外見が変わっても特にクローズショットになったりせず、逆に人物の足元をよく撮っているあたり、自分の撮りたいものがよく分かっている監督だなと思いました。画面上に突然テロップが出て、「合図するまで目を閉じてください。いいですね?」なんて観客に指示する演出もあり、遊び心に溢れてました。

万人向けの作品ではないだろうけど、ほんわかした心地よい作品。ジョージア語は文字が可愛いね。